【要助言スリーピング】

「ふぁ――んぐ」

無意識に開きかけた口元を空いた手で遮って視線を横へ。
こちらを見ている課員はいないようで内心ほっとしつつ、昼食を終えた後の浮ついた眠気はどうにも尾を引いている。
強制的な意識の覚醒は出来ない訳でもないのだがこの心地よさには抗い難く、更に言えばこうした日常的な変化をあまり不都合に思っていないというのもまた一つ。
流石に仕事中に舟を漕ぐのは如何なものかと少しだけ思考をクリアにして再び作業へと向かう。

「……あら?」

しかしそう思ったのはあくまで感覚だけだったようで、目の前に置かれた電子基板の整備状態は凄惨の一言だ。
安価なもので良かったと微かにでも考えてしまった事を自戒して、丁寧に後処理を行う事でとりあえずの体裁を保つ事が出来たのは幸いである。

「お疲れですか?」

柊の問いかけは穏やかなもので、フローロはバツの悪さと恥ずかしさを綯交ぜにした表情で返した。

「あまり無理はなさらないでくださいね」

「ありがとうございます」

お腹がいっぱいになっただけ、とは言えない。


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三時を回って休憩室に赴いたフローロは眠気覚ましにと冷たいカフェオレを一口。
砂糖の入っていない控えめな苦みは気を引き締めるには十分で、空いた席に腰を落ち着けてもう一口。
そうしてちらほらと利用者が訪れる中、一人だけやけに目立つ課員がいた。
赤と黒の毛並みが理由ではなく、手に持っている枕が原因である。

「散葉さん」

思わず声をかけてしまったが、眠そうな表情の彼女はその言葉に反応した。

「なんで枕を?」

「夜勤明けで眠くてさ~。家に帰るまで持たなさそうだからって仮眠室いったけど埋まってたからとりあえず枕だけね」

対面に座ると机の上に枕を置いて顔を押し付ける。
何度か角度を調整して座りの良い位置が見つかったようだ。

「やっぱ枕は大事だよね……」

恍惚とした声が漏れて、わずかに見える表情もこれまでにないほど緩んでいる様に思える。

「そんなに変わるんですか?」

「全然違うよ値段が高ければいいって訳じゃなくて重要なのは自分に合ってるかどうかなんだけどそれも何度も寝てみないと分からないし硬いのも柔らかいのも好みもあったりで季節によっては使い分けとかもあるし私の場合はなんだかんだで自分で作ったのが一番しっくりくるんだよね」

平坦かつ饒舌に語る散葉に面食らいつつ、なるほどなと理解を得る。
今使っている寝具は環境課から支給されたものであり不便や不満を感じた事は無いものの睡眠という行為に楽しみを見出しつつあるこの頃、恐らく環境課員の中で最も睡眠にこだわりを持つであろう彼女の言葉はやけに耳に残った。

「じゃあ――」

今度機会があったら一緒に見に行きませんか、という誘いは中断される。
突っ伏した腕の隙間から小さな寝息が聞こえてきたからだ。
早口も後ろの方は小声になっていたし、寝落ちの前兆だったのだろう。
起こさない様に静かに席を立ち、こちらを見ていた課員に向けて人差し指を立てて合図する。
彼女が何時起きたのかは分からない。


当たり前のサイクルを受け入れたのはいつの間にかだった。
変化を求める切っ掛けは存外ありふれたところにあるらしい。
行ったことのない場所はすぐ傍にもあった様だ。


一人で行った寝具店で七桁の天然羽毛布団を買わされそうになったので、やはりアドバイザーは必要だと思う。


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【要助言スリーピング】

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