B.B.B.B.B.B. Cp.1
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VRC環境課
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[市街地] PM 7:00
太陽が沈みゆく空。
若干の陰りを残しつつ、日の長い季節はようやく安定した暑さを提供しているようにも思える。
道を歩く人々は薄手の服を着て暑い暑いとこぼしながら歩いていく。
行儀が悪いとされる食べ歩きも、それが冷菓子であれば咎められる道理も無く。
夕闇を過ぎ、帳が夜を告げる。
それを追いかけるようにして街灯に光が灯り、街の装いは違った顔を見せた。
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[課長室] PM 8:00
灰色の猫がちゅーるを舐めている。
空いた片手で画面をスクロールしつつ、視線は表示されている資料へ向けられた。
メ学と協力企業によるガジェットの開発記録である。
重熱街灯のモデルデザイン更新や小型化、低コスト化への取り組み状況などが記載されており、実用には至らずとも経過は順調であると言えるだろう。
既に試験区域外への配備は実施されており、手始めに環境課周辺の街灯が入れ替えられていた。
外部評価の手ごたえは悪くなく、街灯を見るために子供たちがやってくる程だ。
好奇心旺盛な子はその外装を手で叩いたりするが、今のところ問題が起きたという報告は無い。
未だに【重熱効果】や【四次元物理学】といった呼称が一般化したとは言い難いが、それでも認知度は上がっている。
「そもそも、我々からして徹底出来ていない訳だしな……」
公に提出される書類には必ずチェックが入るが、そうではない環境課内で閲覧あるいは提出される報告書などでの表記ゆれは未だに発生し続けている。
先日は『四物』の読み方について、『よんぶつ』なのか『しぶつ』なのかと問答があったとかなかったとか。
時間をかけて浸透させていくしかないだろう、と結論付けている。
些細な事ではあるがいつまでも頭の隅に残るような気がしてならない問題はさておいて、空になったちゅーるの袋をゴミ箱に投げ込む。
ゴミ箱から音が返ってくるのと、新たな通知がポップした音が聞こえたのはほぼ同時だった。
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[会議室改め簡易実験室] AM 10:00
簡素な机とテーブルだけの会議室は、今や物々しい様相へと変貌していた。
良く分からない装置が並ぶ壁面。
良く分からない映像や数値が並ぶモニター。
良く分からない資材が置かれた机。
良く分からない式が書き込まれたホワイトボード。
良く分からない男。
「早朝からお手間をかけます」
華やかな眼鏡の向こうに笑みを作ったのはフェリックス・クラインだった。
「構わない。用件は?」
手近なパイプ椅子に座って相手の出方を待つ。
「ガジェットの構造変更とそれに伴って重熱効果式の切り替えを可能とするためのプランです」
手渡された資料には杖の様なガジェットの写真が掲載されている。
「椛重工に製作依頼を出したマルクトエディス。現時点で環境課に何本ほど導入されていますか?」
「10本を超えない程度だったはずだ。それが?」
「ただの確認です」
眉根を潜める。
「この杖は現段階では製造段階で定めた単一の重熱効果しか発生させられません。それは本体に記録された式が固定化されているからであり、あくまでガジェットは式の演算を代用するものだからです」
氷柱を前方に形成する、という式を中空に指で描く。
「指定があればあらかじめ別の式を組み込む事で対応は出来ますが、その時その時で切り替えるという事は達成する事は出来ていませんので―――」
「組み込まれている式を交換可能な構造にすればいい」
割り込んだ言葉に手を叩いて応える。
「書いてあった文章を読んだだけだ」
「失礼しました」
これは話していてイライラする気持ちも分かる、と思いつつ。
「式を読み込む部分を【カートリッジ】の様なものとして構想し、この【カートリッジ】の交換手段や、式を収める【カートリッジ】そのものの形状などを変更、調整したいと考えています」
シリンダーの様な形や、ICチップを模したフラクタル構造の正方形のプレートが例として記載されている。
「外付けデバイスによる式の変更も案に含まれていますが、実用性とコストを天秤にかけて検討していくことになります」
「そしてその起動、実用試験を環境課が行う、ということだろう」
我が意を得たりと片や笑顔で、片やため息をついた。
「『加熱』、『吸熱』、『圧縮』、『放電』の四つ程度で考えています。あまり複雑でない方がよいでしょう」
目的はあくまでガジェットの運用が可能かどうかであり、その性能を厳密に確かめる事ではない、と留意した上で。
「その実施に向けてこちらから実験に立ち会う課員を指定させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「それはその時の業務次第だ。緊急性、特殊性の高い業務が別から飛び込んでくれば、そこに人員を割けなくなる可能性もある事だけは理解しておいてほしい」
「ええ、それはもちろん」
資料を閉じて卓上に下す。
「こちらが本題なのですが、上下水道系のインフラ整備の進捗について―――」
「研究開発に掛かるコストの試算とここまでの計上の誤差は―――」
虹色に点滅する眼鏡には、一切触れることなく。
会話は滞りなく進んでいく。
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「先日、ヘレン・ミドルトン氏から魔素充填剤の開発についてのご相談を頂きまして」
何事も無かったかのように、眼鏡をかけかえる。
「知っているとも」
流石に無許可で行わせていい内容ではない。
「許可書を発行させて頂きました。初期起動テストには立ち合いをする予定です」
「そうか。くれぐれも彼女を怒らせることだけはしてくれるなよ」
「善処します」
表情で訴えてみるが、努めて無視をされた。
「アンドロイドに限らず一部のヒトはフェルミオンの振動が十分に起こらず、重熱効果を発生させる事は出来ません。実際に環境課員の中でも重熱効果の起動適性が無いと判断された方もいたと記憶しています」
それは誰にでも重熱効果を使えるようにという目的に置いて、越えなければならないハードルの一つだ。
「その解決策と具体的な取り組みをこの短期間で提案されるとは思ってもいませんでした。私たちが頭を悩ませていた内容でしたので、研究者としては悔しい思いで胸がいっぱいですよ」
あまりにもにこやかに言うものだから、それが本当か追及する事は出来なかった。
「勿論、高次元物理学会がバックアップさせて頂きます」
「……よろしく頼む」
差し出された手を、今度は軽く握り返した。
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【B-4】
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