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第4章:触覚

マインドの本来の役割は、現象を分析しその原因を知ることであった。われわれは四つの感覚器官に閉ざされた文明構造の中で、大きな遠回りを余儀なくされながらも、少しずつ真実に近づいてきた。それは己を知る長い旅路であった。われわれはそれを宗教史と呼んだり、科学史と呼んだりした。

「”有/無”は分離して存在するのか?」これが地球人類が数千年かけて、進歩と呼んでいる歴史の中で問い続けてきたことだった。そしてそれは、目耳鼻口に囚われたマインドが抱き続けた違和感であったーー「”存在する/しない”の分離から脱れることはできないのだろうか?」

ついに最先端の理論と実験器具によって実証されたのは、2500年前に釈迦が説いた概念であった。『色即是空 空即是色』。この世は”点粒子/真空”とで分離しない。『あらゆる粒は波として拡がり、波は粒として収束する』。すべては、ゆらいだ電子の雲がより合わさって現れる。宇宙は確率の海であり、確率は偏りに沿って流れている。対称性は破れーー物質が存在し、星々が存在し、生命が存在し、それを観測する人体が存在するーーすべては秩序立っている。

それは観測者たち(因)が観測(縁)の重なりをもって現象(果)を成立させていることの証明でもあった。宇宙の秩序の一部として、われわれのカタチ《人体》がある。そして人体を感じさせるのはーー特定の感覚器官をもたない感覚ーー触覚である。

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触覚を他の四つの感覚と同様のものと考えたことが、地球人類に大きな混乱を招く元となった。なぜなら触覚と表現される静電気的知性《第一次反応》こそが、第二次反応である他の四つの感覚器官のみならず、あらゆる人体機能を作動させている原因だからである。例えば目耳鼻口が機能しなくても生命活動を続けることはできる。しかし触覚が失われたときには、目耳鼻口に異常がなかったとしても人体は活動を続けることはできない。例えば母親はマインドを通じて胎内の赤ん坊を形作るわけではない。静電気的知性が暗黙のうちに新たな生命を育むのだ。マインドとして機能する静電気交流は、人体を巡る静電気的知性のほんの一部分に過ぎない。

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『人体にマインドを従属させる』とは、触覚なる第一次反応に、目耳鼻口によって形成された第二次反応である自我を従属させることである。これは『マインドを放棄する』という選択ではない。マインドの扱い方を知ることだ。道具に使われるのではなく、道具を使う者として生きることだ。

言葉を慎み、体に委ねる。妄想を捨て、今を生きる。それは、宇宙を成立させている秩序から学び、寄り添うことだ。そして"自分/他者"の分割観測を止めて真に人を想うこと。その姿勢を纏うということだ。なぜなら生命とは、群れにおいて静電気的秩序を算出する活動態だからだ。ーー個人主義とは、人体生命の可能性を最低限に引き落とすマインド・セットである。そこで算出される現象は、それがいかに"1/0"を巧みに積み重ねたものだとしても、すべてがチグハグなのだ。

マインドには選択肢があるーーまったく滅茶苦茶な現状だが、もう少し誰もいない自我なる抽象空間で頑張ってみるか?いい加減に己の限界を認め、触覚の秩序に教えを乞うか?

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目耳鼻口の四つの感覚器官に囚われた人類のマインドは、上下対立同一化を繰り返し競争原理に基づく文明構造を築き上げたーーこの構造内において戦争が止むことはないーー戦争を繰り返しながら培われた科学技術は情報革命を起こし、超知性の到来へ向かって経済の方向性は決定づけられている。そして人類は、そのひとりひとりが、次の三つの道からいずれを選ぶのかを問われている。

一つ、『人工的超知性にマインドの管理を委任する』

一つ、『生体科学技術によってマインドの強化を図る』

一つ、『人体にマインドを従属させる』

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Give me your hand I really need your help
It's not a game これは現実だ 一体何なんだこれは?
君は学ぶことの多いこの人生に 真摯に向き合っているだろうか

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