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【カーボンコピー】 Cp.3

煤けた空気の匂いが鼻先を掠める。

「……ぅ、けほ」

小さく咳き込んで、徐々に冴えていく意識と頭で周囲の状況を確かめた。
痛みはないが若干の倦怠感……何かを注射されたところまでは覚えている。
コンクリート製の室内は埃っぽく、その中で自分はどうやら椅子に縛り付けられているらしい。
後ろ手に加えて、更にご丁寧なことに椅子の脚にも足首が固定されていた。
帰宅途中だったこともあるが、少ない荷物は離れたところに放り出されている。
腕章もIDカードもそこにあるだろう。
身じろぎすると僅かな緩みを感じられたが、今すぐにどうこう出来るものではなさそうだ。
――物音。
視線を向けた先には、目深に被った帽子、鈍色の鉄床の顎――それに指を添えた軍警の主任が立っていた。

「目が覚めたかな」

部屋に入るなり、申し訳なさそうな表情で頭を下げられた。

「……すまないね。必要な手順だったんだ」

一度言葉を区切って、

「そう、必要な手順だったんだ」

「何に対してですか?」

「”カーボンコピー”の捜査の為に、奴らと同じ行動を取って真意を知る必要がある」

同じ行動とは――思い至って、背中に冷たい汗が伝う。

「あれは無差別に行われているものではない、と考えているんですか」

目の前の男はこちらの話を聞いているのかいないのか、机の上に置かれたマグカップを手に取った。

「被害者にも加害者にも脳に共通の傷があるということが明らかになっていてね。これは以前誰かに――そうだ。環境課の、ええと……君は誰だ?」

覚えていない……

「……新簗です。喫茶店でお話した時は、左に座っていました」

「左、左か。そうだったね」

という訳ではないらしい。
顔がわからない可能性がある……そのように見える。
相貌失認の兆候は後頭連合野損傷の可能性を示し、それは"カーボンコピー"があの傷をつける場所に他ならない。

「被害者か加害者の電脳にアクセスを?」

「操作中に取り押さえた加害者の電脳にアクセスを試みたが、神経が焼けていて無駄だったね……何かあるのかい?」

「いえ」

隠岐が侵襲した際の攻撃が同様に行われたのだとしたら。
"カーボンコピー"によって脳を傷付けられた者は、また別の脳にダメージを与える為に犯行を行う加害者になる。

「コーヒー、美味しいですか?」

「薄くしすぎたね」

優しい表情は、誰かを攫った男が浮かべるようなものではない。

「まあ、その、笑われるかもしれないが」

言い出しにくそうにしながら、

「神憑り的というか――何故だろうね。私には君が強い重覚を持っているんじゃないかっていう、証拠のない確証があるんだ」

証拠のない確証、と口の中で繰り返す。

「私にもあってね。気付いたのは最近だが……」

フェリックスからの報告書にあった、傷を負った対象が鋭敏な重覚を得ていた可能性。

「だから、君のその感覚をもっと鋭く出来れば、奴らの考えている事が見えてくるはずだ」

「それも証拠のない確証ですか?」

「これが解決の糸口なんだ。もう誰も傷付けない、傷付かない為の、必要な手順なんだ」

そうしなければならないと言い聞かせる言葉は、自分自身を宥めて肯定する様な、鼓舞するようなものに聞こえる。
……そんな悠長なことを考えている場合ではない。
すっかり冴えた新簗の脳は危険信号を鳴らしている。
視線の先――二人の中間地点からやや離れて、作業台の様な机にはバーナーと、それで炙られたいくつかの手術道具、のこぎりが置かれているのが見えた。


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「新簗の居場所は掴めたか」

「……まだです。少々お待ち下さい……ガメザさん、一つ前の交差点を左に戻って直進してください。」

皇は慌ただしい管制室を見回す。
中央モニタを見据える様に狼森が佇んで、すぐ傍でモニタリングを行っている夜八を介して現場の課員へと指示を飛ばしている。

「状況報告を頼む」

「"カーボンコピー"による殺傷事件については、現状対処が必要なものは発生していません。しかし汚染区画にほど近い工場街がやや緊迫しています。未発覚の事件があるかもしれません」

ガメザとドーベルマンを中心にした殺傷事件対応班の映像情報がモニタの一角に表示されている。

「二人組と擦れ違うので、それとなく様子を見てください」

『あいよ』

「最近はこの辺りでの殺傷犯発生が多いみたいですから」

夜八が確認しているのは軍警から提供されたマッピングデータだ。
確かに面積当たりの発生率は他と比べてわずかに高い。

「有意とは言い難いですが」

一応頭の片隅に留めてはおく。

「新簗さんの居場所については……IDの反応位置がブレ続けていて正確ではありません。ですが……」

モニタに映っていた映像に重なる様にして地図情報が表示される。

「大まかには絞れたか」

汚染区画外周――ガメザたちがいる工場街からは少し離れた地点だが、

「"カーボンコピー"の可能性もある、か。捜索班には誰を振り分けている?」

「ハクトさん、フローロさん、霧黒さんです」

映像が切り替わり、並んで走るフローロと霧黒の姿が映った。

「繋いでくれ」

「はい」

「二人とも聞こえるか?新簗の居場所がおおよそ絞り込めた。周辺の詳細な地形データ収集を行い、これを情報係と共有。潜んでいる可能性のある建物を予測する」

『分かりました』

「ハクトさんは物陰に隠れつつ飛行して、使用の形跡がある建物を探してください」

『了解!』

全ての範囲を捜索することは不可能だ。
加えて、風炉が誰かに攫われたのだとすれば、彼女の状況が不明な現状、時間的な余裕はない。
回せる人員が限られている状況であれば、ピンポイントで引き当てる事が要求される。

「工場街の指揮は任せる」

狼森は首肯して、再び夜八と並んでモニターへと視線を注ぐ。

「そちらの動きは?」

皇が管制室の端へと目をやると、そこにいた隠岐は顔を向けることなく耳を少しだけ動かした。

『もう出来てるんですが、動作確認してるみたいです』

ラジコンヘリのような小型ドローンに顔を映したおキャットが電子音声で返事をした。

「そのまま頼む」


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「結構放置されている建物が多いですね」

「そうですね」

「汚れ方から見てかなりの期間放置されている様に見えますが、どうしてでしょう?」

建物の中にはまだ設備が残ったままのものもいくらかある。
フローロは少し考えて、

「汚染区画近辺ですから……重力災害発生時期から放置されているのかもしれませんね」

そう答える。
なるほどと聞きながら、ドアノブに手をかけると表面の塗装が剥がれ落ちてしまい、災害対策係の装備を身にまとったNo.966――霧黒は咄嗟に手を払った。

「大丈夫ですか?」

「はい」

汚染物質の類ではないらしい。
例えそうであっても霧黒に毒物の類は意味をなさないが――気を取り直し、次の工場へと向かう。


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ハクトはフローロや霧黒よりずっと先行して、建物の陰に隠れるように飛行していた。
窮屈そうに時折両方の翼を震わせながらも、視線は走り回るようにくまなく眼下を検める。
使用された形跡のある建物が無いわけではない。
しかしそのどれもが入口の周囲にわずかの足跡が残るのみで、せいぜい施錠を確認した程の痕跡でしかなかった。
最悪のケース、例えば駐輪場で消えた風炉が何者かに攫われたのだとして……小柄とはいえ風炉を抱えたまま逃げているとは考えがたい。
まず間違いなく車だろう。
霧黒からは風炉がいなくなったときに野太い走行音が聞こえたと共有もされている。
目を向けるべきは車両の有無と、車が通れるだけのスペースが確保されている場所だ。
既に電脳を介した思考の共有は完了している。
衛星から得た情報より、可能性のある地点をピックアップする。

「フローロさん、地形データにマークしたポイントへ向かってください」

『分かりました』

可能性があるのは三か所。
分担して確認し、どちらでもなければ残された一か所へ挟撃する。


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「ここですね」

入口を封鎖していたチェーンは手荒に切断され、砂埃がうっすらとつもっただけの中型のバンが停められている。

「急ぎましょう」

スタンロッドを取り出して足跡を立てない様に細心の注意を払いながら建物の中へと入る。

『IDカードの反応を確認しました。えっと……目の前です』

三人が覗き込んでいる室内には内壁の剥がれた稼働設備の残骸しか見えていない。

「中に入る。警戒は怠るな」

一歩踏み込んだ三人に、堂々と、見せつけるように。
部屋の中央から少し離れた椅子――の背後。
コンクリートの鉄筋にIDカードだけがかけられていた。

「誘導……」

既に風炉の身に何かがあったかもしれない――という不安。
犯人にこちらの捜索を予期されていた――という抵抗感。
ほんのわずかな意識の乱れにより集中が途切れる――その直前。
反射的にハクトは後ろへと飛び下がっていた。
数瞬前まで体があった位置にワイヤ式スタンガンの針が伸長する。

「攻撃だ!」

隠れていた軍警の姿を確認すると同時に管制室へと通達。

「動きを読まれた!応戦する!」

向き直り、構えて、肉薄する軍警の拳をいなす。
反撃の前蹴り――半身に受け流されて。
再び構えられたワイヤ式スタンガン――射線を切る為に遮蔽物の後ろへと身を隠した。
射出音。
崩れたコンクリートの割れ目越しに放たれた鉄針がハクトの翼に向かっている。
それは完全に不意を突かれたハクトの片翼に着弾し、

「……ッ」

しかし突き刺さった針をコードごと引きちぎった。
軽く翼を開閉する。
通電される前に引きちぎったため、不自由なく翼は動く。
コンクリートの向こうで響く物音を聞きながら、ハクトはスタンロッドの照準を向けながら、白灰の前髪越しに鋭い瞳が覗く。
コンクリートの厚みはそれなりにある。
スタンロッドは遮蔽の向こうには届かない――そのままであれば。
電脳通信による行動指示を受けてフローロは既に動いている。
青い瞳が捉えるのは蜃気楼の様な格子、物質の切り取り線――なぞる様に重く乾いた切断音。
重熱を帯びた警棒がコンクリートを切り壊し、片眉を上げた軍警を瓦礫の向こうで捉える。
引き金を引いてスタンロッドが音のない粒子線を吐き出す――それが軍警の感覚を混ぜ返した。

「対象を拘束しました。霧黒ちゃんは風炉さんを」

「了解です」

IDカードを回収した霧黒は室外へと駆けていく。
倒れ込んだ軍警を抑え込んだハクトは後頭部と耳の後ろを素早く確認し、電脳の接続に使用するアンテナを見つけ出す。

「指示を」

短く管制室への通信。

『隠岐』

『いけるわ。電脳に接続して』

即座に返される応答。
皇が隠岐に声をかけた瞬間、フォスフォロスが繋ぐ仮想の専用回線とキャットの分体が噛み合い、分体の一団が電脳へと潜り込む。

『やっぱりね』

おキャットへ向けられるプログラムの攻撃。
見覚えがある軌道は、“カーボンコピー”の挙動だ。
その正体は、電脳の中で織り上げられた膨大かつ異常な負荷を伴う無意味なデータ処理の火球。
それはこちらへと熱を帯びた仮足を伸ばし、また軍警の神経細胞を今まさに焼き潰さんと渦巻いている。
だが――おキャットは落ち着いて積載されたプログラム、隠岐の即席防壁を解凍し、一体の分体ごとそのデータ群を折りたたんでいく。
高度に模されたありもしない電脳、その形をした即席の防壁。
それを別の分体が折りたたんで、それを折りたたんで……七度ほどの折りたたみを経て、“カーボンコピー”は渦を巻くことを止めていた。
小さくまとまったファイルを、残ったおキャットの分体が拾い上げる。

『そう何度も通しませんよ』

機能が完全に停止したのを確かめて――おキャットが電脳の状態を走査する。
モニタに結果を表示しつつ、夜八が座席を振り返る。

『後頭連合野に損傷を確認。"カーボンコピー"です』

……偶然とも言えるが、“カーボンコピー”の加害者を生存したまま確保することには成功した。
しかし皇も狼森も、息をつくこと無くモニタを睨んでいる。
風炉の無事が確認できるまで、力を抜くことは出来ない。


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人の気配を扉越しに感じ取って、霧黒は一つの扉の前に立ち止まった。
微かに聞こえる足音は聞き覚えのある様な。
南京錠とワイヤー、鍵穴はディスクシリンダーで、ドライバーさえあればすぐに破れる。
霧黒は無表情のままロックを破り扉を開け放つ。
舞い上がった埃に少しだけ目を細めながら、部屋の隅で振り返る風炉を見た。

「大丈夫ですか?」

歩み寄り、頭部を始めとして外傷の有無を確かめるが特に変わったところはない様だ。
手首に若干のうっ血が見られるが、拘束されていた事が分かる程度の軽いものである。

「軍警の男性は?」

「ハクトさんとフローロさんが取り押さえました」

「良かった」

軍警が物音に気付いて外に出た時点で風炉は拘束を解いたが、施錠を破る手段がなく、代わりに事件の証拠になるものが無いかと歩き回っていたらしい。

「お気をつけ下さい」

霧黒は背伸びして、風炉は少しかがんで、首からIDカードを掛けた。

「……お手数おかけしました」

まっすぐ向けられる視線に礼を返す。
風炉は痺れた指を確かめるように片手を何度か開閉する――もう片方の手には、軍警のタブレット端末が握られている。
カップとケトル、そして適当な手術道具を除き、この部屋に残っていた軍警の私物はといえば、喫茶店で広げて見せられたタブレット程度のものだった。
タップすると表示される、独自に集められた調査メモといくつかの写真。
加害者と被害者に交じってスーツ姿の男が写っている。
……体格のいい、髪を短く刈り込んだ、浅黒い肌にスーツのサイボーグ。


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「……」

眉間を押さえる皇をローレルが覗き込んだ。

「どうしたのかナ?」

「真面目過ぎるのも考えものだ……」

庁舎まで戻ってきて諸々のチェックを終えた風炉が、まさか「出勤しても良いですか」などと尋ねてくるとは、皇は思いもしなかった。
確かに人手不足の現状、風炉の持つ技術や知識、"カーボンコピー"の捜査に彼女の力は必要だ。
しかし、

『休みなさい』

軍警の電脳を解析していた隠岐は、わざわざ席を立って簡潔な言葉を返した。
皇も心配ないから明日は有給を使うようにと口添えして、そこまでしてやっと、風炉は困ったような顔で了承した。
そして今日、彼女はちゃんと休んでいる。
……念の為、風炉には伝えないまま冱月を周辺警護につけてはいるが。

「という事ハ、彼のヒアリングは翌日以降かネ?」

「そういうことだな」

何もなければ、ではあるが。


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「……」

眉間を押さえる黒い指。
管制室を出て、休憩室に向かうのは背の高い義体の女子高生――ではなく、フォスフォロスだ。
先日使用された電脳凍結のプログラム開発に駆り出されて計算機能を間借りされ、合わせてバックアップも担当していたのだ。
へろへろの様相に隠せない疲労感を漂わせて、せめて甘くて冷たいものでもと課員用に設置されたドリンクサーバーへと意識は向けられていた。

「あーっ!」

地上階に出るなり、その願望を叩き割ってくる嫌に溌溂とした声が耳に届く。

「お疲れ様です!ちょっとお話よろしいでしょうか?三位総研ホールディングスの岩世チトセです」

体格の良いスーツ姿。

「環境課様にデータ漏洩の可能性がありまして……」

短く刈り込まれた髪。

「この区画の軍警さんが関与している可能性があるんです」

浅黒い肌。

「ご確認頂けますか。こう、顎に金属フレームを使った壮年の男性なんですが」

フォスフォロスのアイカメラが映したのは、見覚えのある男だった。

『少し待て、と伝えなさい』

「少し待て――じゃなくて、少々お待ちください」

隠岐の割り込みをそのまま口にして、はっとして、目の前の男は気を悪くした様子もない。


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「妙だネ」

案内窓口の映像を確認しながらローレルが呟く。

「仮に情報漏洩が事実だとしテ、タイミングが良すぎル」

岩世チトセが提示してきた人物像は昨日確保した軍警に他ならない。
――また、軍警から押収したボード端末に収められていた写真は岩世で間違いない。
岩世が軍警の動向を知ったとして、それは環境課ネットからの漏洩とは考えがたい。
D案件への対処からこちら、環境課の情報セキュリティは場違いとも言えるほど強固なものを組み上げてきたはずだ。
事実、彼が今まさにアクセスしようと門扉を叩いているサーバーも、きっちりセキュリティシステムは作動していて、わずか1バイトのデータすら通していない――そのはずだ。

「カマをかけているわけではないのかネ?」

「どうかな」

岩世が現れたのが偶然ではないと仮定して、では彼は何を目的に、どのようにして環境課へと足を運んだのか。

『先日一度訪問履歴があるわ』

「その時の会話を拾いだせるか?」

フォスフォロスとの会話映像――に字幕を付けたものがモニターに映る。
溌溂としたセールストークは短時間ながら濃密な言葉の羅列になり、長々と続く製品概要、以前の計画における三位の実績、社内で行われている実験的な情報管理プロセス――

『機械学習による無意識下での動機づけを利用し――』

一時停止。

「……フォスフォロス、彼を応接室へ」

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