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071223 理想と現実とその向こう

気づけばもう12月も1週間が過ぎて、大変だった2023年が終わろうとしている。
厄災の2023年であり、実はまったく厄災ではなく、ぱたぱた廻りが回転していただけで自分はそれに目を回したりもしたけど、今となってみれば、まったく動じる必要はなかったような。

自分には理想が富士山の如く聳えていて、無意識下でなんでも、仕事でも、恋人でも、なんでも、理想以外はいらないとおもってたんではないかな。
Cは全然理想のタイプではなかった。
でも、なぜか縁があって一緒にいることになって、人生で初めて、理想のタイプではない恋人となった。
ところがね、理想でないひとと一緒にいるのは、実に居心地がよかった。
相手がすきすぎて、相手に合わせてしまうということがない。
相手の世界に染まりたいとか、自分をよく見せたいとか、会うたびにドキドキする感覚がなくて、すうーっと馴染む感じだけがあったんだよな。
だから、わがままもいっぱいいえてたし、気に入らないことがあると怒ることもできた。
すごく楽だった。

それで、カレと離れてみて、居心地のよさを失ったのがすぐにわかった。
弱くなれる場所を失った。
職場でも、友人関係でも、家族ですら、わりと気を張って、螺子をいっぱい捲くような、捲いてからじゃないと動けないような感じだったけど、Cに対してはほぼ素だったとおもう。
向こうがわたしのことをすごくすきだったから。
どんなわたしを見せても受け入れてくれてたから。

結構大切な場所だったんではないかな、としんみりした。
もうすきなタイプとか、理想とか、そういうの超えちゃうんだな、って。
そこに気づいてびっくりした。

でも
失ったとおもったものは、
わたしがその感覚を努力して忘れられるようになったころに、当たり前のように戻ってきた。
葛藤や、複雑さ、体裁、感情、思考、わだかまりなんかを全部無視して感覚だけで戻ってきたような感じだった。

いよいよ2023年も終わるというときに。

まあ予想はしてたけど、
前よりよい関係になっているような、そんな錯覚のような本当のような副産物もあるかもしれない。

そんなわけで、
冬休みはシシリー島に行くし、春には日本にCを連れて行くし、
冒険することがいっぱいあってわくわくしてる。
素直さと、軽さと、子どもっぽさ、この3種の神器があれば、愉しく生きていけるんじゃないかなって、それ、忘れないように…。


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