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こんぴらさんへゆく

山本英晶といいます。
36歳の、ふつうのおじさんです。
このnoteは、妻と娘とともに香川県の金刀比羅宮(こんぴらさん)にお参りした旅の、写真日記のようなものです。

僕は生まれも育ちも岡山で、物心ついたときには瀬戸大橋という壮大な橋がかかっていました。テレビの天気予報は岡山と香川の予報がセットで流れ、「おぅやひんなぁいっかっくぅ!」というCMが夜のテレビでいつも流れ、よだれが流れ(大人になって食べてもおいしかった)。香川とは海をはさんではいましたが、とても身近な県でした。
こんぴらさんも「とにかく階段がすごい場所」というので幼少から薄っすら知っており、娘が生まれる前にもうどん旅行がてらお参りし安産を祈願したところ、ありがたくうまいこと生まれてきました。
気がつくと、もう3年が経っていました。そろそろお礼参りにと、例の波の合間をぬってようやく行くと決めました。


一泊二日の旅程の出立時、天気は雨でした。妻がものすごい(本当にすごい)晴れ女なので珍しいものだなと思いましたが、きっとどこかでやんだり晴れたりするだろうと傘も持たず(それくらいすごい)岡山駅まで行きました。
こんぴらさんは雨が止む予報だった翌日に参ることにして、まずは新屋島水族館へ向かうことに当日決めました。娘もイルカに会えると聞いて、わくわくです。
今回の旅は、アンパンマントロッコという列車に乗ることも一つの目的で、出立の一週間ほど前にみどりの窓口を訪ね、帰りの電車をアンパンマントロッコにしていました。
その際に取り急ぎ琴平駅までの往復で切符を購入していたので、行きの乗車券の行先を屋島駅に変えてもらおうと切符を取り出しました。すると、なんと、なんと、帰りの電車の特急券が、一泊旅行なのに初日の日付になっていることに気が付きました。びっくりぎょうてんおおさわぎうちじゅうまちじゅうおおさわぎ。帰りの電車をアンパンマントロッコに、と窓口で相談したときに、どうやら日付を伝え忘れていたようです。慌ててみどりの窓口で相談しましたが、乗りたいと思っていたアンパンマントロッコはもう残り一席だったので、潔くあきらめました。

係りの方が近い時間の土讃線アンパンマン列車への変更をご提案くださり、払い戻しやらなんやらでいったいいくらお支払いしたのかわけがわからないことになりつつ、本当に助かりました。その間、娘は僕とカウンターの間に入り込んで、窓口の方やほかのお客さんと非言語的なコミュニケーションをとっていました。


そうしてなんとか乗りたいと思っていた時間のマリンライナー(いつみても名前がかっこいい)に乗りました。瀬戸大橋を渡るのは、36歳のおじさんになってもわくわくどきどきします。

マリンライナーから特急に乗り換えた高松駅はごみ箱もアンパンマン、そして乗り換えた電車もゆうゆうアンパンマンカー。すごいぞアンパンマン。娘が喜んでいるぞアンパンマン。

娘はプラレールのカンカンと鳴る踏切をひたすら眺めているくらいに踏切がとても好きで、通り過ぎる踏切を毎回視線で追いかけて楽しそうでした。
屋島駅で下車し、ここから水族館のある山の上(どうして水族館が山の上にあるのだろう)まで行ってくれる、だれでもどこまででも一人100円、というわかりやすい料金体系のシャトルバスに乗り換えました。

山はもやがかかっていて、バス停のある駐車場から水族館への道は、小雨の降る幻想的な小道になっていました。妻は雨にちょっとショックを受けていましたが(それぐらいすごい)、3人は水族館まで、傘なしでずんずん行きました。


新屋島水族館には大した前調べもなく行くと決めたのですが、とてもよかったです(コインロッカーがないのは惜しかった)。全体的にきれいな青で雰囲気が統一され、金魚の展示スペースも幻想的で、3人で長い時間みとれていました。僕は過去にアクアリウムにはまっていた時期があり、当時飼っていたアフリカシクリッドの熱帯魚たちにも再会することができました。オスの体色のブルーが、テーマ色のブルーにとてもよく合っていました。

金魚にエサをあげられるコーナーもあったのですが、我も我もとものすごいことになりました。娘は生き物にエサをあげるのが大好きで、ほかの大人もビビる中で動じずエサを撒き続ける娘が頼もしかったです。

もやの中を飛ぶイルカは、とてもかっこいい生き物でした。娘はイルカにも嬉々として魚をあげていました。そしてまだ旅程は序盤にも関わらず大きなイルカのぬいぐるみを売店で買うと、水族館を後にしました。


水族館を出ると雨は予想通りやんでいて、屋島寺を通り抜けながらぐるっと回るルートでバス停まで戻ることにしました。もやで完全なノーパノラマをスルーして進むと、お寺の中では大きなたぬきの家族の石像がものすごい雰囲気を醸し出していたので、三人で拝んでいきました。野良猫も、なんだかありがたみがあるような気がしました。

バス停の近くには休憩所があり、静かな中で次のバスを待ちました。娘は少し眠さでぐずぐずなりかけたので、アンパンマンの自動販売機でジュースを買って飲んだりポケモンGOをするなどしてすごしました。


バスを琴電の屋島駅で下車し、琴電琴平駅まで長い間電車にゆられました。文字通り結構なゆられ加減でしたが、娘はその間僕の抱っこでぐっすりと眠っていて、ちいさな赤ちゃんだったころを思い出しました。途中の電車のイラストは、偶然僕と妻をめっちゃ美化した感じになっていて笑いました。

宿泊先は思っていた以上に大きな建物の旅館で、通路の突き当りやエレベーターホールに毎回置物や着物が飾ってありました。娘は旅館の売店あるあるの、いつからおいてあるのかわからない旅先と縁もゆかりもないドレッサーをゲットして喜んでいました(封に使われていたセロハンテープがすごくひちゃひちゃ)。あまりに楽しそうに遊ぶので試しに僕も借りて使ってみましたが、一つ一つのおもちゃの出来がよく、お値打ち品でした。もしかすると旅館の売店は、いにしえのいいおもちゃが定価で手に入る穴場なのかもしれません。


旅館にあった居酒屋にうどんもあるというのでそこを利用しました。娘はうどんが大好きで、3歳ながら大人の一玉を普通に平らげます。日本酒も焼き鳥もおいしく、とてもいい気分になりました。


旅館ならではのなぞのアーケードスペースには、中学時代にアホというほど乗ったレースゲームがありました。そして娘は新幹線の乗り物を楽しそうに運転していました。
備え付けの露天風呂にUFOキャッチャーで手に入れた不思議な色の金魚とともに入った後、一番最初に床に就いたのはイルカでした。



朝食のビュッフェに行くと、娘は受付のおねえさんにもじもじとかくれながらうどんをたくさんおかわりしていました。僕はいつも旅先ではよく眠れないのですが、寝不足でぼんやりとビュッフェで食べ物を選ぶ時間が好きです(そうしてたいてい和洋折衷のよくわからない皿ができあがる)。

僕がイルカ役になって娘と風呂場で椅子取りゲームを100回した後(おおげさじゃなく娘は気に入ったことをなんぼでもやる)、大きな荷物を預けつつ宿を9:00前くらいにチェックアウトしました。今度は、ヤドンのお部屋にも行ってみたいです。

ではこんぴらさんへ、と我々は参道と逆方向にある琴平駅に向かいました。電車ではなく、タクシーに乗るためです。以前身重の妻と参ったとき、タクシーでとある駐車場まで行き、とあるカフェを利用しショートカットする、という裏ルートを利用しました。今回も我々に残された体力のことを考慮し、ショートカットルートを選びました。

ところがタクシーの運転手さん曰く「あそこは10時近くにならんと門があかんからいかれん」とのこと。娘はタクシーに乗れずしょんぼりしていましたが、駅前をぶらぶらすることにしました。藤の花が、とてもきれいに咲いていたり、タンポポの綿毛を飛ばしたりして、娘はすぐ元気になりました。

そろそろ行こうかと思っていたところに通りがかったタクシーが偶然うどんタクシー(運転手さんがうどんのお店にめっちゃくわしい)で、少し申し訳ないながらもうどんと関係ないカフェの駐車場まで乗せてもらいました。山には、自生する藤も力強く咲いていました。

これまでの人生で最も高価なパフェを3人でうきうきと食べてから、気合を入れて階段をのぼりはじめました。

娘は階段が大好きで、あっという間に登ってしまいました。ついていく大人二人はもうへとへとです。ショートカットで正解でした。登った先には、この日はパノラマビューが広がっていました。

僕はおみくじの大吉とあまり縁がありません。以前こんぴらさんで引いたおみくじが財布に入っていたので、それを結び、新しいおみくじを財布にしまって下り始めました(奥社は今回は参らず)。ちなみに前のおみくじも、小吉でした。

娘は参道の階段を飛ぶように降りていくので、手をつないでペースを合わせるのが精いっぱいでした。あっという間にお店の並ぶ参道まで下り、笑う膝でうどん屋さんに入りました。たくさんのうどん屋さんとうどんタクシーがあるこの町は、うどん好きな娘にとっては天国かもしれません。

思っていたよりも早めに駅に戻ってきたので、また周辺をぶらぶらとしたり、駅に入ってきたツバメを眺めるなどしてゆっくりしてから、アンパンマン列車に乗り込みました。

アンパンマンに囲まれて娘はやがて寝て、家に帰ってもしばらくぐっすりと眠っていました。とても幸せな気分だったろうと思います。ありがとうアンパンマン。ありがとうこんぴらさん。ありがとうどん。
娘のアンパンマン熱が冷めないうちに、アンパンマントロッコにも、うどんタクシーにも、いずれリベンジ乗車したいものです。そのときは、こんぴらさんも、表参道からお参りしようと思います。奥社は、またおいおい。


最後までご覧くださり、ありがとうございました。
娘はまだ幼いですが、知らない土地、地形、お店、人々との触れ合い、そのとき買ったものを、いずれ忘れてしまっても、何か残るものがあったらいいなと思います。


(了)

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