見出し画像

080224 共に生きるには

先週はインフルエンザになって39度近い熱が出たんだった。
3日間ぐらい、なにもできず、ぶっ倒れていた。
それで、確かあのひとは「病気になったときほどケアしたい」みたいにいっていたな、とふわっとおもいだした。
🍂はその週末うちに来るはずだった。でも、わたしは具合が悪いので、来なくていいよ、といったら来なかった。
次の日にも電話をしてきて、そのときはもう決定的にインフルエンザだと確信していたのでそういったら、な、な、なんと🍂は「あーよかった、きのうそっちに行かないでよかったよー」というではないか!
え、ケアしたいんではなかったの。
心配ではないの。
日本人の、近所に住む友は「なんでもいって、買い物とか、食事とか持っていくよー」といってくれた。
しかし、🍂はそういうことを1㍉もいわないし、なんだか自分のことばかり話していて、わたしは39度近い熱でそれを聞いているんだが、どういうことなんだろう?熱を上回ってくらくらした。

電話を切ってから無性に腹が立ったので、これはいわないといけない、高熱があるのに怒れる自分でよかった、などとおもいながら、長いテキストを書いて🍂に送る。
前だったら怒りのままにブチまけて大荒れに荒れたとおもうが、最近は賢くなったので、🍂がわたしとは違う人間であることを前提に、わたしが弱っているときにしてほしいことを率直に書いた。
わたしは徹底的にやさしくしてほしい。
過剰にケアしてほしい。
放っておいてほしくない。
というようなことを書いた。

🍂がコロナに罹ったとき、わたしは奴の家にいた。
初めは具合が悪いだけだったし、コロナテストも陰性だった。
でも翌日には陽性になった。
それでわたしは動揺したけど、そのまま🍂の家にいて、料理などをしたりして看病した。
幸いわたしはずっと一緒にいたのに感染しなかった。

そんなわけで、わたしは病気を怖がらず、🍂を心配してひとりにはしなかった。
ところが、奴はインフルエンザを怖がって、わたしと接触するのを避けたいような感じ、わたしが高熱でどのように何をたべて凌いでいるのかも知ろうとしない、こんなんでは人生を共に支え合って生きていくなんて無理。
そのようにも書いた。

速攻で電話がかかってきて、
「自分は病気のときはひとりのほうがいいから、そう対応した」という。
まあ確かに、わたしも「来ないでくれ」とは半分おもった。
でも、過剰に心配はしてほしい。
🍂はわたしのうち(南ロンドン)には行きたくない、なぜならテレビもないし、ソファもないし、狭いし、エンターテインメントが何もないから、看病に行っても料理を作る以外することがない、だから今からうち(北ロンドン)に来い、という。
タクシーで今すぐ来いというが、インフルエンザなんだぜ。

今すぐ来い、といったので、いい根性しているとおもい、怒りが解けた。
やっぱり何でもかんでも話してみるのがいい。
わだかまりが消えるまで、しつこくするのが自分にはいい。
自分は意外にしつこいから。

わたしだったら心の中で「行かないでよかった」とかおもっても、口に出さないんだけど、🍂は心の声がダダ漏れで、それが相手を傷つけるとか、嫌な思いをさせるとか、そういう配慮に欠ける。
そこをわかれ、直せ、変えろ、といっても無理なんで、その都度学んでもらうしかない。
わたしも学ぶ。
パートナーシップを学ぼう、作っていこう、というのがいい。
変なこといわれたり、ムカつく発言を浴びたりしても、またはわたしが過剰に反応しすぎるとかもあるかもしれないけど、そこだけに近視眼的に反応しないようにして、話し合ってそこをわかってもらえるか、少しマシな方向へ行けるか、希望があるかどうか、そこが大事だよな。
少しずつわかり合えたら、10年後にはよくわかり合えているのではないかな、というのは経験のない初心者の恋愛観みたいなものかもしれないけど。

12年間お付き合いしたカレとは、気持ちを隠したまま、開示しないままだったから、結局表面的な月日を過ごしただけだった。
すきすぎて見えなかった。

だから、🍂とはそうはならないようにしようとおもって、
ぜんぶいうことにしている。

その後、元気になって、
🍂宅へいき、詳しくは書かないけど、わたしの機嫌を損ねる出来事が勃発し、そのあと奴はビスケットにクリームチーズを塗り、薄く切ったきうりを乗せて、わたしにたべるようにと差し出したのが可愛かったので、
わたしももっとよくなろうとおもったりなどした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?