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200924 すぐ揺れ動く自分に辟易し

今朝は朝から「もうだめだ。自分が自分らしく居られない」とおもい🍂に「あなたのことがすきではない」と告げたんだけど、
そんなことばにも動じずハグをしてくる🍂にまじでだめかも、と暗い気持ちだった。
語気強く話されるとか、苛立ちの気が立ち上るのが見えるとわたしはもうだめになる。
ネガティブな反応をされるときもたちまちしゅるしゅると自分が消えそうになる。
「パンがいい?きのうの残りのご飯でいい?それともパスタとか?」などとわたしが訊いたときに🍂は「きのうの残り物は嫌だ(きのうの残り物なんか嫌だ、と聞こえる)」という答え方をする。そんなふうにいわないで「パンがいい」とか「パスタかな」とかいえばいいのに「嫌だ」という気持ちをことばにするので、それを選択肢に選んだ自分が悪いように感じてしまう。
これは一例で、そういうことがよくある。
攻撃されているような被害妄想的な思考になる。
それでそんなふうにいわなくたっていいじゃないのというと、向こうはびっくりして「そんなつもりではない」というところまでがいつもの諍い。
とにかく🍂に対して嫌なところがいろいろ見えてきて、それが蓄積してきている。
自分の弱いところが刺激される。
今朝はひどかったんだけど、わたしは言語的に弱いという点でときどき🍂に利用されているような気がするのだ。
🍂のほうがもちろん言語的に強いので、わたしの貧弱な語彙の上に被せてきて負かされるような、そんな感じになるときがあって、でもわたしは言語が弱くても問題の論点はしっかり掴んで決して退かないから、徹底的にわたしが🍂の態度を詰ることになる。
相性が悪いのかな、というのが双方のよさを汲んだ場合にいえることで、反応してしまう箇所がよくないだけで、🍂はわたしのように反応しないひとを、わたしは🍂のように反応しないひとを、パートナーとして選べばいいだけだ。

ところがそんなひとはなかなかいない。
いや、いるかもしれないが、いや、絶対にいるんだけど、他の部分でわたしはまた文句をいっているだろうっておもうんだ。
あと運命的なことで、そんなひとがいるならもう出逢っているはずだとおもうんだ。
そんなひとには出逢っていなくて、目の前に🍂がいるなら、揺れ動いている場合ではなく、肝を座らせろ、或いはさっさと別れろ、と自分で自分に忠告していたそのとき、🍂がやってきて、ほんとうにごめん、ぼくは学ばなければならないことがたくさんあって、少しずつ学んでいくから、機嫌直して、という。
わたしも瞬時に心を開き、ごめんね、わたしこそ学ばないと。
🍂「お互いに学び合わないとね」
ということで、今朝は歩み寄った。

ちなみにわたしは🍂のことで致命的かもというほど歩み寄れない部分を持っている。
でも、それをも抱え込んで、なんとかふたりで生きていくのがわたしの学びなのかもしれない。

ダメなときはダメなんでわたしが決めることでもない。

「今年いちばんのショック」と、そのときは思ったし、かなり凹んだけど、「焦がすことはすでに決まっていた」という、「時間は未来からやってくる」視点でみたら、焦げたことから始まる出来事が急にだいじに思えてきた。

https://note.com/kicoleo18/n/n71762d37706e?sub_rt=share_pw

根本きこさんがすきなんだけど、彼女のきのうのnoteにこんなことばがあった。

いいときよりも、諍いをしているわたしたちのその葛藤が大切なのかもしれないな、とおもった。
ふたりが出逢うことはすでに決まっていた。そして、ふたりがふたりで考えていたほどうまくいく関係ではないのもすでに決まっていた。ふたりはむしろある意味正反対の人間であるのかもしれないことも(未だわたしたちは知らないけれど)実は決まっていて、葛藤に次ぐ葛藤、幾度もの葛藤を体験し、最終的に迎える体験のために出逢いや葛藤や何やかやがあるんだろう。

それは自分が自分の枠を超えて未来の自分になるための必須の体験なんだろう。

自分が決めなくても、未来に向かって行くだけ、右往左往じぐざぐのフリして実は真っ直ぐにそこ目がけて生きているんだろうなーって気がする。

🍂は1㍉もそんなことは考えていないだろうけど。


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