見出し画像

目標が精神を安定させる

欲望は際限が無いが、取り合えず目標を設定するとそれに向かって進むことで他のどうでも良い悩みが透明化する。


AIの発展

これによって様々な創作家が苦悩している、その一方で今までその圧倒的なやり込みによってでしか出来なかったものがある程度楽をしながら創作活動が可能になりつつある。しかし、これの意味するところも結局、その専門性の技術をある程度知り、そうしてそれに挑戦し、AIを教育しなければまだ実現しない。

例えば漫画は同一キャラクターを動かすにはあらゆるAIアプリなどを活用しなければならず、複雑なキャラ絵であった場合にはそれを人間側でAIに対して正しいアプローチを行わないと制作出来ない。

人物や生物などをAIに書かせるとそれなりの一枚絵にはなるものの、それを動作として動かそうとすると重力が感じられにくい浮いた絵になる違和感が発生する。

このことに気づかずに描き続けてもその漫画は絵として見れたものではなく、そこにはやはりある程度のセンスも要求される。

現段階ではそうであったとしても、これが今後発展した場合にはそれが多量に発生することが予測され、それでも結局はその頃には競争社会の中に入ることでどれも似たような作品で溢れ、その中で突出したセンスのあるものだけが評価されるようになる。

現状その漫画家達はこれに対して「今までの努力は一体何だったのか」と悩んでいるがその実、その漫画家達がそれを受け入れて利用すればそのセンスに素人が敵う訳がないし、ある種、どう便利になろうがそこに差が生まれるのだから大きく差が縮まるという簡単な話では無い。


漫画家は才能の塊

まず話をつくり、設定を用意し、構図を考え、プロットを書き、絵を描き、キャラクターに言葉を割り振り、それを締め切りまでにやり切る。まして商業なら売れる話を用意せねばならず、これは映画監督のようでもあり構成作家のようでもあり戦略家や哲学者のようでもある。文脈の整合性や絵の才能も要求され、更には不眠不休で働くという体力と精神力も要求される。

この時点であらゆる創作家よりも先を行っている彼ら彼女らが、その圧倒的なセンスと才能とやり込みからましてAIを受け入れて使われれば、もはや誰も敵うことは無い。

そこに他の専門性の知識が高ければそれに特化することも出来てしまう。


無意識に自覚しているから無気力になる

このようにどの分野であってもセンスとやり込みが要求され、今後AIの発展があるからと楽観していてはそれに対して没頭しているセンスのある者には必ず勝てないようになっている。

まず目的や目標を設定していた場合、どうしたって行動した者が有利に働く、ここに危機感を感じている人だけが行動でき、何も始めていない者は置いていかれていざそれを始めようとしても手遅れになることが殆どだ。

かといって無作為に始めれば圧倒的なセンスを持った者がそれを見て学び、瞬く間に追い抜いていく、人はこれを無自覚に自覚していて、始めない理由にも、やり込まない理由にもなっている。


無個性

謙虚さを欠くのは無自覚の無意識の自覚から来ている、どうせやっても敵わないと無意識下で本当はわかっていて、だからこそ他者の真似をすることで安心できる。そうしていわしの群れに参加しては「俺は私は人の真似をするのが嫌いだ」と言いながらも無自覚に無意識に個性を主張している。

ここに無いのは明確な目標であって、こうなりたいと願う内容に具体性が無い事によって他を気にする、そうすることで目標を見失い、結果として真似事をするということで自身の個性としている。


才能

やりたい事となりたい自分に才能があるとは限らず、才能とは他者が出来ないことをやれるのが才能。これは無自覚である場合が殆どで、他者からみて「どうしてそんなに簡単にこなせるのか」という分野がその者の才能となっている。

▲才能の発見と洗練されたファネル

これの意味するところは、そこが明確になればそこを伸ばす目標にもなる。これを中々自身では知れないから取り合えずやってみるというのが理に適っている。

そうこうしているとある日突然他者からそれはどうやってるのかとされる時が来て、そうしてそれが目標として具体性を増しやすい。

得手不得手というのがあるから、苦手な分野をいくら好きでもそれを目標とするとどうしても叶わない、あるいはとてつもなく苦労をしながら永遠とも感じられるやり込みを要求され、出来ない自分に苛立っては結局やめてしまう。

あっという間にその他者のセンスあるやり込める者に追い抜かれ、その手は何処にも届かずに途絶えてしまう。


理想は欲望でしかない

こうなりたいというのは欲求であって才能ではない、勿論それが合致することもあるが、大体が自身がつまらないなと感じるところに才能がある。何故ならそれが簡単にこなせるからこそ楽勝だと感じている、であるから物凄く楽しいとはならず、あまりやり込まずに気づかずに終わってしまう。

おおよそ、自身が二番手三番手に位置するものが自身の才能であることが多い。

その中でも明確にしやすいのが競技性のあるものの参加だ。

競技性のあるものは他者との比較がわかりやすい、だからこそそこに自身の才能を自覚しやすい、そうなればそれが目標ともなるので前進することが出来る。

目標が出来れば他に目が入りずらくなるので悩みが構築されにくい、このことからもどうしたって何かを始めてみるのが効率が良いとわかるだろう。


環境と運

音楽が禁止されている世界が仮にあったとしたら、それは誰からも評価されないがもし仮にその才能があった場合、それは何処にも生かせずに終わる。

そうなるとその世界が変わったのちに評価の対象となる。

つまりは環境の良さもその才能に左右される。


目標

目標を定める為には自身を知る必要がある、他者の刺激に反応していては自身を知るきっかけすら無くなることから、自問自答をいつかは行う必要があって、それはわかりづらいことからもまずはやってみてはそこから自身を知るという基盤をつくるのが早い。

これが早ければ若いうちから目標を定めることができ、まずその為に必要な目的を達成しながらその目標に向かうことで、あらゆる足元に落ちている小さな悩みが透明化され、それにつまづくことなく前進できる。

大人も影響力を考えれば常に学んだり挑戦することは必要になってる、それが目的にもなれば目標にもなることから、変にこじれて人を無意味に自身の不甲斐無さから攻撃したりすることも無くなり、まして影響力を持った人物として重宝もされるでしょう。

目標をつくるというのは自身を知るきっかけにもなり、自身の悩みが無くなっていくことにも繋がり、そこに楽しさも見出すことも出来るからこそ人間にとって最もわかりやすい幸福を得やすい手段のひとつである。

いいなと思ったら応援しよう!