解体係 キャラクターエピソード Cp.8

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VRC環境課

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黄昏の空、影絵の人々。
その中で唯一淡く輝き、机を挟んで相対している少女はティーカップを傾けた。

『貴方も如何?』

自分に問いかけられているのだと気付くまでにしばらくかかり、何度か首を横に振る。

『そう』

気を悪くした様子も無く、少女はもう一度手元を傾けた。
何も無い空間だけが過ぎていく。
空は未だ黄金色のまま、流れない雲と動かない影が静かに佇んでいる。

『静かね』

頷く。

『何も変わらない、何も動かない、進むことも戻る事もない』

それは停滞であり、終焉であり、

『私たちはそういうものだものね』

空のティーカップを机に下し、陶器の触れ合う軽い音がした。

『そうでしょう?』

どうしてか、その言葉には頷けなかった。

『嘘つき』

どうしてか、その言葉には反論出来なかった。
沈黙。

『ところで』

先ほどまでのやり取りなど無かったかのように、少女の声色が変わる。

『最近、よく眠れてるかしら?』

空は未だ黄金色のまま、流れない雲と動かない影が静かに佇んでいる。
視界に映る【世界】は何も変わらない。
ただ自分だけが場違いであるかのような感覚。
足元がおぼつかず、いつの間に立っていたのか、揺れる視界、あるいは世界そのものが、倒れ込む様にして、崩れ落ちるようにして、前に後ろに。
暗転。


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「あれ……?」

目を開く。
コンクリートの天井と、視界の端に水がなみなみと注がれた水槽が映る。
問題はそれが逆さまに見えていることくらいだ。
端末の表示はついさっき確認した時間から数分が経過しており、どうやら気を失っていたらしいと溜息を付いた。

「うーん……」

先日の調査後から、どうにも調子がよろしくない。

「フィジカルチェックを要請してみますか……?」

と言ったところでそれを実行に移すつもりは無い。

「まあ、許可は下りないでしょうけど」

聖遺物融合体―――分類としては無機物に該当し、所謂ヒトではない存在。
そして世界の物理法則からも外れた明らかな【異物】。
解体室地下に存在する隔離施設でのみ許容されるその異常性は、自分自身が一番理解している、と思いたいところではあるものの。

「うん」

時刻は午前四時を少し過ぎたばかり。
庁舎に続く梯子に手をかけた。


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廊下を歩く自分の足音と、微かに漏れ聞こえる作業音が合間合間に響く。
遠目に見える食堂の明かりの先、いくつかの人影が見えたがその色は薄い。
薄い白。
重なるように赤。
ぐらり、と壁に背を預けて深呼吸。

「ふぅー……」

心当たりはある。
あの日を境に、もっと具体的に言えば課員の負傷を目の当たりにした瞬間から。

「怖いんでしょうね」

白々しい言葉は口から抜け落ちていく。

「誰かを失う事が」

ある少女に寄り添う【死】を覆したのは白磁の様な美しい女性だったと言伝に聞いていた。
陳腐な言葉選びになるが、そうあったのはただの奇跡でしかない。
次に誰かがそういう怪我を負ったとして、その女性が来るとはとても思う事は出来ないし、ましてその場で命が潰えてしまう可能性も十分に高い。

「それは、悲しいですから」

誰かを失う事は【悲しい事】だから、と思う。
思う?
何を?
どうして?
刹那に浮かんだ詰問は同じく刹那に消えていく。
嘘つき、と言われた気がした。


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自動販売機から出てきた強炭酸の飲み物を手に取った。
開封した瞬間に口を付けなければ半分零れる程の炭酸の強さをキャッチフレーズとしたせいで売れ行きは今一つである。

「眠れないのか」

課長室から出てきた灰色の猫が尋ねる。
皇純香。
私の全てを知る数少ない人。
だから、そのずれた質問が可笑しくて。

「ふふ、あ、いいえ」

小さく眉を潜められたので、慌てて弁解を挟む。

「まあいい。だが体を休められる時はしっかりと休めておけ」

「課長もですよ。ちゃんと休んでますか?」

「そうだな」

他人事の様に肯定しつつ、視線は斜め上を眺めている。
最近の不調について伝えておくべきだろうか、と思う。
余計な心配をかける必要はない、とも思う。
いざという時に自失していては使い物にならない、とも思う。
ちくりと痛む、無視をする。
しばらく無言でそうしていたが、やがて飲み物は無くなった。
空き缶をゴミ箱に投げる、外れたので拾っていれる。

「戻りますね。課長も無理はしないでくださいね」

「―――大丈夫だ」

その言葉は。
いつか。
その顔は。
どこか。


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庁舎の屋上で横になる。
常連の黒猫はまだいない様で、広くはないスペースを独り占めだ。
屋外は様々な音で溢れていて、白黒の人並の合間に点々と鮮やかな色が見て取れた。
【日常】という言葉が当てはまるその風景を見て、不意に。

「嫌だなぁ」

誰のものでもない【日常】であり、自分にしか感じ取れない【日常】。
それが失われる事が怖い。
それを構成する何かを失う事が怖い。
酷く自分本位な我儘であると自覚して、自覚した以上その思考は止まらない。
大丈夫だと言ったあのヒトの表情を思い出して、そしてようやく、目を背けていたものが何なのかを理解した。

「私が、嫌なんですね」

誰かが傷付くのも、苦しむのも、それを見るのも、それを見てまた別の誰かが悲しむのも、嫌だ。
全て自分の身勝手な願望であり、渇望と言える程に強く求める心。
感情が希薄であるなどと、どの口が言えるのか。
あるいはずっと前から、最初からそう思い込もうとしていただけなのかもしれない。
苦しむ誰かを見るのが辛くて目を背けた。
傷付く事を恐れる誰かに気付かないふりをした。
喪失の可能性を前に気丈に振る舞うしかない痛みに触れずにいた。
ただ自分の役割を当てはめて、そうあるように振る舞おうとしただけ。

『嘘つき』

反響する言葉が揺れる。
暗転。


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黄昏の空、影絵の人々。
その中で唯一淡く輝き、机を挟んで相対している少女はティーカップを傾けた。

『貴女も如何?』

少女の声は、なるほど、自分の声とは違うんだなと今更ながら理解した。

『静かね』

頷く。

『何も変わらない、何も動かない、進むことも戻る事もない』

それは停滞であり、終焉であり、

『私たちはそういうものだものね』

空のティーカップを机に下し、陶器の触れ合う軽い音がした。

『そうでしょう?』

何度も繰り返したはずの問い掛け。

「いいえ」

初めての返答。

「いいえ」

噛み締める様に、繰り返す。
目の前の少女は静かに目を閉じた。

「私は一人では変われない、だけど私は一人ではない」

色鮮やかな彼らと。

「与えられて受け取って、それを返して繰り返して」

短く長いそんなやり取りを。

「そうして変わって、前に進んで、進み続けて」

仮初の、紛い物の、例えそれでも。

「私は、生きていますから」

目の前の少女の目がゆっくりと開き、

『ええ、そうね』

影が晴れる。
雲が流れ、影絵が歩み、黄昏は青々とした空模様へと移り変わった。
少女の顔は、なるほど、自分のそれとはだいぶ違って見える。

『貴女が愛して、貴女を愛する人たちの中で、貴女はまた進んだのね』

それは根源が別たれたという意味ではなく。

『私たちの残滓ではなく、励起された感情が今の貴女の中にある』

鼓動と異なる脈動を確かに刻む何かが揺れている。

『【自分】と呼べるものもそこにあるのでしょう?』

心臓に重ねた掌が熱を持っている様で。

「はい」

『ふふ』

何か可笑しかっただろうか。

『冷めないうちにどうぞ』

湯気の上がるティーカップと、それに添えられた自分の手があった。

「頂きます」

じんわりと広がる暖かさと溶けた砂糖の甘味を感じる。

「美味しい、ですね」

ゆっくりと時間をかけて味わった。

『またお茶をしにきてくれるかしら?』

「ええ、勿論」

それはまるで、夢の様で。


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「ここに来られるのは珍しいですね」

「んぇ……?えっ!?」

頭上から聞こえる声に慌てて体を起こすと、少し驚いた黒猫の姿があった。

「ぐっすりと眠られていた様でしたので」

時間を確認すると、屋上に上がってから一時間程が経過していた。

「お恥ずかしい所を……」

小さく肩を竦め、隣に腰掛ける。
自分も小柄な方ではあるが、彼女はより一層だ。
しばしの無言の後、自分から口を開く。

「変な事をお聞きするのですが」

「伺いましょう」

「今は、どちらですか?」

「―――」

言葉の無い返答―――否。
私がそれを望み、彼女がそれに応えただけの事と理解して。

「皆を護るなんて事は、私にはとても出来ませんけれど」

それは誰にも向けていない独り言。

「私に出来る精一杯で、誰かを護ってみせます」

誰かが傷付けば、それと同じだけ心を痛めるヒトがいる事を知っているから。

「それに、後輩に格好いい所を見せたいですし」

先ほどからひっきりなしに震えるデバイスには一人の少女の名前が表示されている。

「だから、No.966ちゃんにお願いがあるんです」

向けられた視線を真っすぐに見返して。

「私が、あのヒトの言葉を蔑ろにしたその時は」

逸らさずに。

「躊躇わないでください」

その時が来れば、彼女ならばきっと分かってくれるだろうから。

「一つだけ教えてください」

聞き逃しそうな小さな声はやけにはっきりと耳に届いて。

「貴方は、一体誰ですか?」

丁寧な確認作業。
与えられた役割と名前がある。

「環境課 解体係 フローロ・ケローロ」

名乗るべき役割と名前がある。

「誰に何と言われようとも、これだけは譲れません」

それは覚悟であり、誇りであり、存在理由そのもの。
黒猫は一度頷いて溶けるようにその姿を消した。

「さて、怒られる前に行きませんとね」

どう考えても怒られる事は明らかなのだが、それはそれとして。
勢いよく立ち上がり、胸元のIDカードに触れる。
まだこの感情との付き合い方は曖昧だが、やはり少しずつ進めていけば良いのだろう。
欠伸を一つ。
口の端に残った砂糖の甘さは、緩やかに解けて。

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Raison D'etre

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