T.C.R:P. Cp.5...【Transistor Cult】

[クラブ前] PM 9:30


夜の街を染め上げる赤い炎。
住民からの通報によって駆け付けた時には既に終わった後だった。
鋼鉄製の扉は盛大にひしゃげてロビーの観葉植物をなぎ倒している。
コンクリートの破片が近くのカフェの窓ガラスを割ったせいで【Closed】の看板がぶら下げられていた。

「これで何件目だっけ」

ナノは軋ヶ谷からの問い掛けに回答ではなく深い溜息で返した。

「何か緊張感無くない?」

皇の宣言から続く連日の爆破事件。
現場に残った残骸からあの青年たちが関わっている事は間違いなく、しかし未だに現行犯として誰も捕らえられていない。
こうしたクラブだけではなく、オーディオ販売店や開発企業の下請け工場など狙いが定まっていない事が原因の一つとして挙げられる。
未だに死者は出ておらず怪我人も数名程度であるが、市民の不安材料としては最も上位に来る事件の一つだろう。
事態を深刻に捉えていないように思える軋ヶ谷の言葉にナノが指摘をいれるのも無理はない。

「だっておかしいでしょ」

しかし軋ヶ谷はその指摘を否定する。

「何で毎日爆発してるのに誰も死んでないんだよ」

これまでに襲撃を受けたポイントに目を通し、その状況を振り返る。
クラブは開店前か休業中の店舗のみが対象となっている。
オーディオ販売店は駐車場に備え付けられたカートや台車置き場が爆発していた。
下請け工場は無人の倉庫のみが狙われている。

「意図的に人死にを避けてるとしか思えないし」

愉快犯ではなく、無差別殺人でもなく、目立つことを目的としている様な。
それでいて未だに足取りがつかめていない―――そんな馬鹿なと思いもするし、そういうことならまあ、とも思う。

「撒き餌なんだろうね」

環境課を釣るために無駄打ちを行っているのか、そうと分かっているから好きにさせているのか、分の悪い賭けだ。

「何の事を言ってるのか全然分からないんだけど」

ガシガシと頭を掻いたナノを横目に、既に仕上がっていた調書をデータベースへとアップロードした。

「じゃあ帰ろうか」

「引継ぎは?」

「え~~~」

露骨に嫌がってみせたが清掃係と鑑識係が到着するまで引き留められたのは言うまでもない。


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[医療室] PM 10:30

「う……」

瞼越しの蛍光灯の眩しさに目を細めて、かざそうとした手が動かない事に気付く。

「ここ、は」

「大丈夫ですか!?」

周囲を覆うカーテンを開いて顔を見せたのは眼鏡をかけた獣人だった。
見たことの無い顔と聞いた事の無い声、そして空気感の異なるこの部屋への疑問が浮かぶ。
それを察して優しく微笑みかけた。

「ここは環境課の職員用医務室です。今課長を呼んでくるので少々お待ちください」

部屋の中に一人残された老人は首を起こして両腕へと視線を向けた
白い包帯で覆われた部分には感覚と呼べるものが無く、自分がとった行動を思い出して小さく息を吐いた。

「失礼する」

老人のベッドまで真っすぐに歩き、丸椅子に腰かけた。

「課長の皇だ。聞きたいことはあると思うが、まずは貴方の現状からお伝えしよう」

「ああ」

「三週間前に市街地で爆発が発生した。現場で発見された貴方を病院へ緊急搬送して治療を行った。損傷が酷かった両腕は切除はしていないが、元の様に動かす事はほぼ不可能だと思って欲しい」

両腕の状態を予想はしていたものの、事実として突き付けられるのは想像以上に重い。

「生体移植による修復は体力的な問題や拒絶反応等のリスクから考えて、むしろその選択肢を取らない方が良いと私は思う。両腕を義体化し、それに伴って軽度電脳化を行う事が最も合理的ではあるが、どうするかは貴方次第だ」

「少し、考えさせてくれんか」

「答えを急いでいる訳ではない。十分に考えてくれ」

「ありがとう。しかし、どうしてワシにそこまでしてくれる」

事件現場にいた只の一般人、もしくは事件を引き起こした当事者かその関係者。
いずれにしても特別扱いを受けられる様な立場ではなく、これが法的に認められた措置でない事は理解している。

「貴方は誰かを護る為に死ぬかもしれない危険を冒してまで爆発の前に立ちはだかった。その行いを評すべきだと私が思うからだ」

青年の苦悶の表情が脳裏に浮かび、思わず訪ねた。

「ワシの他に誰か……」

「あの場所では貴方だけだ。もし他に誰かいたとしても、かすり傷程度の軽傷だろう」

「そうか。そうか……」

安堵。

「目が覚めたばかりで申し訳ないが、もう一つだけ尋ねさせてほしい」

携帯デバイスのモニターに表示されているのは焼け焦げたメモだ。
文字の一部分が掠れてまともに読めないが、これは恐らく―――

「【Pray For Play】。古い歌の一部だ」

青年が言っていた言葉でもある。

「どういう意味だ?」

「耳に聞いた程度だから詳しくは知らんな……。すまないな」

「いや、協力感謝する」

丸椅子から立ち上がり医務室から出ていく直前に一度振り返って。

「強い子だ。貴方を信じてずっと待っている」

「そうだろう。ワシの自慢だ」

老人のほぐれた表情は自動ドアの向こうに消えていった。


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[工業プラント区域] AM 2:00


完全自動化によって一秒たりとも止まらない鋼鉄のジャングル。
上下左右に複雑に伸びた配管と配線に道は阻まれて、複雑に絡み合った足場はその難解さに拍車をかける。
経路案内が無ければ延々と回り続けるしかないこの場所に無策で入る混むのは無謀であり、だからこそ容易く侵入出来るとも言える。

「はっ、はっ、はっ、はっ……!」

自ら求めて迷路に入り込んだ青年は呼吸する暇さえ惜しんで全力疾走を続けていた。
ダクトとダクトの間を転がり抜けて、曲がり角をひたすらに進み、足場の隙間を飛び越えながら、数メートルの段さを躊躇い無く飛び降りて。
只、逃げる。
機械の駆動音と足場から響く反響、そして鼓動が五月蠅く騒ぎ立てている。
その全てを上塗りする痛いほどの静寂が耳元から離れない。

「誰なんだよお前はぁ!!」

あの日からずっとついてくる視線を振り払う様に叫んでも返事は無く、代わりに影があった。

「少々よろしいでしょうか」

ライトによって作られた影よりも深く暗い小さな人影を象った闇。
頭部に見える耳と腰の後ろで揺れる尻尾。
左右で色の違う赤と黄色の目が青年の足を止めた。

「何だ、お前」

急激な静止に身体機能は乱れに乱れた。
酸欠を訴える脳が肺を急かし、取り込んだ酸素を巡らせるために心臓が一層激しく鼓動する。
だが意識は冷静過ぎる程に目の前の何かに向けられている。

「わたくし、環境課のNo.966と申します」

鈴の様に澄んでどこか幼さの残る声色。
一切の感情を覗かせない無機質なソレがずっと感じていた恐怖の正体であると気付く。

「覚えて頂かなくて結構です」

瞬き一つにも満たない刹那にその影は姿を消して、耳元で囁く声に全身の血が抜けた様な錯覚を覚えた。
喉に何かが触れたと感じると同時に四肢が弛緩し、コンクリートの地面が迫る。
かろうじて動かせた眼球が最後に捉えたのは、手を振る様に左右に動く尻尾の先端だった。


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[窓の無い部屋] AM 3:30


「ご苦労だったな」

「お気遣いありがとうございます」

皇の言葉に影が小さく頷き、鈴が小さく音を鳴らす。

「何かお手伝い出来ることはありますか?」

「いや、ここからは私の仕事だ」

「……分かりました。失礼します」

音を立てずに扉が開き、音を立てずに扉が閉じる。

「本来私が行う業務ではないのかもしれないが……」

所謂取り調べという行為にトップが一人で臨むという状況は普通であればありえないが、かといって誰かに代わりにさせられる内容ではない。

「やはり人手不足だな」

その為の人員が欲しいと言っても詮の無い事で、皇は椅子に拘束された青年の前に移動する。

「起きろ」

余り大きくない声で呼び掛けられ、青年の目が開かれる。
天井から吊るされた小さな電球を頼りに目の前にいる誰かを認識しようと試みる。
黒を基調とした外装、灰色毛並みの猫、ぶら下げられたIDカード。

「環境課 課長の皇純香だ」

数週間前のやり取りがフラッシュバックした。

「爆発物所持とそれを使用した営業妨害、破壊工作、不法侵入に加えて民間人への傷害に殺人未遂。一歩間違えればテロリストだな」

結果が合わされば間違いなくそう呼ばれているに違いない。

「私たちに君を裁く権限は無いが、実刑が出てしまえば生きている間に戻ってくることは出来ないだろう」

だが、と言葉を区切る。

「何だよ……」

続きを促し、数分の沈黙の後に皇は一つの提案を出した。

「私の質問に答えて欲しい。そうすれば君の刑期が短くなる様に可能な限りの努力をしよう」

悪くない提案だ、と青年は思う。
特に環境課を目の敵にしている訳でもなければ彼らと敵対するメリットも無い。

「質問次第だ」

応えられる範囲であれば、それが【あの人】の邪魔にならないのであれば。
思考のノイズに気付かない青年に向けて皇は口を開く。

「目的は何だ?」

「は?」

「目的は何だ?と言ったんだが」

そんな事でいいのか、と思う。
自分たちの大義を、理解されないと思っていた信念を伝えるだけならば、

「俺たちは、音楽への希望を取り戻したい」

しかし皇の表情は呆気に取られていた。

「それだけか?」

「それだけ、だと」

まるで自分たちの覚悟と情熱を安く見た様な言葉が頭に血を上らせた。

「それだけだと!?見下すなよ俺たちを!!」

身を捩り、感情の限りに叫ぶ。

「データをなぞるだけの紛い物なんかじゃない!!人の手が生み出す不完全な音楽こそが俺たちの魂を揺さぶるんだ!!!」

ネットワーク上に保存された不変の音楽は何時、何処で、誰が聞いても同じ感動を与えてくれるだろう。
だが生きた音が耳に届ける快楽と熱狂はそこにはなく、ゼロコンマ秒の微細なずれが作る瞬間こそを音楽の真髄であると定義付けるならば彼の主張はある意味で理解が出来るかもしれない。
しかし皇は青年の言葉を遮った。

「人の手による不完全さから生まれる音楽を是とする考え方があることは理解出来る。その形態で作られる音楽が主流ではない事への失望も、前提条件を共にするならば同様にな」

「だったら――」

「私が聞きたいのはそういう事では無い」

細められた目が予感させるのは、例えば割れた皿を隠した居心地の悪さに似ている。

「質問の仕方を変えよう」

聞きたくない、知りたくない、耳を塞いで逃げ出してしまいたい。

「わざわざ爆弾を使って犯罪行為をし続けたとして、それは目的の達成に繋がるのか?」

否。

否だ。

「丁度ネットワーク不備で音楽を聴ける機会は激減している。路上でスピーカーからCD音源を流すだけでも人だかりが出来る程だ」

それは先日の報告からも確認が出来ている。

「その程度であっても人の興味を引くことが出来る。回を重ねれば、場を広げれば、当然そちらへの関心も高まっていくだろう。非常に健全な活動であり、時間はかかるかもしれないが必ず前進しただろう」

誰も咎める事は無く、誰も傷付く事は無く、極稀にそれを非難する声があったとしても意味を成さないだろう。
正しいと思われる答えを持っていて、どうしてそこから外れたのか。
外れる意味があったのか。
外れなければならなかったのか。

「もう一度聞こう。お前たちの目的は何だ?」

巻き戻される自らの行為と重なっていく後悔と疑念。

「俺、俺は」

暗い空洞の底で音に囲まれて感極まった事を覚えている。

「捧げたくて、だから」

自分の全てでそれに応えたいと思った事を覚えている。

「あの人が、そうしなさいって」

聖職者の様な出で立ちの男の顔を覚えていない。

「何で、俺は」

自分の前に立ちはだかった老人の背中がやけに大きく見えたことを覚えている。

「ごめん、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい――」

嗚咽交じりの謝罪は青年の声が枯れても止まる事は無かった。


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[食堂] AM 12:00


「結局あの子はどーしたんです?」

ボーパルはコーヒーの入ったカップを傾けながら、対面に座る皇へと尋ねた。

「自我喪失状態と判断されて保護扱いだ」

「そうですか。あの子を確保してから騒ぎも沈静化しましたし、そうそう気付いてました?【騒音】調査の時にステージに上がってたんですよ彼」

「……そういう事は報告しろ」

てへーと可愛く表情を作ってみせるボーパルに抗議の意味を込めて溜息を吐いた。

「これで終わったと思います?」

「それは――」

スピーカーからハウリングが響く。


≪これを聞いている人はいるだろうか≫


正午を告げる放送は聞きなれない声、聞きなれない言葉から始まった。


≪これが届いている場所はあるだろうか≫


椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がり、二人は管制室へと向かって走り出した。


≪システムに縋る弱き人々へ告げる≫


慈愛に満ちていながらどうしようもなく見下している不快な言葉。


≪私たちは遂に救いへの階を作り上げた≫


「ボーパル!発信源の特定は!」

「言われなくてもやってますッて!古いタイプのネットワークだから勝手が違ってやりづらい……!」

並走しながらボーパルの指先は虚空を叩き、頭部の円環が微細なスパークを放っている。


≪それは神への祈りを捧げる祭壇である≫


「探知完了!ラジオ用スタジオ、マップデータ更新しました!」

これまでの爆破事件と一切の関りを持たない施設であり、加えて青年確保から以降警戒が緩みつつあったと認めざるを得ない。
本命の賭けを外したという事だ。

「付近の課員は指定ポイントへ急行せよ!対象が武装をしていた場合は処理係の到着を待て!」


≪血と涙、痛みと苦悩、それら試練を乗り越えてこそ≫


「やってくれるな……!」


≪Pray For Play――≫


ノイズがかった不出来な宣誓が完了した。


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Cp.5 【Transistor Cult】

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