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11年前、3.11直後の気仙沼市立階上中学校卒業式での、梶原君の答辞

本日は未曽有の大震災の傷も癒えないさなか,私たちのために卒業式を挙行していただき,ありがとうございます。
ちょうど十日前の三月十二日。春を思わせる暖かな日でした。
私たちは,そのキラキラ光る日差しの中を,希望に胸を膨らませ,通い慣れたこの学舎を,五十七名揃って巣立つはずでした。
前日の十一日。一足早く渡された思い出のたくさん詰まったアルバムを開き,十数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。

「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こるとも知らずに…。

階上中学校といえば「防災教育」といわれ,内外から高く評価され,十分な訓練もしていた私たちでした。しかし,自然の猛威の前には,人間の力はあまりにも無力で,私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。

天が与えた試練というには,むごすぎるものでした。つらくて,悔しくてたまりません。
時計の針は十四時四十六分を指したままです。でも時は確実に流れています。生かされた者として,顔を上げ,常に思いやりの心を持ち,強く,正しく,たくましく生きていかなければなりません。

命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし,苦境にあっても,天を恨まず,運命に耐え,助け合って生きていくことが,これからの私たちの使命です。

私たちは今,それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても,何をしていようとも,この地で,仲間と共有した時を忘れず,宝物として生きていきます。

後輩の皆さん,階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が,いかに貴重なものかを考え,いとおしんで過ごしてください。先生方,親身のご指導,ありがとうございました。先生方が,いかに私たちを思ってくださっていたか,今になってよく分かります。

地域の皆さん,これまで様々なご支援をいただき,ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
お父さん,お母さん,家族の皆さん,これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。必ず,よき社会人になります。

私は,この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に,本当に,本当に,ありがとうございました。

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