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「使い古された」がやっぱり好きだ。展示「手沢展」を経て

2022/12/04に徒小僧のメンバーで2度目の展示「手沢展」をギャラリー林檎の木で開催した。その感想を残しておこうと思う。

両親が見にきてくれた。自分の親に話すは恥ずかしいけど、説明しないのはもっと恥ずかしい。

01.はじめに

まず、見慣れない手沢という単語について、ネットで調べてみよう。

しゅたく【手沢】
長く使っている間に、手のあぶらがついて自然に出たつや。転じて、故人が身近において愛用したもの。

goo 辞書

つまり、今回の手沢展は使用感のある物の美しさやかっこよさに着目した展示だ。前回の「いいはどこだ」とは違いシンプルに我々が好きなテイストを一緒に堪能しようというもの。
やっぱり僕は寂びたモノが好き。

手沢とは。

今回は、内容がシンプルなので展示した写真・造形のどこに手沢的な良さを感じたのか。僕なりの視線を共有したい。

02.写真で感じる手沢

使用感のある道具たちといっても、僕らの手元にはそういった道具の数が少ない。そこで、地域のお店に協力をしていただき、日頃使っている道具の写真を撮影した。

手沢を並べていく。

普段通っているお店であの人が使っている道具たち。
「手癖が記憶として道具に刻まれた痕跡を見てさまざまなストーリーを妄想する。この侘びた心に浸る時間の尊さを再認識する。僕はあなたの手沢に支えられて豊かな時間をいただいている。ありがとう。」

消える印字がミシンの動作音を聞こえさせる。
何人の人とコミュニケーションしてきたのだろう。
先輩と後輩と。
これぞ手沢。

03.触りたくなる絵

まずは、作品を見てもらいたい。

そうそう、触れたくなるよね。

ぬるぬるとした木の表情についつい手が伸びる。
触りたくなる魅力がそこにはある。
そう、これはこれから長い時間をかけて寂ていく絵。
メンバーのちーくんが「飾っておくだけでない、触りたくなる絵」を作りたい。といって作ってきたのがこの作品。
この表情の豊かさにも驚くが、今「触れたくなる」をやることに意義を感じる。写真を撮る、文章を書く、本を読む、映画を見る、音楽を聴く、が全て四角いガラスに触れると叶う今、コロナも相まって身体性が失われる速度が半端じゃない。
この絵を撫でながら、僕は何に触れ、手沢を残し、身体性を取り戻すのか。。。そんなことに想いを馳せる。
「手を動かせ」という叫びが聞こえてくるんだ。

今は僕の生活に溶け、「手を動かせ」と語りかけてくる

04.おわりに

今回は、割とシンプルに「いい」を思えるものをセレクトしてきた。
「いいはどこだ」という展示に自分自身で「もっと自分の感覚を信じろよ」というエールをもらってアウトプットした感じ。
終始「いいね。気持ちいい。」といっていた気がする。
でも、こういうのをやると自分の価値観を破壊したくなる。天邪鬼なのかな。近いうちに、もっと思考する展示をやりたいな。

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