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180624 家から出ず

午前7時から午後1時の間にBHFのトラックが来ることになっていて、7時というところが結構気になって碌に眠れなかった。
昨夜は午前3時ごろまでBHFに寄付する服や靴、器などを選別していたので、シャワーを浴びて寝たのが4時ごろだったような気がする。
睡眠中のどこかの時点で、一瞬すごい眠気にぐわんぐわんしながら、起きなければ……絶対にBHFを捕まえなければ……と眠気と意識と、その朦朧とした狭間で闘いながら、結局寝ていた。
ロンドンではよく「訪ねましたが、不在だったので、残念でした、また今度」というような感じで、待っていても業者はドアベルも鳴らさずに不在票を置いていくことがざらにある。
だから、「BHFを逃すまじ」と悪夢のようにうなされていたのだった。

9時過ぎにBHFは来た。英語ではない言語を話す白人の若い男3人が、さっと来てさっと帰って行った。
わたしが大切にしていたいろいろな物を、機械的に処理して、トラックに積み込み、計20分ほどで去った。
あっという間だった。

大切にしていたけど滅多に身につけなかった服や靴、かばん、使わなかった器類、気に入っていた赤いチェストふたつ、オフィス用チェア、などなど、まとめて寄付したのだった。
COVIDの流行で自宅で仕事をするようになり、いい椅子を買おうと、初めてオフィスチェアを買ってみたんだった。
可愛い椅子が皆無、買いたくないような椅子ばかりで、さんざん検索しまくってやっとみつけた可愛いような椅子だったけど、非常に重い椅子だった。

大切すぎて履けない靴もあった。
服も、大切にしていた。
すごく大切な器だけど、使わない大切な器もあった。
本当を言えばすきではないんだけど高かったから手放せなかった物もあった。
そういう物物を全部寄付したので、すっきりした。
大切な物がなくなると自由になるかもしれないな。

いまは着心地とか、機能性とか、丈夫さ、そういうののほうが自分に合っているようになった。

午後に一件、Wくんの個人レッスンをした。
Wくんは富豪のご子息なので、帝王学と基督教と、両方の思想を身につけていて、そういう感じでおもしろい。
汚れずにここまで来た、という印象がある。

きょうたべたものは
朝、ネクタリンと苺。水。
レッスン中に緑茶。
昼、残り物の冷たい玄米ごはんに梅干しをのせた海苔巻き、紀文の鰹節のふりかけをのせた海苔巻き。水。
4時ごろ、ネクタリン。あとでナッツいろいろ。水。
晩ごはん8時ごろ、残り物の冷たい玄米ごはんに熱々のバター醤油コーンと絹さや。水。
残り物のからいトマトソースにオレキエッテ、すきなパスタの形。水。
めちゃくちゃな献立だった。
野菜もっとたべないと。

午後学生からメールあり。
プレゼントを渡したいので会えませんかという可愛いメール。
彼女は1年生から3年生までの3年間、ずっとわたしと関わりがあった。
3年間も一緒に勉強できるのはめずらしい。
彼女は留学生なので、卒業して自分の国タイへ帰るとのこと。
その前に会いたいと言ってくれたので会いたいんだけど、お互いにうまく会える時間を合わせられないかもしれない。
まあいま会えなくても、わたしはいつかタイに行くだろうから、某さんにはまた会えるんじゃないかな。

とにかくいまは
先週、先々週と、今週のために自分が計画して手配したことを、淡々とやっていれば、気づいたら引っ越しは終わっているだろう。
過去の自分が、いまの自分のためにやってくれたことだけど、よくちゃんとやってくれたなーと自分がやったことを反芻している。
引っ越しまでの計画は、綱渡りながら、全て完璧みたいに見える。





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