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最近、病気みたいな得体の知れないなにかの診断が降りた。情けないので(情けないと思っていることさえ情けないので)病名は伏せる。
要するに、今までわたしが人に嫌われてきたたくさんの要因たちは、努力なんかではどうにもならない代物だったらしい。

だからわたしが悪いのではないのだと大人に言われた。
車のなかで母に冷ややかな目を向けられたのも、小学校の頃の先生に怒鳴られたのも、友達が、わたしのことを友達だと思っていなかったのも。全部、わたしが悪いのではなかったのだと。

それが明らかになったとき、わたしはまずはじめに、産まれてきたことを後悔した。そんなことを今更言われても取り返しのつかない過去が多すぎるからだ。
せめてもの八つ当たりとして親を憎みそうになったので、考えるのをやめて泣いた。そうしていたら母が帰宅したので顔を伏せて部屋に戻った。
わたしが悲しいよりも、わたしが悲しいせいで母が悲しいほうが、悲しい。

さっき、母と二人で食卓を囲みながら、今日のアルバイト先での話をした。
わたしはアミューズメント施設で子どもを相手に働いている。子どもが好きではないくせにその職場を選んだのは、働き始めたころのわたしが子どもを騙せる女優になりたかったからだった。
女優になりたかった。今もなりたい。病気だから、なれない。たったそれだけのことが、人生を諦める理由に足りうるほど悲しい。閑話休題。

4歳の女の子のお母さんと思しき女性に「北海道から来ました。来てよかったです」と言われて嬉しかった。そんな話を母にしていて、「ちょっと泣きそうになっちゃった」と言おうとするわたしよりも早く母は泣いていた。
母は優しいひとだ。もっと悪どいひとだったらいっそ楽だったかもしれないと思う。

3月31日、これまで連れ添った海苑(みその)というハンドルネームを捨てて、わたしは春になった。帰りのバスの車窓から咲き初める桜を見て、春になった、とやっぱり思った。
春だから死のうと思うし、死のうと思うから友達に花見の約束を持ち掛けた。

あさって、桜を見る。

2024/03/31


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