フェースブックに投稿できない『誕生日の公開やめてみた!』note記事。さて、何人からおめでとうが来たか?〜でも爽快です!
思うところあって、フェースブックの誕生日公開をやめてみたことについて、『やめてみた』シリーズ第2段として書きたい。もう何年にもなりますが、公開に戻そうという気はないぐらい、モヤモヤがなくなり、むしろ爽快です。
さて、タイトル通りのクイズです。
クイズ、さて、何人からおめでとうが来たか?
公開をやめて誕生日に何人の人からおめでとうが来たと思いますか?
前提条件が必要ですね。私の友達はその当時300人。誕生日メッセージ数は毎年50人程度から来ていました。
カッチ、カッチ、カッチ、はい!答えは?
衝撃の結果、答えは?
ゼロでした。
いつも50人から来ていて、あんなにおめでとうメッセージをやり取りして、その年齢に対する所信表明みたいな文まで書いたりしていましたが、ゼロです。
へこみそうになりましたが、逆に自分が誕生日を覚えている人なんて、家族と昔の○人と、本当に仲のよい知人と、自分と同年同日生まれという希有な知人ぐらいだ。相手が覚えていることを期待してもしょうがない。
母からのラインのみ
そして、母からLINEで誕生日おめでとうというメッセージが来た。
「あんたの誕生日に決まって咲く庭の百日紅(さるすべり)が、今年も真っ赤に咲いてますよ」と。
私はそもそも誕生日に重きを置かないタイプだ。好きな人やパートナーと祝うのではなく、「親に感謝する」のがあるべき姿と思っている。
なので、いつも母には丈夫に産んでくれてありがとう、と感謝を伝えている。出場マラソン大会全9回完走、ウルトラマラソン100km2度完走、テニスの試合でも足を痙ることもなく、感謝し過ぎることもないほど。
コミュニケーションツールとしての誕生日
話がそれたが、フェースブックの誕生日は友達同士のコミュニケーションの手段の1つ。それによって、自分の友達で誕生日を公開している人には年に1度コミュニケーションの機会を作ってくれる。
このコミュニケーションとしての誕生日公開は否定しない。私自身、マネージャ時代は会社のメンバーの誕生日をカレンダーに入れてコミュニケーションネタにしていたこともある。
しかし、チームメンバー5,6名に対して、現在FBの友達400名以上だと、計算上毎日1,2人は誕生日の人がいる。出すのも大変だし、もらっても個別に返事は出来ない。返事する人しない人を作るのも何なので、みんなに対して年賀状の挨拶みたいな文を書くことになる。
デート用アプリだった、からの、誕生日公開
FBは映画でもご存じのように、元々大学でデートをするために名簿をアプリ化したものだ。だから、誕生日も、交際ステータスも、趣味も重要な基本情報として用意されて残り続けている。会話のきっかけやデートに誘うタイミングに使われているもので、私には必要ないかな、もはや。
などなど色々と思うところあり、試しに誕生日公開をやめてみたわけだ。
そして、やっぱりお祝いメッセージが来るのは、お互いに誕生日を覚えている知人か家族だ。それでいいのである。
むしろ爽快です
誕生日公開をやめてから、戻そうと思うことは今のところない。誕生日のお知らせが来ても気にしなくて良いし、自分の誕生日にも来ないので、返事を書かなきゃとプレッシャーに思う必要もない。始めて誕生日にゼロだったときはちょっとがっかりだったけど、それ以降はむしろ爽快に、祝うべき人と祝う誕生日を迎えているし、元々誰に何も言われなくても気にせず、親に感謝すれば十分な日なのである。
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