私が台湾を好きな理由

【以前別のブログサービスで掲載していた記事を、noteに転載します。(2022年10月31日)】

今日は精も魂も尽き果ててヘロヘロになって帰ってきたのですが、焼き小籠包を食べたら一発で元気が回復してさっきまで楽しく配信を見ることができました。で、こんなことが前にもあったのを思い出しました。

10年前、私が大学の卒業旅行で初めて台湾に行ったときのことです。
ウキウキで台北・松山空港に降り立ったものの、どこを探しても滞在費を入れたはずの封筒がない。 財布の中には日本円で3000円くらいしかなく、空港の両替所の前で呆然とする私。3泊4日遊び倒すための軍資金が全部ないわけですから顔色喪失。泣こうにも泣けない。頭が真っ白。どうしようどうしようどうしよう…
私は日本の自宅に、準備した有り金の入った封筒を置いてきてしまっていたのです。

一緒に行ったゼミのメンバーは「大丈夫だよ」「多めに持ってきたから貸すよ」と励ましてくれますが、耳に入ってきません。
楽しい卒業旅行を初っ端から台無しにしてしまった罪悪感。
これからの4日、3000円でマジでどうすんのという絶望感。
知らない土地で誰に頼ればいいかわからない不安感。
本当に最悪の状態でした。お金を置いて出国した自分が全部いけないのですが。

そのときの私は頭が地面に擦れるんじゃないかというくらい、下を向いて歩いていたと思います。
引きずられるようにしてまず連れて行かれたのが台湾の小籠包の名店「鼎泰豐(ディンタイフォン)」でした。
「お金がないから食べられない」と言う私。「お金はとりあえずいいからまず食べて楽しもう」と言ってくれるみんな。
そもそも食欲がありません。でも、「おいしいから小籠包食べてみて」というやさしい説得に折れ、お代を払えないかもしれない罪悪感に打ちひしがれながら私は恐る恐る小籠包を口に運びます。

「うっっっっっっま!!!!!!!」

めちゃんこおいしかった。
こんなにおいしいものあるのか、と驚くほどおいしかった。
ついでをいうと一緒に頼んだ青菜(A菜)の炒め物もおいしかった。
何食べてもおいしかった。

驚きました。みるみる元気が回復していきました。
最終的には遠慮の塊になってしまった最後の1個の小籠包を食べちゃうくらい元気が出ました。
おいしいものってすごいですね。
おいしいものって本当にすごい。

やっと頭が働きだして、店を出て、初めての国際電話。
今回の台北パッケージツアーを販売したHISの台北支社に相談。
母に日本のHISにお金を払ってもらい、それと同等の台湾ドルを台北HISからもらうという方法でお金を調達することができました。

で、その後、そのお金を使って台北を遊び尽く…せなかったのです。
台湾の国会にあたる総統府を見学している最中倒れ、最終的には人生で一番高い熱を出してホテルで歯の根が合わないほどガタガタと震え、病院に行くことになりました。
私が猛烈な体調不良に襲われているのに最初に気づいたのは総統府の係員のおばさんで、説明ツアーの列から遅れ始めている私をさりげなく隔離し、お風呂で使わてるみたいなプラスチックの椅子に座らせ、こめかみにスーッとする気付け薬を塗ってくれました。
ホテルのフロントの方は日本語のわかるお医者さんを探してくれました。深夜タクシーで連れて行かれたそのお医者さんは京大に留学していた方だそうで、関西弁で「(治らなかったら)台北から帰らなかったらええやん」と言います。
心配して言ってくれているのです。でもそうは行きません。飛行機は明日飛ぶのだから。
頭のてっぺんと左右両サイドに長い治療針を刺され、昔のロボットみたいに頭にアンテナが出ている状態で「明日、帰りたいです…」と繰り返す私。
付き添いの友人はどうしたらいいかわからない顔をしていたように思います。
いや、本当に申し訳なかった。
アンテナ状態の時は生きて日本に帰れるのか本当に不安だったのですが、結局、点滴を打たれて翌日の飛行機に乗ることができました。

私が今、台湾を好きなのは、この初めての旅行の経験があるからのように思います。
フィジカル的にもメンタル的にもズタボロの状態で到着して、実質1日くらいしか活動できなかったけど、食べたものはみんなおいしかったし、台湾の人たちがよくしてくれたという事実が強くインプットされたのです。
(友人たちは私をホテルに置いていろいろ見て回っていたようなのでよかった。心配かけて本当にごめんなさい。)

友人たちと行けなかった場所に行きたいという思いで再訪し、それが2回になり3回になり、訪台はもう5回になります。
あーあ、早く台湾に行きたい!
華語も勉強したいし、また台中に行きたいし、高雄も台東も行きたいな。

(20220912)

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