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トーキョーデブリス

スクランブルスクエアの屋上から東京を眺めたら、無数の細かい破片が夕日に照らされてチカチカ光っているように見えた。当てもなく上に伸びていくコンクリートのビルの間で、俺たちはしぶとく生きている。

制御されたものと制御から溢れたものが編み出す眼下の光景に、写真は一体何ができるんだろう。トーキョーはデブリだらけ。再開発、SNS、イメージの氾濫、ノイローゼ、データ至上主義、NFT……。情熱の籠らない虚な瞳はスマホのディスプレイを繰り返し追ってみる。

抑圧された生がマスク越しの告白が、バラバラに成ったトーキョーデブリスの合間に閃いている。

身を翻して飛んでいく名も無き鳥に憧れ、四つ脚で地を駆る獣たちを羨むのなら、俺たちもこの血を燃やせばいい。拝金主義と中途半端な優しさに身を染めた屍を踏みしめて、恋をして酒を飲み汚れ踊ったらいい。

情緒の手綱を一度手放せばもう二度と元には戻らない。それがお前たちが見ている大人の姿だ。俺もそう、きっと半分くらい屍だ。

だから跳び越えろ。

トーキョーデブリスを舞台装置に、乱反射するLEDの光と太陽の輝きを背景に、生きる実感をその体に灯せ。


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