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愚者は他者の成功体験に学び、賢者は失敗の歴史に学ぶ

成功の席は限られていて、その位置にある椅子は一脚ずつしか用意されていない、100位という位はその位置にしかなく1位という位もその位置にしか存在しない。


部長はその部署ではその椅子は一脚しかないし、店長もその店でひとつしかないポジションだ、アルバイトも採用枠は決まっていてその枠に入れなければその椅子に座ることすら出来ない。

誰かがその席に座った瞬間からその席は埋まり、その席の所有権はその者に与えられる、成功体験は椅子取りゲームの勝者が体験できるようになっている。その奪われた椅子はもう誰かが座っているのだから、その成功体験をそのままなぞってもその席はもう埋まっていて座ることは出来ない。

例えばコンビニエンスストアの新宿店というその一店舗しか存在しないアルバイト枠が埋まっていたとすれば、それに応募することも事実上不可能だ。それに近い性質のものという意味合いではなく、その席は限られていてるということ。

このことからも成功した誰かの体験から学ぶより、その成功者の経験や失敗した事柄から学ぶのが効率が良いとされている。


トライアンドエラー

その成功者も失敗があって成功していたりすることが殆どであることから、その成功体験よりもその経験を考えることが何より重要なものになっている、いきなり成功した人は稀であって不確定要素が強いことからも、その運の要素から学ぶよりは経験から学ぶことが最も効率が良い学びとなっている。


歴史

かの偉人達も不幸であったり、その時代における不運な出来事などからその限られた席に座ることが出来た。


個人の過去も小さな歴史

これも小さな歴史であってその成功体験が大きく無かったのなら、求めている体験に届かないと感じるなら尚更自身の失敗やその経験から学ぶべきである。

これらの要素からいきなりの強運という不確定要素を省いたところに確率的な理屈が構築されるのだから、効率化という意味合いとして歴史からその体験ではなく経験、失敗した経験から学ぶことで自身の効率化を測る必要がある。


宝くじは愚者のみに許された愚かな税金

この支払いは確率的に負けイベントであって且つその成功体験すら味わえず、何を持ってそれを手にしたかという具体的な内容が構築されないことから、当選しようにも使い道に困ったり使い切ってしまったりする。

強運は運の要素であって愚者の為の口実にその金銭が消費される要素でしかなく、その金銭は別に利用されることからその席に鎮座している者からの搾取や目的に使われる。

宝くじは搾取そのものであって愚者の為に用意された紙切れに過ぎない。

よって運を呼び寄せるのはその確率的な追求をしたトライアンドエラーから発生しているという理解が必要になっている、その行為そのものが0.1%だった挑戦が失敗したときにその確率を上げる為に成功率0.2%の分野に向かう、この要素がトライアンドエラーの重要性となっている。

そうなれば自ずと運の要素よりも歴史や失敗から学ぶことが最も効率が良いと理解出来る訳だ。

この運の要素からしても挑戦し失敗したことから確率が上がるのだから、その歴史による失敗から学べることの方が遥かに知識の密度が高い。

そしてこの記事のタイトルとは別である従来の言葉「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といった言葉でさえも、理解度という点においてもその言葉の意図とは無関係に低くなることもあれば高まることもある要素になっている。

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