誕生日

 このたび、皆様の温かい支えのもとで、なんとか23歳の誕生日を迎えることができました。
 このように頼りない人間でさえ23年もの間生き延びられるのかと思うと、現代社会の優しさに開いた口が塞がらない思いです。もしもぼくが旧石器時代に生まれていれば、数ヶ月で骨になっていたに違いありません。

 最近は就活の真っ最中で、コンスタントに将来について考えたり悩んだりしています。悩まないのが取り柄だったはずなのに。
 晴れの日は畑を耕し、雨の日は本や漫画を読みつつのんびりと暮らしていけたらそれでいいと思っているのですが、どうやらそれは高望みというものらしいのです。一般的には――突然莫大な遺産が転がり込んだり、宝くじが当たったりしない限り――仕事というものをしないと生活していくことはできません。
 しかし現状、特に就きたい職業もなければ真面目に研究しているわけでもない。後輩に「それならセンパイはヒモになるべきです」と言われたときは一瞬本気で考え込みました。しかしヒモについて調べてみると、これまたかなり特殊な技能を要するらしく、自分にはできそうもない。
 なんだか八方塞がりです。

 夢があって、就きたい職業があって、それに向かって頑張れる人を尊敬しています。なんかキラキラしてるんですよね。好きなことがあって、それを語れる人は、それだけでとても素敵だと思います。
 でもぼくには夢もなければ就きたい職業もなく、毎日気楽に過ごすことしか考えていません。正直言って、生活していければそれでじゅうぶんだと思っています。自分の力を試したり、世の中を変えようとしたり……うーん……って感じ。偉い人の自伝に出てくるような激しい生き方はできないな、と思います。
 あ、でもぼくの周囲には才能豊かで素晴らしい人が溢れていますから、誰か自伝が出版されるくらい偉くなる人もいるかもしれませんね。そのときは一行ぐらい言及してくれたら嬉しいです。

 結局のところ、ぼくの人生の価値基準はあくまでも自分が第一なんだなと思います。身勝手で申し訳ないです。これからの日本とか世界とかそういうやつは優秀なみんなに任せて、自分はのんびり生きていきたいというのがぼくの夢です。

 とはいえ結局、うまく就職できた場合に来年からぼくがすることになる仕事も、巡り巡ってどこかで日本とか世界のためになるのかなと思います。結局のところ、世界は誰かの仕事でできているので。ミスチルも歌ってます。
『僕のした単純作業が
 この世界を回り回って
 まだ出会ったこともない人の
 笑い声を作ってゆく』
なんて。いい曲ですよね。
 まあ、どうにかこうにか就職して、どうにかこうにか生きていけたらそれでいいかなって思います。その過程で副次的に世の中の役に立ったりすることがあるかもしれない。そのくらいを目指していきます。無理に頑張るよりは、きっとそっちのほうが自分に合ってる。

 前置きが長くなりましたが、今から23歳での抱負的サムシングを書いて終わりにしたいと思います。

 肉体的にはもう大人になったと言えるでしょう。法律上でも大人になって早3年が経過しました。
 しかし、じゃあ中身はどうか――果たして、我が精神年齢は23歳相応に成長しているのか――と問われれば、答えはノーです。間違いなく。こんな自分が大人を名乗っては、大人に対して申し訳ありません。大人と見做される年齢になってなお、あらゆる面で大人からは程遠いところにいる自分を実感するばかり。

 というわけで、人生23年目の抱負は「ちゃんと大人になること」です。
 自分の中の「大人」の定義は、当たり前のことを当たり前にできること。〆切の前日にプレゼン資料作成に着手しない、とか、家を定期的に片付ける、とか、目の前のことには全力で取り組む、とか。そういう当たり前のこともできない人を大人とは呼べないと思いますから。
 ちゃんとした大人になりたいです。
 なれるように頑張ります。ほどほどに。

 最後に、俵万智の短歌を引用します。

角砂糖なめて終わってゆく春に二十二歳のシャツ脱ぎ捨てん

 角砂糖ばっかりなめているような、脱ぎ捨てたはずのシャツが腕に引っかかっているような、こんな頼りない23歳ですがこれからもよろしくお願いします。以上。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?