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もやもやがある日々

わたしの仕事の1年のサイクルはおもしろい。
10月に始まり10週間授業をする。
12月から1月にかけて1か月冬休みがある。
その間、自宅で試験を作成、仕上げる。
1月からまた10週間授業をし、3月末から1か月春休み。
その間に提出物の添削採点をする。
4月半ばから試験期間に入り、口頭試験や筆記試験の採点をする。
それが6月の頭まで続く。
それが終われば夏休みで、10月まで職場に行かなくていい。
でもその間に追試などがあったり、ちょっとした事務仕事や試験作成の準備などを個人的にする。

ざっと書くと休みが多くていい仕事のようでもある。
確かにそれはそうで、日本に1か月ぐらい軽く行けてしまう。
でも、仕事自体は割とプレッシャーが重く、試験期間中の仕事量は身体を壊すほど多量だったりする。

で、
今その試験期間中で、どーぉっと嫌な気持ちに包まれていた。
頭の中でおもう仕事量の多さに押しつぶされそうである。
ずっと似たようなサイクルでやってきた仕事だけど、若い時と今とはちょっと違うようで、若い頃にできた無理がだんだん効かなくなっている。

昨夜は変な夢を見た。
あの京都の町屋のような木の家にいて部屋がたくさんある。
旅行ではなく長く住んでいるような感じだった。
いつも通っている駅に行こうとするんだけど、駅がどこにあるのか、行き方が全くわからなくなっている。
行き方を思い出そうとするんだけど思い出せず、そこだけぽっかり白紙で記憶を手繰ろうとしても手掛かりすらないような感じ。
途方に暮れていたら、その家に居候している若い女性がやってきて、少し雑談する。一緒に出かけようと言われたようなんだけど、自分は駅のことが気がかりだからちょっと考える時間が欲しいようでひとりにしてもらう。
でも時間を決めて外で会う約束をした気がする。
ぐるぐる何で駅がわからないんだろうと考えていて、もしかして痴呆症の始まりかなーなんておもってる。
はっと気づけば約束した時間まで忘れてる。

兎に角記憶を忘れる自分が出てくる夢だった。

確かに最近は現実でも色々なことを忘れているのに気づいてる。
でも反対に覚えておくことが多すぎるからだともおもう。
脳のメモリがいっぱいなんだとおもう。

ここ数日は自分特有の現実逃避的妄想が頭を支配していた。
その一例は日本に帰って、静かな日々を送ること。
できればナモナモ寺さんの近くに引っ越して…などと具体的だ。

現実逃避かー
自分はあこがれだった街に暮らしている。
あこがれだった職についた。
お金にも不自由していない。
人生を同行してもいいというひとまでできた。
書き出せば自分の夢みたいなものは全部叶っているようなのだ。

ありふれた感想だけど、夢を追っているときが一番いいのかもしれないな。

では、また何か夢を追おうか。
夢というか、たのしくなるようなこと。
自分は何かのためにこつこつ努力することはできないから、何かたのしいことがあるようなら兎に角もうそこに飛び込んだほうがいい。
今までもそうだった。
後先考えずに飛び込んできた。大量の水飛沫をあげて。

今、何か飛び込めるものがあるだろうか。

感覚を研ぎ澄ませていたら何か現れるかもしれない。

あとさー
自分には気分に押しつぶされないようにして欲しい。
気分がすきだから特に。
気分は変わるものだからさ。

今は混迷な気分を作り上げているけど、よく見ればそんなこともないんでは?たぶん

わたしは心も身体もだけど、ストレスや疲れがあるとよく眠る。
ずうううううっと寝てる。
うつ病なんでは?とおもうほど。
けさは7時に目が覚め、また寝て10時に目が覚め、また寝て11時半、郵便配達屋さんがきて起きた。
外はロンドンらしからぬひかり輝く初夏の陽気。
まぶしい。
青い空が光って白っぽくなってる。
暑い。

ミューズリにリンシード、南瓜の種、ゴジベリー、胡桃、アーモンドなどを足して、オーツミルクで朝食。
もうすでに1時で、これからストレッチをして丘の公園に行ってこようかな。
仕事は帰ってきてからしよう。
口頭試験の準備をして、筆記試験の採点の準備もしたい。
自分ひとりでできる仕事なんだから、できるよ!

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