Cp.7 "Я"ebirth
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VRC環境課
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[黄昏の丘]
陶器が重なる音がしてフローロは顔を上げた。
白い髪、白い服、そして影としか言い様のない少女が座っている。
「ここは……」
黄金色の空は変わらず、流れない雲と動かない影が静かに佇んでいた。
「お久しぶり」
聞いた事のある声は、これが夢や幻ではないと伝えてくる。
「私は、失敗したんですね」
貫かれた感触が残る胸元に手を添えて、届かなかった事を悟った。
生物としての【死】ではなく、【聖遺物】としての【死】はこの世界からの抹消に等しい。
権能の行使に伴う臨界到達は表層に出ている自我を喪わせ、ここにいる影絵と同様に個人としての認識が極限まで希釈されていく事を理解していた。
それは【フローロ・ケローロ】としての行いや痕跡が過去に遡って消滅し、最初から【いなかった】様に書き換えられるという事でもある。
この少女の名前を、誰も知らないのと同様に。
「可哀想ね」
少女が手を添えた胸元には、一滴の血が滴っていた。
「【死】は【終わり】であるとしか教えてもらえなかった憐れな子」
見えないはずの表情が悲し気に歪んでいると感じられる様な。
「【切断】は【死】へ至る為の【手段】。そして【死】は【終わり】の一側面でしかないのに」
少女の言葉に耳を傾ける。
「死んで終わるのは一つの命。その命が終わってもそこにある関係性はずっと紡がれていく」
親が子よりも先に死んでいく様に、その子が新たな命を繋いでいく様に。
「自らが贄となって誰かを助ける事がある様に」
微かに浮かぶ断首痕を撫でる指先は赤に滲んでいた。
「ここにいるのは、誰かの救いとなる為に自らの死を受け入れた愚か者だけ」
生きていて欲しいと願い、その先を見る事を諦めた自己満足の最大値。
本当にそれが誰かの救いになったのかを確かめる事が出来ずに終わっていった者達。
首を落とし、顔を失くし、自身を証明する事の出来ないただの残滓。
「私もその一人でしょうか」
その苦笑には後悔がありありと滲んでいる。
「誰も護る事なんて出来なかった……」
握り締めた拳には痛みが無く、かえって惨めさを感じさせた。
「貴女は勘違いしているわ」
しかし、少女はそれを否定する。
「もっと根本的な所からね」
空になったティーカップを下して少女は居住まいを正した。
「私たちは【死】を望まれて、それに自分の意志で応えただけ」
親であり、兄弟であり、村であり、街であり、国であり、社会であり、そうせざるを得なかったとしても、彼らはそれを受け入れた。
「でも貴女は違う」
それは至極単純な掛け違い。
「貴女は【死】を望まれていない。生きて欲しいと願われているのだから」
誰かの救いとなる為に自らの死を受け入れたとしても、
「貴女自身の選択を否定される事の意味を考えてごらんなさい」
断頭台が崩れ、
「仲間なのでしょう?」
影絵が立ち去って、
「家族なのでしょう?」
机が沈んで、
「一度死んだくらいで断ち斬れる様な儚い繋がりなのかしら?」
ネオンイエローの腕章と。
黒を基調とした制服と。
見慣れた顔が並び。
眩い色の輝きと。
強い視線は交わり。
大切な想いに触れて。
【フローロ・ケローロ】としての記憶の全てがそこにある。
『必ず、帰ってこい』
聞こえなかったはずの言葉は確かに届いた。
「――――」
喉に詰まった嗚咽はここではないどこかに零れ落ちる。
「【死】はどこにでもあって、【死】はいつでも訪れて、それは瞬きした瞬間に訪れる程度のものでしかないの」
それは恐れ、拒み、逃避する為の言葉ではなく、隣り合わせを受け入れる事を示していた。
「苦しみから解放する為に与える【死】も、誰かを救うために受け入れる【死】も、生きる事が尊い事だと知っているからこそ絶対的な概念となって私たちを縛りつけ、そして解放してくれる」
その尊さは誰かに与え、そして与えられる事でしか見出せないモノだ。
【生】と【死】の在り方を【彼ら】と共に受け入れた時、【聖遺物/忘却の丘】に込められた本当の祈りが形を成した。
「見せてほしいの。望まれて受け入れた私たちが、決して見る事の叶わなかった光景を」
自分たちを救うはずの選択を跳ね除けて尚、共に在ろうと足掻こうとするその美しさはきっと。
「その先は、貴女にしか見えないはずだから」
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その刃は確かに心臓を貫いたはずだった。
『臨界到達』
刹那に消えていたはずの深碧色が鼓動を再開する。
『完全同調』
力無く下がっていた両腕が真紅の刃を確かに掴む。
「何、で」
「貴方に触れて、分かりました」
青年に与えられたのはただ殺すという単純な役割でしかなかったという事。
彼の願いも何かもがそれに塗りつぶされてしまったという事。
少女の言葉を思い返し、強い憐憫がフローロの心に浮かぶ。
「【死】を望んでいるのは、貴方自身なんですね」
絶望的なまでの孤独と狂気の中で残ってしまった一欠けら。
理解された喜びと、理解されてしまった悔しさと、どうしようもない苛立ちが爆発的に沸き上がり青年は咆哮する。
「だとしても、誰も僕を殺せない!」
再生した右腕で胸倉を掴み、力任せに投げ飛ばした。
「出来もしない事を!出来もしないやつが!軽々しく口にするなよ!!」
生成された刃の全てがフローロへと殺到し、
「いいえ」
全てが二対の深碧色の軌跡によって切断された。
その輝きは先ほどまでの比ではない。
「嘘だ――」
身長の何倍もの大きさになった刃を振り下ろして、何度も何度も振り下ろして。
「嘘だ!嘘だ!!嘘だ!!!」
衝撃波がコンクリートを捲りあげて、コンテナは亀裂を伴いながら吹き飛ばされる暴風の中で、フローロの傍は静かに凪いでいた。
「貴方を殺します」
それは【聖遺物】としての役割を果たす為ではなく、フローロの意志としてはっきりと告げられた言葉だ。
『生きていたいと求めて』
少女の声が囁いた。
「生きて欲しいと願って」
フローロの声が重なる。
『「生きて欲しいと望まれたから」』
【聖遺物/忘却の丘】と完全な同調を果たして尚、自分自身を繋ぎとめていられるのは解けることのない光があるからだ。
壊れやすいからこそ愛おしく、護りたいと思うからだ。
「貴方を、救います」
『権能【救済】』
込められた祈りは【死】を望むモノに【死】を与える事、ただそれだけ。
苦痛なく落ちる刃は慈悲に満ちている。
「私は!」
左右から迫る必殺の刃も、
「環境課!」
頭上から降り注ぐ幾千の殺意も、
「解体係!」
一直線に向かってくる悲痛な叫びも、
「フローロ・ケローロだ!」
二対の刃は無数の軌跡となってその全てを退け、今度こそ青年の心臓を貫いていた。
砕けた破片は粒子に還り、急速に薄まっていく存在の証明。
「私の居場所は、ここにあります」
喪失の最中にあって、青年は穏やかな笑みを浮かべていた。
「そっか……」
酷く優しい声で。
「君は、独りぼっちじゃないんだね」
「ずるいよ」
殺す事でしか誰にも届かなかった青年の言葉。
「貴方は独りぼっちじゃありません。私がずっと、きっと、忘れません」
殺される事でしか誰とも交われなかった青年の心。
最期に言い残した言葉は感謝を伝えるものだった。
一人になったコンテナ置き場に残ったのは雨の音だけ。
頬を伝う雫は微かに熱をもって、それも次第に冷えていく。
深碧色の燐光も消え去った時、普段通りの格好をしたフローロが一人立っていた。
「始末書の書き方、ガメザ君に教えてもらわないといけませんね」
何時までもそうしていられないのは待たせている誰かがいるからで。
帰るべき場所へと、一歩を踏み出した。
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Cp.7 "Я"ebirth
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フローロ・ケローロ キャラクターエピソード
【Memento Mori Я】
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