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#4 生きることを許してくれ

涙は何処へ

皆は悲しい時やつらい時、涙を流すはず。
でも、私はそれすらもうまく出来ない。
正確に言うと、「悲しい」や「つらい」は人一倍感じる(と思っている)のだが、涙だけが出ない。
泣きたくても泣けない。無意識に押さえつけている。

これの原因は私自身の過去にあると推測している。
ここで少し、自分語りに付き合っていただきたい。

戦い続けた幼少期

幼かった私にとって最悪の時代の始まり。
小学校1年の頃。
私の小学校は給食があった。まずいとも旨いとも言えない、文字通りなんとも言えない味だったことを覚えている。しかし問題は味ではない。
担任の教師が問題だった。

今の時代では問題として取り上げられそうな、
「給食食べ終わるまで居残り」である。
一応言っておくが、2000年以降に生まれている。

私は好き嫌いがとんでもなく激しい。特に野菜。
今やっとキャベツの千切りとかを食べられるようになったくらい。
この話からもなんとなく察せられるように、居残りは日常だった。我慢をし続け、無事進級をすることはできたが、大人への不信感は募るばかりであった。

小学校2年


このあたりから教師ではなく生徒間でいざこざが起こり始めた。
覚えているのは、同じクラスの生徒にひっぱたかれたこと。理由はわからない。
同級生に対しても、疑いを目を向けざるを得なくなった。

小学校3年も似たようなことが続き、
小学校4年へ。


ここでは女子に対するトラウマが生まれることになる。
夏にはプールの授業があり、多くの生徒がこの授業を待ち望んでいた。私は多くの生徒の中には入っていないが。
いざ授業が始まる。小学生なので、派手に泳ぐようなことはせず、レクリエーションのようなものがほとんどだ。その中に、「プールの中を歩く」というものがあった。
(これだけだと分かりづらいので解説すると、プールの横12mほど、向かい側に向かって歩く時があった。ちなみにこれが大嫌いだった。)
このとき向かい側には女子が並んでいるのだが、この女子に水を大量にかけられ、溺れかけるという事件があった。あの時の憎たらしい顔は一生忘れないだろう。

そして小学校5年。

ついにこの日が来てしまった。
いよいよ殴られたのである。
それは腹の立つ女であった。他人のことなどまるで考えていない事がわかる言動は、私のストレスになるのに十分であった。

そんなことを考えてるのがバレたのか、それともただの憂さ晴らしなのか、殴られてしまった。
近くにいた者が止めてくれたが、私は動揺していて何が起こったのかちっとも分からず。
殴られたこと以外今も分からぬまま。

比較的落ち着いた小学校6年生を過ごし(ここでも殴られるこたはあったが)、中学生になる。
中学は後に受験という人生におけるターニングポイントが待ち構えているためか、皆落ち着いていた?ように見える。
まあ落ち着いているからと言ってトラブルが無いわけではなく、当たり前のように被害者にさせられた。(上と似たりよったりなので割愛)

ここに書いた事はまだ一部である。掘り出そうと思えば出てくるが、これ以上はフラッシュバックするのでやめておく。

ここで冒頭の話題に戻るのだが、
なぜ涙が出ないのか。結論を言ってしまえば、
我慢してしまったから」である。

ここに書いた出来事はほとんど教師に相談したが、通る事の方が少なかった。だから、自分でどうにかするしかなかった。もしくは我慢するしかなかった。
涙を見せればさらにひどい目に合う。
そう思い、涙を枯らした。
それが今になって、苦しみを吐き出せなくしている。
私は今、就職に向けて動いているが、うまく行かない。幼少期から人間への不信感を募らせたために、誰にも相談出来ない。たとえ肉親でさえも信じていない。

こうして客観的に見るとなかなか酷い生き様だと思う。こんなヤツの人生に輝かしいものはないだろう。きっとそうだ。

そして今

もう泣きたいとは思わない。泣いても無駄なのはわかっている。だがこんな駄文にしてでも吐き出さずにはいられない。
私は何のために生きているのかわからない。
誰かのために何かできるわけでもなく、
ただ息をしているだけ。
こんな私でも、生きていていいのだろうか。
誰か、私に生きることを許してくれないだらうか。


たぶんまだつづく。
次こそはポジティブな話題を出せたらいいな。

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