日刊WHO20240422アメコミ型宗教映画と、幸福の科学型宗教映画の違い。宗教映画は象徴で描いている。
ドクターストレンジ2は、実は宗教映画である。宗教映画というと、日本人は、なんか見たくないと思えるかもしれない。しかし、アメコミは違う。聖書にある表現だとかを、アメコミレベルで象徴表現ばかり使っていろんな手口で感動させている。
「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」8/5 MovieNEX発売 予告編 (youtube.com)
この映像にはないが、映画冒頭に他のマルチバースのスペイン語を話すドクターストレンジが、魔物?と戦う際に水の魔法を使う。
水の魔法を使うとどうなるかというと、右太ももを刺され、(右太ももは男性的・創造的なことをさす。左太ももは女性的・感受性的をさす)魔力?をうまくコントロールできない中戦い、あっけなく死んでしまう。そういうシーンがある。
このように宗教映画とは、全て意味ある象徴で表されている。冒頭で表されることとしては、水魔法の使い手のドクターストレンジは、死ぬんだよ。ということ。
映画『宇宙の法-黎明編-』本編映像 (youtube.com)
それに対して幸福の科学の宗教映画は、スターゲイトから暗黒物質カオスけーど(殺意とか暴力の想念・エネルギー)が、水の星に流れ込むと、凍り付く。そして崩壊する。という表現があらわされている。
実はこれは、空から降ってくる雹(ひょう)っと同じ原理である。空の冷たい水の想念がある。地上に殺意の想念だとかあふれていると、実はひょうが降る。こういう事例はよくある。
どちらも冒頭から、水ばかりの星にしては危険という何らかの宗教的象徴表現を加えていた。
アメコミは、おもしろくて見やすい。
幸福の科学の映画はいろいろ象徴表現をてんこ盛り過ぎて、分かればわかるほど奥が深すぎて、素人には、よくわからない。
宗教映画としては、見やすさがアメコミは勝っている。
アメリカのアカデミー賞は宗教表現を正しく使っている映画がいつもノミネートされているのかもしれない。
日本映画がノミネートされにくい理由は、エンタメとして描かれすぎていて、宗教表現が少ないから?(幸福の科学の映画はちょくちょく実はノミネートされることがある。)に思える。
ただいま起きている。イランとイスラエルの争いも、毎年映画とか創って、映画・芸術的国力を示してから、相手を説得すれば、もぅちょっとましかもしれない。ただイスラムは音楽禁止だった?からそれはできないかもしれない。
※・・・イスラムが音楽禁止の理由。砂漠地帯っていうのは、昔の悪しき霊魂が、想念がたくさんあると、砂漠化しやすい。不毛の土地になりやすい。そういうところで『下手な』音楽奏でると、悪霊が成仏するんでなくて、降魔の法力ともしい音楽かけると、地獄霊がエネルギー得ることがある。そういう宗教的なこと知ってか、ユダヤの人にイスラムの人は怒るのかもしれない。まぁ、いろいろありすぎてわけわからないっと思える。
※2・・・イスラエルの土地も、イスラムの土地も信仰心厚いので、汚い地獄想念には覆われていないように見える。ただやっぱり、イスラムの法典すべて読んだわけではないので何とも言いかねるが、教義に違反しているようなことやられると、楽しくないのだろうね。
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