【海外M/Mロマンス感想】Perfect Day by Sally Malcolm


キーワード:セカンドチャンス、身分差、田舎町
リバ:なし

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あらすじ

Finn Callaghan(フィン)とJoshua Newton(ジョシュア)は21歳の夏に恋に落ちた。フィンは俳優としての夢を掴むため、ジョシュアはハーバードの経営学修士を捨て音楽を学ぶため、彼らはLAで共に生活することを固く約来した。しかし保守的なエリート資産家の息子であるジョシュアは周囲の反対と説得により、フィンと別れることを決断してしまう。
8年後、孤独に生きるジョシュアは、父の逮捕により維持が難しくなった邸宅の整理を進めていた。ついに現れた邸宅の買い手はなんと、ハリウッドスターとなったフィンの弟だった。
フィンは自分のことなど忘れているかもしれない──それが良いことなのか悪いことなのか分からないまま、ついにフィンと再会することになったジョシュア。フィンの瞳に浮かぶのは、他でもないジョシュアへの憎しみだけだった。

感想

あらすじからも分かる通り、この作品はジェーン・オースティン著『説得』のオマージュ作品だ。ジョシュアが主人公アンで、フィンがウェントワース大佐というわけ。著者のサリー・マルコムは大のオースティンファンで、他に『Love Around the Corner』という作品でもオースティンを大きく扱っている。
本作品で特筆すべきは、オマージュ先の魅力を最大限に引き出しつつ「現代ものMMロマンス」として完成させているという点。
ヒストリカル・ロマンスをコンテンポラリー・ロマンスに書き換えて、更に主人公の性別まで変更するとなると、上手くやらない限りいろんなところで齟齬が出てきてしまうもの。例えば2023年に公開されたNetflix版の『説得』の場合、舞台は19世紀のイングランドのままだが、主人公アンやその他の登場人物の言動が現代的に変更されている。その結果、アンの普段の行動と原作を再現する上で避けられないプロット上の行動との間に矛盾が生じ、ストーリーの説得力が消え失せているのだ。キャラクターの考え方や性格というものは、身を置く環境や時代、家族や友人達といった周囲のファクターに大きく影響されるもので、このような中途半端なアレンジは悪手と言わざるを得ない。

閑話休題。本作の場合、時代は19世紀から現代へ、舞台はイングランドからアメリカのニューヨーク州ロングアイランドへと変更され、登場人物たちもまた『説得』とは大きく異なる(リメイクではなくオマージュなので当然のことではあるが)。さらに、オリジナルでは「将来性のない海軍見習いとの恋愛」が「貴族の令嬢」にとって許されなかったのに対し、本作では「貧乏な少年との恋愛」が「保守的な資産家の息子」にとって許されない状況へと変更されている。
それでも原作の核となる「切望」「嫉妬」「悲哀」といった主人公の感情が王道的に描かれているので、ドラマティックさはそのままにMMロマンスとして原作とは異なる魅力が加わっている。重要なプロットは崩さず矛盾のないようにアレンジされており、原作を読んだ方もそうでない方も楽しめると思う。特に当て馬の負傷シーンなんかは原作よりも緊迫感があった。『説得』は印象的なシーンが多く元ネタが分かりやすいので「ここはアレかー」とニヤニヤできるんじゃないだろうか。

全体的に上手くまとまってるが、何より主人公ジョシュアのキャラクターがよく書けていた。彼はロングアイランドに大きな邸宅を持つような資産家の息子で、傲慢で差別的な父や兄とは異なり楽天的ながらも思慮深い、音楽を愛する青年。しかしフィンとの別れから別人のように変わってしまう。自分の決断への後悔はもちろん、同性愛嫌悪的な家族への怒り、コミュニティに溶け込めない孤独や、ハリウッドの駆け出しスターとなったフィンの目に映る自分への羞恥心。様々な負の感情が彼を苦しめる。
再会したフィンからの拒絶に傷つきながらも、徐々に本来の自分を取り戻していく様や、不器用なフィンの行動に愛おしさが込み上げてくるジョシュアの感情表現がとてもよかった。とにかく読者がジョシュアに感情移入できるかどうかが鍵で、それに成功していると思う。ジメジメクヨクヨしてるありがちな幸が薄いキャラではある(土台がアンだし)が、フィンを想う姿がいじらしく高潔で、読者は応援せざるを得ないのだ。

また、原作と大きく異なる点として、ウェントワース大佐の役割を担うフィン視点を描いていることも挙げられる。弟の存在と兄弟の過去が物語を深め、オリジナルとは一線を画すキャラクター造形に成功している。このあたり、MMらしさが如実に表れてるところですね。
ただ、フィン視点を描くということは、ジョシュアが完全な「信頼できない語り手」ではなくなる、ということでもある。つまり、客観的事実と、語り手のバイアスがかかった出来事の区別がある程度できるようになってしまうのだ。これによって片側視点の美味しいところを失ってはいるが、それ以上に物語を盛り上げるのがフィン視点で描かれるフィンの「怒り」だ。
「怒り」が持つパワーはロマンスに緊張感とダイナミズムをもたらす。ジョシュアに対する怒りをフィン視点で目の当たりにすることで、2人の間の緊張感がより力強く感じられた。例えば、再会したジョシュアをフィンが冷たく突き放すシーン。19世紀の男女ではなく現代に生きる男性同士なこともあり、そのやり方がウェントワースと比べてあからさまだ。フィンは怒りを隠そうとしない。行動に現れるため展開にメリハリが効き、原作とは全く異なるテンポ感でストーリーが進んでいく。

セカンドチャンスものが好きな理由の1つに、「2人に空白の時間が発生したこと」に付随する駆け引きを堪能するのが好きだから、というのがある。相手のことはもう”none of my business”(自分にとって関係のないこと、自分がとやかくいう権利がないこと)なのだと自覚する切なさや、空白の時間に自分の代わり・もしくはそれ以上の存在になった人間への嫉妬……別々の人生を歩んできたことを実感した時のやるせなさって、言わばセカンドチャンスもののサビなのだ。
しかし本作の場合、8年間にありえたかもしれない二人の可能性を悔やむ気持ちにはならなかった。フィンのキャリアの確立とか、邸宅を売り払うことによるジョシュアの心持ちの変化とか、この辺りの描写のおかげでむしろ「8年経ったからこそ再び一緒になれた」というポジティブな印象しか残らなかった。これは作者の思惑通りだろうと思う。幸せで優しい読後感が得られることは、マルコムさんの作品の特徴かも。
そういう面では少女漫画のようなフィクションっぽさが強すぎるかもしれないが、逆にそこが最大の魅力でもあると思う。現代が舞台のMMはHookupsだのNo strings attachedだの、「セックスはできるが恋愛はできない」しかやらないですから。こういうピュアで胸がギュッと苦しくなるようなMMはもっとあってもいい。濡れ場も控えめだけど、焦らしが効いてるんで物足りなさは全くない。原作の流れを可能な限り忠実に再現しつつ、そこに至るまでの感情の変化を自然に描き、ロマンス成就によってカタルシスが得られるまで仕上げてきてます。
マルコムさんは過去に有名ドラマシリーズのノベライズを手掛けていたことがあり、既に存在してるプロットを下書きに膨らませる作業はもともとお得意なのかもしれない。さすがの手腕。

セカンドチャンスものが好きな方はもちろん、MMロマンス初心者の方、MMに食傷気味な方にもおすすめ。オースティンファンにもぜひ読んで欲しいなあ。

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