【錨を振り下ろした日】 Cp.1

環境課新庁舎、第三会議室。
綺麗に整頓された室内で椅子に腰かけているのは複次元危険物保安班に所属している課員数名で、彼らの視線を受け止める様に元解体係の二人が並ぶ。


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「本日付けで異動になりましたフローロ・ケローロさんと依 小玲さんです。ご存知かとは思われますが、一応自己紹介をお願いします」

頭の上に蛙の瞳が鎮座した少女が一歩前に出て、御札を張り付けた少女がそれに続く。

「フローロ・ケローロです」

「依 小玲です!」

元より環境課員である二人は名前だけの自己紹介を終えて、用意されていた椅子に腰かけた。

「お二人は開闢調査に同行して頂くつもりですが当面は座学や訓練を中心に予定を組んでいます」

「分かりました」

「お勉強~?」

実に嫌そうな声で抗議する小玲だが、フローロの困ったようなジト目を受けて口を横一文字にした。

「危険な場所ですからね。事前準備を怠るわけにはいきませんので」

開闢調査に関する資料は事前に受け取っているが、それを読んだだけでは概要程度しか理解出来なかった。
何らかの事故で崩壊した旧庁舎跡地周辺――高濃度汚染区画における資源回収のための調査と、本当の目的である資源回収に向けた動きである。
調査とはどのように行うのか。
高濃度汚染区域での活動の安全性確保を含めた今後の方針はどのようなものなのか。
資源とは一体何を指しているのか。
分からない事だらけではあるが、それをこれから教わろうというのだから焦りや不安を今は感じるべきではない。
視線に気付いたフェリックスが無言の笑顔を向けて、随分と落ち着いた表情だなと評したのはフローロだけだろう。

「本日の全体ブリーフィングは以上です。フローロさんと小玲さんは情報の共有と講義を行いますのでここに残っていてください。皆さんは業務予定があればそちらを優先してください」

汚染区域での調査活動は予定されておらず、結局全員がそのまま残る事になった。


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「まずは汚染区域の状況について説明します」

モニターに表示されたのは旧庁舎跡地を遠くから撮影した画像だった。
三重に巡らされた立ち入り禁止のテープと隔壁の内側ではありえない向きに瓦礫が立ち並び、椅子がぽつぽつと宙に浮き、これでも見えている範囲の汚染度合いはまだマシな方だと言う。
角度を変えた二枚目の画像には庁舎周辺の様子も映り込んでいて、黒く濁った水溜まりが点々と見て取れた。

「私たちが調査を行う重力汚染区域は複数ブロックにまたがる程度に広大です。汚染領域の境界は遮蔽されているのが普通で、内部への侵入はそれぞれの管理権限を持つ組織の判断に委ねられています」

視界にオーバーレイされたのは重力汚染区域を中心にした相関図であり、赤く塗られた範囲は相当に広い。

「危険性の高さなどから管理権限を持つ組織は無く、その中で何か問題が発生しても責任に問われる事はありませんが問う事も出来ません」

表向きにはですが、と付け足す事は忘れない。

「さっきの写真に映ってた汚いのは何?」

小玲の質問にフェリックスはスライドをいくつか飛ばして発電機構の実験映像を表示した。
テオ細胞を用いたバッテリーの代用品に酷似しており、つまりあの汚水は――

「人間の脳です」

あっさりと告げられた事実に面食らうが、それが何か?と言わんばかりのフェリックスの態度に二の句を告げないでいるとスライドがいくらか巻き戻った。

「開闢調査の進行は段階を踏んでいくのですが、まず行う事は汚染区域での活動を安定させる為の仕込みです。これはネロニカに説明をしてもらいましょう」

すい、と立ち上がってフェリックスの横に並ぶ。

「汚染区域内では振動フェルミオンの運動量が高く、これを適切な度合いまで減退させる必要があります。この錨はその役目を果たすもので、生身の人間が行動可能な環境へと変える事が出来ます」

壁際に置かれていたマルクトエディスが運ばれてくる。
先端部分は従来のものと異なる部品に換装されており、サイズ感は休憩室に使用されているマグカップと同じくらいだろうか。

「いいですね、その通りです」

フェリックスの言葉にネロニカは満足そうに、無表情をわずか綻ばせて席に戻った。

「資源の確保や大がかりなエネルギー変換実験などを行う前に、まずは汚染区域の環境整備が主な活動となります。特に高濃度汚染区域は普通の人が立ち入れる状態ではありませんからね」

溶解した人間の脳が点在する区域に入ろうと思う事自体正気ではないと思うが、大きなメリットがその一線を踏み越えさせるのだろう。
少なくとも複危が取り組もうとしているのはそういう類のものだ。

「現地での調査活動や錨の打ち込み訓練などは追々ということで。ここまでで何か質問はありますか?」

誰からも手は上がらない。
やはり概要としての理解が増えただけで、実感的ではない点は否めなかった。
しかしここで質問したところで結果は変わらず、何はともあれやってみないことにはどうにも進まない。

「それでは本日はここまでとしましょう。お疲れ様でした」


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「どうされました?」

腕を組み渋面を表に出したグレンに問いかければ、思いのほかあっさりとその答えが返ってきた。

「あんな子供に頼らざるを得ないってのは組織としてどうなのかと思ってよ。アンタだってそう思……いそうにはねえな」

新たに加わったフローロも小玲も見た目の上では小柄な少女でしかない。
中身がどうなっているかは別にして、だ。
分かり切っている危険地帯に送り込む事への抵抗感とそうせざるをえない事への苛立ちや不安、あるいは別の何か。
内側で悶々と葛藤しつつ、どうにかこうにか飲み込もうとしている自分に比べてあまりにも飄々としている様に見えるフェリックスの態度に小言をぶつけたくもなる。

「俺の感性がおかしいのかね?」

「彼女たちを遊ばせておく余裕はありませんし、人手不足という現状を除いても私たちよりは適任ですよ」

反論の余地がない正論だ。
自分の持つ抵抗が感情に由来するものであると理解しているからこそフェリックスの言葉はまるで針の様で、八つ当たりとばかりに視線を向けても何の手ごたえもない。
盛大な溜息と小さな舌打ちは二人しかいない第三会議室の壁に吸い込まれていった。


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それからの複危の動きは慌ただしいものではなかった。
午前中は会議室で重力汚染に関する勉強会やこれまでの活動記録を振り返りつつ情報共有が行われ、午後からは錨の打ち込み訓練や様々な条件を想定した調査シミュレートなどが中心となっている。
一日目で錨の打ち込み方をマスターしたフローロと真逆に小鈴は連日の様にコンクリートにひびを作り続け、結局第一回の開闢調査では管制室でのバックアップを言い渡されていた。
環境課全体の業務サポートに顔を出すこともしばしばあり、係の異動が実感として浸透してきた雰囲気もある。

「さて……」

そんな中、第三会議室の机には大小様々な箱が並べられていた。

「始めるか」

グレンとアートマが取り掛かるのは、明後日に控えた開闢調査に持ち込む備品の確認だ。
環境課内外から集められたそれらを確認するのは本来検収係と備品管理係なのだが、初の実地調査ということもあって入念なチェックが必要とされる。
特に現地に赴く課員は自分たちの手で確認するべきだとグレンからの提案があり、フェリックスも同意してそのようになった。

「リストとの照らし合わせを頼む」

「はい」

持ち出し申請していた備品の種類、数量が共に揃っているかを確かめる。


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「サーベイメータが3、クラウドチャンバーが20」

「両方揃っています。固定用の三脚もそれぞれ同数梱包されていますね」

どちらも振動フェルミオンの観測装置であり、現地でのモニタリングに使用されるものだ。
重力汚染区域の状況を把握する為であり、第三会議室には既に設置されたものから常時データが送信され、蓄積されている。

「固定用の器具はあるか?」

「1セットあります」

「もう1セット多めに用意しておくか……」

そう言って備品管理係に工具ボックスの申請を出して一分経たずに受諾された。

「次。マルクトエディス2、錨が4だ」


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確認を終えた備品を元の箱に片付ける。

「三人が戻ってきたらもう再チェックだな」

少々念入りにし過ぎているかもしれないが、用心に越したことはない。
何せ高濃度汚染区域での本格的な潜航調査は初めてで、その中には異動したばかりのフローロも含まれている。
不安要素はいくらでも見つける事が出来る上に、自分は管制室から指示を出す事しか出来ないという歯がゆさから胸ポケットへと手を伸ばした。

「ん?」

取り出した箱は既に空になっていて、ぐしゃりと握りつぶしてゴミ箱へと放り投げる――外した。

「煙草の吸い過ぎは健康寿命に悪影響がありますよ」

パッケージの文章をそのまま読み上げたアートマの言葉は心配を感じさせるもので、

「分かってるよ」

喫煙を咎める言葉に同意するつもりはなく、グレンの手は未開封の箱からビニールを剝がしている。

「第三会議室は禁煙です」

「分かってるっつの」

丁度胸ポケットに仕舞い込んだタイミングでネロニカたちが台車に追加の箱を二つ乗せて戻ってきた。

「工具ボックスも借りてきました」

「それも並べておいてくれ」

アートマはリストの数量を変更し、作業は再開された。

「俺のチェックが終わったら次はお前らでやるんだぞ」

「分かりました」

ネロニカが運んできた箱に入っていたのは調査で使用する手袋や防護服の類である。
彼女たちには不要であるとされているが追加で用意させたものだった。
梱包されている新品の防護服のサイズはグレンにとっては小さく、それがどこか頼りなく見えて思わず後ろを振り返っていた。

「何ですか?」

「いや、何でもねえよ」

ネロニカが頭に疑問符を浮かべている隣でフローロは穏やかな笑みを浮かべていて、なんだかなと髪をくしゃりとかきあげる。

「お疲れ様です。問題はありませんか?」

「申請してた備品は一通り揃ってる。この後でフローロとネロニカの再チェックが終われば備品管理に連絡してコンテナに詰めて終了だ」

「いいですね。それと私から申請したものが一点ありますので追加をお願いします」

フェリックスが取り出されたのは小柄な拳銃――の形をした"杖"である。

「それは?」

「スタンロッドです。射程距離や使用回数などをまとめた資料はデータベースに登録されているのでそれぞれ確認してください」

取得した資料を大分ざっくりと要約すると、10m前後の有効範囲を基準に対象の動作信号を阻害する機能を持った杖ということ。
その効果を十分に理解しているフローロが尋ねる。

「そういう可能性があるという事ですか?」

しかしフェリックスは首を横に振った。

「ないでしょうね。別ブロックでも同様の調査が行われている可能性は否定できませんが、いくら管理外区域とは言っても環境課管轄ブロックだった範囲まで潜航してくるとは考えられません」

ですので、と前置きをして。

「万が一のお守りだと思ってくださって結構です」

「願掛けするタイプの人間だったのか?」

「そう見えますか?」

わざとらしく肩をすくめて、アートマにチェックリストの項目を追加する様に指示を出した。

「これで全部だな。それじゃ再チェックしてくれ」

入れ替わる様に机の前に立つネロニカとフローロの背中を見やり、グレンは第三会議室の出口へと向かう。

「アートマ、頼んだぞ」

肩らしき部分に軽く手を乗せて、胸ポケットから開けたばかりの煙草を取り出した。


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