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居場所と自分

なぜなのか今いる場所はみんなすぐに怒る。
自己主張が強め。
負けない人々の集まりで、そこで闘いが繰り広げられているのに自分は間接的に、或いは直接的に関わってる。
そこが自分の居場所のひとつなんで、いるしかない。
それで、どうして自分の居場所がこんなに怖いとこなんだろーまじでいや、逃げたい去りたい消えたいとかおもう日もあったりして、
ほんと先生家業に携わる連中って碌なもんじゃねえ。
先生って呼ばれるうちにプライドがどんどん育ってしまうんだろうな。
気をつけよう。

で、
居場所について考えてたんだ。
自分が自分であるならば、そういう自分ならではの環境が作られるはずなんだ。
自分はふわーとした場がすきなんだけど、いま現在はそれとは正反対の場にいるんだが。
自分は静かで謙虚でやさしい、ぼんやり型の世界がすきなんだけど、まあ自分自身はそのようなときもあるけど、実はそうじゃないから、そうじゃない世界にいるのかもな。
前にも書いたけど、自分は火を見たら踊り出すタイプだ。
ずっと自分はそうではないとおもってたけど、そうなんだなって前に自覚した。
でも、攻撃的なパワーや反発、闘い、怒り、悪意なんかのなかにはいたくない。
いま現在の居場所ではそういうエネルギーが見えるんだよな。
ことばもそう。
それで、なんで?っておもったんだけど、わたしだからいるんだろうなー
それは悪い意味ではなく。
わたしがそこにいれば大丈夫だからいることになっているんだろうなって、激しく自己評価高めに考えてみた。
わたしがいれば、収まるからだよ。
そういうエネルギーはあるとおもうんだ。
ただ、いまはまだ負けがちで、こっちが向こうのエネルギーにやられちゃうとき多し、でもそのうちわたしのエネルギーが満ちて、みんながゆるむ居場所が作れるかもしれない。
存在するだけでエネルギーは発せられるものだからな。
それにはあくまでも飄々としていなければなるまい。
火を見て踊り出してもいいけど、おもしろい踊りを踊らなければ。

逃げるのは簡単だけど、空気を作り変えることが実は自分の役割なんではないの?とさっきおもった。
でも、大変すぎたらしないつもり。
閃きの一瞬で意識が変わったから、ちょっとは風通しがよくなるかもしれない。
そんなにいやがることでもないかもしれない。

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