こんにちは! はじめましてえっかと申します。 いい歳になってから、 〝あれ…このままの働き方で自分は最後に幸せだったと心底から素直に言えるのだろうか…〟 と、ふと思ったことがはじまりでした。 長丁場になりますがお付き合い頂けるとうれしいです! 【転機】 友人からのお誘いでセミナーを受講し、そこからオンラインサロンに入り、コミュニティの存在を知りました。 そこで新たな世界を知り、SNS発信を始めてみたり、noteにもチャレンジしするきっかけをいただけたのです。 ずっ
今日は、”今”の巡り合わせに至るまでの話をしたいと思います。 遡って書くので、つらつらと書きます。 お時間ゆるす限りどうぞお付き合いください。 小学生〜中学生授業での工作や中学生の美術の時間に作成したものになぜか賞をいただくことが多かったのです。 といっても本人(私)は、一生懸命に取り組むと言うよりも、この時間は座席に縛られることがないためこの時間が好きだったのです。(あまりに自由にいたものだから家に持ち帰って作成してくることも多くそれが苦でもなく楽しんでいました) 中
Google先生を触っていた日、Googleフォトでスマホに入ってない昔の写真が出てきた。 そこには幼い子どもと山に登り、鐘を鳴らすというシーン。 幼い子供は紐を引いて鐘をならすことも知らない、また引く力もないのだ。 そのシーンを動画で撮っていた私が近づき一緒に鐘を鳴らすことをしている。 そもそも鐘が鳴る仕組みさえ知っていない。 そんな中一緒に鐘を鳴らすと、驚きよりも鳴ったことの楽しさ・嬉しさからと私は見えたけど、とにかく何んとも言えない初めてを知った時の顔はこうなるんだと思
「人間」 人と人とには間がある。 間があることで人が立っていられる。 間があることで人がよく見える。 近いと(間がない)と見えない。 足の先から頭までが見えない。 全体が見えていないと”誤った見方をしてしまう。” 反対に遠いと大事な部分が見えない。 ざっくりとしか見えない。 前者同様に”誤った見方をしてしまう。” だからこそ「人間」は、一歩下がって頭から足の先まで見える距離でいることがちょうど良いと思うのだ。 それが”間”ということであったりする。 人間だもの、喜
今朝もフリーランス学校のしゅうへいさんのVoicyを傾聴。 続けることは必ず形となったり、感覚であったりと現れるから続けることは大切であることをご自身の経験談を混ぜてお話しされていた。 もちろん”うんうん”と頷きながら聞いていた。 反面では「あの時出来たのに、今は出来ていない自分を卑下してしまうなぁ‥そう考えるとモヤモヤが生まれてくるんだよなぁ‥」 って思いながら聞いている自分がいた。 今の自分は形にもなっていなければ、結果も出していないが自分にとって一途になることを見つ
こんにちは、えっかです。 私はミニマリストまではいかずとも整えている環境にいることで心地よくいられるのです。 なので普段から整理整頓はしますが、ときどき急に部屋の中で大移動を起こします。 大移動の度に使わないものが出ます。 「こんな趣味もあったんだ」と過去の自分をどこか他人のようにみて面白がったりしながら片付けをします。(笑) 今日は片付け方法などについて書こうとは思っていないのであしからず。 まずはモノを減らす事に固執する前に読んでいただきたいのです。そうすれば片付けを
おはようございます。「えっか」です。 今日も子どもと一悶着の朝を終え、気付かされたことがあったので書きます。 怒った時ばかり自分自身を反省したりすることを繰り返していますが。。。 あれ?繰り返している? そこが変わってないってことだよね??ってふともう一人の「えっか2号」が教えてくれました。 正しい答えであるとか〇〇専門的とかは分からないので、これはあくまで私なり見解です。 感情の起伏がある時って、怒りの時だけじゃなく「喜怒哀楽」の感情が出た時にみえてくる。 怒った
こんにちは「えっか」です。 自信がないを“自分を信じる“に変わる日を想う今日この頃です。 私には小学生のこどもがいます。こどもは只今反抗期に突入したようです。 穏やかな波と思えば荒波に変わり、私はその波にはまだ上手く乗れず波に向かっていくことも多々。結果、大荒波を受けます。 母として我が子を毎日近くで見ているのに、変化に気づいて上手く付き合えることが出来ず悩む毎日。 こんな経験をしている、してきた、これからするであろう方々にこんなこともあるんだな、こんな感じ方もあるんだ
こんにちは、「えっか」です。 初めてのnote投稿をご拝読くださった方も、そうでない方も覗いてくださりありがとうございます。 今日は奇抜な題名になりましたが、実体験進行中の思いとして書き留めたいと思います。 前回の記事の通り、私は「自信がない者です」という者なんです。 どうしてそう思うのかも歳を重ねた今日、ようやく少しわかった気がします。 それは核となる部分に「自分へ問うてこなかった」ということ。 日々暮らしの中でどこかしら選択もしくは意思決定が必要になることは日常茶飯
はじめまして、「えっか」です。 「自信がない者です」 でも何か自分に持っているものがあってそれを活かしていけることがあるんじゃないかと思うようになってから色んなことを試してきました。 しかし、継続しない。次他のことをやってみる。 続かない・・・(やっている時は無我夢中に没入するほどなのに) とまぁこれを繰り返してきました。 プライベートも大事だけど、稼働する時間こそ辛いものでなく楽しみたいと歳を経て思うようになりました。それらを経て価値観を持てるようになりました。