生き残らなくては。『暖かさ』の絶えゆく、この世界で。「終わる世界とキミとぼく」プレイレビュー・感想編



 一億総クリエイター時代となって久しいこの令和2年に、個人製作ゲームらしい愛着と執念の詰まったゲームがまたひとつ爆誕した。


ジャンルとしては謎を解き、ランダムに探索でアイテムを取得するローグライトで進行し、崩壊した世界でのかなりシビアなサバイバルを体験できるノンフィールドテキストアドベンチャー、と言ったところだろうか。


作者であるEIKI`氏のツイートを見てもその雰囲気はよく伝わるだろう。モノクロの画像と、インターフェースと、2人の立ち絵。淡々と進んでいく、探索とテキスト。静かに、しかし重厚に描写される生と死のあれやこれは『寒い・冷たい』という概念的な質感が非常によく出ている。

ノンフィールド+崩壊世界+サバイバルともなれば、やはりその難易度は高い。EIKI`氏も本作のストアページにて"一人で挑むようにはできていません。"と最初から明言しているほどだ。プレイヤーたちが情報を取得し、覚え、ときには共有して集積していくことで「ぼく」と「マチコ」を生き延びさせ、より良い末路へと導いていくことが求められる。


 基本、私がゲームの話をするにあたっては終わりの無いもの・ストーリーの無いものでない限りはクリアするまで語るまい、というスタンスでいるのだが、今この「終わる世界とキミとぼく」(以下「セカボク」と略す)に限っては、まだ良いENDを見れていない状態で書いている。

何故か。簡単な話だ。「セカボク」は「運ゲー」「理不尽」「不愉快」といいように叩かれていいゲームではないと可及的速やかに主張を形にしたかったからである。

 確かに、本当に難易度は高い。高いし、最序盤に悪いランダムイベントを引いてそこからじり貧で命や精神が擦り減って数日で「ぼく」か「マチコ」が死ぬ…というプレイも簡単に発生しうるバランスではある。しかし「ローグ」っぽいゲームは多かれ少なかれみなそうである。

かの有名な「風来のシレン」シリーズだって、拾えるアイテムがことごとくロクなものでは無い回というのはある。この「どうしようも無いツモの悪さ」はローグライトを名乗る以上はそういうものとしてある程度は割り切ってプレイしてもらわねば困るのだ。

……と擁護はしつつも、ストレスを感じる遊び心地であることは認めねばならない、とも思う。特に辛く感じるのは【不自由なn択】を選ばされる時だろう。

例えば、あるランダムイベントでは「マチコの体力」か「マチコの精神」、どちらかを天秤にかけて犠牲にしなければならない。わかりやすい【不自由な2択】の展開であり何も得るものはない。"全ての選択肢は必ず被害を最小限に抑える方法があります"とは作者・EIKI`氏の言であるが、これに嘘は無い。選択肢が発生する限りは『どうすればよりマシか』をプレイヤーが選ぶ権利はあるわけだ。なお選択肢も無く「ぼく」がケガするバッドイベントの存在。あれをはじめの数日で引くと本当に「うっ、運が無ぇ~!!」と嘆きたくはなる。そこは認める。

 評価が賛否分かれているポイントとしてはそこだろう。確かに被害を抑えるやり方はある。マイナスを食らわずゼロで済む選択肢でイベントをやり過ごせたりは案外できる。しかし、スマホゲーマーの中には【選択肢があるのならそこにプラスの選択肢があって然るべきではないか】という考え方のプレイヤーも居るだろう、という事だ。

ただただに『ゲーム』として考えれば、その意見もあまり間違いと頭ごなしに否定できるものでもないだろう。楽しむための『ゲーム』なのだから、じゃんじゃんざくざくプラスを得られればそりゃ楽しい。『ゲーム』でストレスをためては、多くの場合は本末転倒である。

しかし「セカボク」はそうではないんである。ぶっちゃけた話、「セカボクは」200円ちょっとで『無情さ』や『怖気』、『辛さ』を好んで買うようなものと考えてもいいほどだ。

そういう所が「セカボク」の良さ、そして個人製作のインディーズゲームの良さではないだろうか。メーカーが作る『多くの人々のためのゲーム』では中々追求できないレベルの尖り、辛さや痛みをこれでもかと振り注がせるようなゲームだって、あってもいい。存在したっていいのだ。その正しさは、海外のとある一人の男が作ったゲーム「LISA: the Painful」が証明している。

このゲームバランスのキツさ、不自由なn択は【終わりゆく世界での、何の庇護も救いも癒しも無いようなシビアなサバイバル】としては納得のいくリアルさだと私は解釈している。そしてこういうのがたまらなく刺さる層というのは居る。居るのだ。「セカボク」はそういう層向けのゲームと言える作品であり、口に合わない人もいるだろう、そういうゲームである。実際、正直私はこの手の辛さはあまり得意な方ではなく、一日2プレイくらいでゆっくり味わって、辛さに対するひとつの逃避としてこの記事を書いている。そうして逃避をしてもなお、断念しようとは思えない。それだけの圧と惹き込む力を「セカボク」の中に感じ取っているのだ。

襲い来る様々な辛さの中で、それでも私たちプレイヤーが挑み、積み重ねていくことでこの神も悪魔も見放したような荒んだ世界の中にも、そこはかとなくうっすらと『道』が見えてくる。その段階に至れれば、「セカボク」の良さがわかってくる人も増えるはずである。攻略ヒントとして別の機会に述べるが、いくつかの確定イベントがあったりわかりやすいテキストの示唆があったりと、慣れて行けば「運ゲーは否定しきれないけど理不尽ゲーではそんなに無い」のが感じられるはずだ。

「セカボク」は、容赦は無いが慈悲はまあまああるゲームなのである。実は。それだけは、強く強く主張し人々にお伝えしたかった次第である。


 重ねて言うが、私はまだ良いENDを見れておらず道半ばである。しかし、既にあの世界を一通り遊びつくしたプレイヤーからはおおむね良い評価が述べられているのを見かけている。

今は辛くとも、乗り越えたその先に在るものはどうやらとても素晴らしいらしい。私は、先駆者の言葉と作者さんの自信を信じて、今後も少しずつ「セカボク」の世界への探求を絶やさず進めていこうと思う。

そして後に続く人達のために、攻略情報やヒントを記したnote記事を同時に公開とする。あなたたちの「ぼく」と「マチコ」が生き延びる手がかりとして欲しい。お互い、頑張っていきましょう。


えっサポートしていただけるんですか?ほんとぉ?いいの? いただいたサポートはものを書くための燃料として何かしらの物体になります。多分。