【解れる糸、編みあげて色】

こつ、こつ、こつ。
床を叩く両足に合わせて刻まれる一定の足音が人気のない廊下に響く。

「戻りました」

「お疲れ様です」

解体室に戻ったフローロを柊が出迎えて、彼の他には誰もいない様だ。

「リンリンは?」

「一緒じゃなかったんですか?」

今日は別の業務を行っていたはずで、終了しているだろうと予測していた時間は既に過ぎている。
今の状況を連絡するようにと簡単なメッセージを送って様子を見る事にした。

「この後に何か入ってますか?」

尋ねながらフローロは解体係のその他の面々が今どこにいるかを確かめる。
ホワイトボードの様なGUIに名前と居場所が書かれた付箋が並んでおり、多くは『整備/開発』で業務を行っているらしい。
業務過多と慢性的な人手不足が重なった結果、解体係は様々な業務の補助を行う事が多くなっていて、既に日常風景である
誰一人として嫌な顔をしないのは有難いですね、と柊は言う。

「フローロさんの予定は入っていないですね」

「そうですか。じゃあ少しだけ休憩します」

午前中はメ学への出向、戻ってからは情報係の手伝いに備品管理倉庫の整理と、業務自体は簡単だがあちこちに顔を出すのはそれなりに大変だ。
その反面で大掛かりな業務に関わる頻度は減っているので時間的なバランスはとれている。
主業務の一つである屋外での解体業務などは未処理のものが多く、そのほとんどは中規模以上の企業やその下請けが対応に当たっていた。
経済活動の循環を狙いとする一面もあり、環境課の姿勢があえて消極的な方針であると祇園寺から説明されたのは数週間前だ。

「柊さんはこのままここで?」

「明日のスケジュールの調整もありますから」

やはり翌日も解体係の業務内容はサポートに偏っているらしい。
そもそも解体係に所属している課員のほとんどは何かに特化した技能や知識を有している訳ではなかった。
良く言えば多能工、悪く言えば器用貧乏な人材が多く配属されている。
意図的にそうされている感はあるが、だからといって何かに困った記憶もなく、今回の様に広く動くことが出来ているのはそれ故だろう。
人のいない解体室を見渡した柊はやがて肩をゆっくりと回し、他の係から寄せられる人員補充の依頼に解体係を振り分けた。
小玲からの返事が届いたのはそれから十五分後の事である。


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そうした様相が続いたある日、二人は課長室に呼び出されていた。
出迎えたのは祇園寺ローレルと皇純香、そしてフェリックス・クライン。
緊張していた柊が落ち着いたところで、顔の見えない男性が口を開く。

「急に呼び出して申し訳なイ。急ぎという訳でもないんだけド、こういう話は早めにした方がいいと思ってネ」

どこか沈んだトーンの思わせぶりな言い回しに小さく身構えるが、祇園寺はわざとらしく手を振った。

「別に二人に苦言を呈する訳じゃないヨ」

「伝えにくい話ではあるがな」

さて、と前置きをした灰色の猫が切り出した。

「近いうちに係の再編を考えている」

「再編――ですか」

「そうだ。業務に滞りが出ている訳ではないが人員不足は明らかだ。係の垣根を超えて相互協力はされているが、業務負担が均一化出来ない為にどうしても偏りが出てしまう事は理解していると思う」

単純な雇用によって数を集める事は出来ても、その業務に対応出来る能力がなければいない方がマシという事例は珍しくない。
処理係や情報係などはその最たる例であり、環境課内でもその業務を肩代わり出来る人員は限られている。
即戦力が必要なのは環境課に限らず、ネット上に公開されている求人募集には好待遇での掲載が多く並んで久しい。

「解体係の皆は最近色々な係の手伝いをしているだろウ?」

「二人の意見を聞かせてくれ」

つまり解体係の全員が再編対象であると告げられているに等しい。
尋ねている様で既に結論が出ている事は皇の表情から読み取れた。
辞令を出せば後はその通りになるのにも関わらず、こうした場を設けたのは彼女なりの思いやりなのだろうか。

「私は問題ないと思います」

それ以上は何も言わず、柊らしい回答だ。

「フローロ君はどうかナ?」

考える。
異動先の係も各課員の技術や知識を考慮してのものになる事は明らかで、人事を預かる彼女たちがそこを外すとは考えられない。
環境課としての業務遂行能力を保つために全体の業務負荷や人員のバランス調整は必要な処置であり、既に単一の係としての機能を優先されていない解体係が再編されることは自然な流れに思えた。

「問題ないと思います」

ただ、と付け加えて。

「解体係はどうなるんですか?」

「それハ――」

少しだけ溜めて。

「解体されるネ!解体係なだけニ!」

空調が音を立てた。
何故か居心地の悪さが漂う室内で祇園寺だけがどこか得意気に、しかし次の瞬間にはその気配を微塵も感じさせない態度へと切り替わる。

「解体係の専任業務自体はほとんどないからネ。実質的な業務内容はこれまで通りだシ、手伝いに出てる場所がこれからの係に移り変わるだけサ。直近の状態と変わるものではないと思ってくれたまエ」

少し寂しくはあるがな、と皇が零した言葉に小さく頷いた。

「それと解体室は整備/開発係の倉庫兼簡易作業所として今後の運用を考えているヨ。本日付けデ、という訳じゃないからそこは安心してくれていイ」

「近いうちに正式な辞令を出すつもりだ。先んじて伝えておくかどうかの判断は柊に任せる」

「分かりました」

「用件は以上だ。業務に戻ってくれ」

出口に向かおうとした二人の視界の端でフェリックスが一歩を踏み出すのが見えた。

「すいません、フローロさんは残っていただけますか?」

胡散臭い笑顔と共に。


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「先程の続きだけド、フローロ君には複危に異動してもらおうと思っていてネ」

複危――複次元危険物保安班。
名前は知っているし業務内容も資料の上では知っている程度の理解はしていた。
何故自分がという疑問が顔に出ていたらしく、その答えはフェリックスからもたらされることになる。

「貴方の適正は非常に高いと思われますので」

一つ、危険物取り扱いの資格を有する者。
一つ、現実改変もしくは四物全般に関する専門的な知識を有する者。
一つ、極限環境に耐性を有する者。
一つ、自営に必要最低限の戦闘能力と判断能力を有する者。
複危に所属する上で求められる能力であり、フローロはこれら全てを満たしていると判断されたらしい。
そうはいっても極限環境はどうだろう、今の体では少し不安が残るかもしれない。

「業務内容や活動に関する資料の共有と技術指導はしっかりと行わせていただきます。異動直後から現場対応ということはありません」

「処理係というのも一度案には出たけれド、自由度が下がるのはあまりよろしくないという事でネ」

解体業務の他に検死解剖やメ学での実験協力などを考えると、屋外での活動が主となる処理係に異動するのは時間的に余裕がなさすぎるという判断だ。
だが自由度を意識するというのであれば、複危に異動したとしても場合によっては他の係のサポートに回る機会があると暗に示された形となる。
イレギュラーは常ではないからこそイレギュラーなのであって、それを前提にしたスケジュールは必ずどこかで破綻するし、そうした状況であれば全体的な調整が必要になるのはこの場にいる全員が理解している。

「小玲さんも併せて異動していただくつもりです。貴方であれば彼女の面倒も見られるでしょう?」

皇純香を除けば最も懐いてもらえているという自負はあり、フローロはその問いかけを首肯した。
彼女を単身でどこかに預けるというのは様々な理由で難しい。

「ではその様に」

笑みを貼り付かせたままのフェリックスの言葉で会話は締めくくられた。

「こちらでは皇課長からの辞令が出るまで伏せておく事にします。その方がサプライズになりますからね」

優雅に一礼して退室したフェリックスを見送って、

「流行っているんですか……?」

誰にも聞こえない程度の小声で呟いた。


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その後三人でいくらかやり取りを交わしてフローロも退室する。
解体室への道すがら庁舎内を見回れば、ぽつぽつと解体係の面々が見受けられた。
作業に手間取っている様子は無く、これならば異動したとて業務的な問題にはならないだろう。
IDカードに記載された【解体係】が近いうちに無くなってしまう事は皇の言葉通り寂しさを感じるものの。

「気分の問題ですからね」

環境課としての在り方が変わる事も失われる事もないのだ。
簡単には割り切れないと思うが、それでもやっていかなければならない。
小さなわだかまりを自覚したのに少し遅れて、小玲からメッセージが届いている事に気付く。

『ちょっとしたトラブルがあったけど解決したから大丈夫!もうすぐ戻るよ!』

昨日教えた事を早速実践している姿に口角を小さく上げて、そんな彼女にどう伝えるかを考えながら。
フロアに揺蕩う話し声にかき消されて足音はもう聞こえない。



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【解れる糸、編みあげて色】

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