【Answer Your Justice】 : Cp-2

瑠璃川と風炉が歩くショッピングモールは俄かに活気づいていた。
生活圏である事を理由に他と比べて優先的かつ至る所で工事が行われており、急ピッチで進む復旧を利用者は日常として捉えている様だ。
談笑交じりにブルーシートの横を通り過ぎていく姿が目に入る。

「皆さん、落ち着いておられますね」

内勤業務の傍らで被害状況や治安の悪化は聞き及んでおり、どことない不安感を募らせていた。
今回の巡回はそれを見たいと思っていた自分の考えと合致した事もあり二つ返事をしたが、どうやら自分にとっては良い結果を生み出した様だ。
安堵の溜息を小さくこぼし、隣の瑠璃川に視線を向ける。

「あ~~、はい……」

どう見ても心ここにあらずだった。
ともすれば浮かび上がってしまいそうなほどに地に足が着いておらず、その原因は言うまでもなくガメザの状態だろう。
今でこそ目を覚まして業務に復帰しているものの、その負傷は凄惨過ぎて命の危機がすぐ隣にあった事を疑う余地は無かった。
その容態まで追い込んだ堺斎核への怒りは今でも薄れる事が無く、その場にいられなかった自分自身にも同様の感情を抱いている。
もし自分がそこにいたら、という空想は一日に数回では足りない程度に繰り返されていた。
振り下ろされる刀の軌道を逸らし、ガメザの動きを助け、狼森が与える致命の一撃を後押しして。
盛大に吹き飛んだ堺が崩れ落ち、環境課はド取を退けるヴィジョン――ありえない、と全身全霊が否定する。
自分がいたところでどうにも出来なかった事は分かっていて、最悪の場合は死体が一つ増える程度にしかならなかっただろう。
旧出島における作戦行動に選出された事は良い結果を生み出していて、それなのに未練は残り続けている。
早々に手放さなければならない感傷を未だ引きずっているのは、自らの至らなさなのか。
表に出さない様に努めて明るく振る舞っているつもりで、

「瑠璃川さん」

それでも気付かれる、気付かれてしまう。

「え~~っと、あの~~、お店に並んでるお洋服が全然無いなって思って~~」

手を右往左往させて、視線は中空を泳ぎ、かろうじて拾った情報をそのまま口にした。
生活に必要なインフラに重きを置いた結果、娯楽や嗜好品は後回しにならざるを得ないのだろう。
瑠璃川の意識が向かう対象が何なのかを察してはいるが、それは目の前の業務を疎かにしてもいい理由にはならず、軽率に許してよいものでもない。

「心配なのは分かります。ですが今はこちらに集中してください」

諭すように穏やかな言葉で、それで拗ねる程幼くもない瑠璃川はようやく視線を正面に向けた。
広くなった視野が拾い上げたのは、暴動によって破壊されて、そして復旧によって立ち直りつつある当たり前の景色だった。
かつての故郷と環境課の現状を重ね合わせて、どこか懐かしさや親しみを感じてしまうが、それをあまり歓迎したいとは思わなかった。
愛着を持ち始めたことを自覚している今、穏やかで、小綺麗で、安定して、整った、そんな環境が待ち遠しいとさえ感じていて、時間をかければその願いは叶うだろう。
ならば今、自分には何が出来るだろうか。
そして遠くない未来、また同じ様な事が起こってしまったら?
その時、自分には何が出来るだろうか。
瑠璃川は再び思考に潜り、けれどその方向性は随分と切り替わっている。

「……」

その姿を見ても声をかける事は無く、やがて風炉は自らの言葉を振り返った。
集中してくださいとはよく言ったもので、自分自身が割り切れずふとした瞬間に違う事を考え始めてしまう事を自覚していた。
人手不足とは対応すべき業務内容が増加したことも要因の一つだが、何より環境課員の減少が大きく響いている。
治安の悪化や襲撃に際して辞職したものも少なくは無いが、特に暴動の対応に当たった課員の約半数が死亡という事実を伝えられた時は足場が崩れるような思いだった。
彼らは彼らの責務を果たしたのであり、その結果が目の前の光景に繋がっているのだから――だから何だ?
残された側もそれに応えるべく責務を果たさなければ合わせる顔が無い――合わせる相手は既にいないのに?
暴力の前に死んでいった彼らを何も知らない自分が、暴力に太刀打ちなど出来はしない無力な自分が、単純な事実として割り切るだけの資格があるのだろうか。
自己嫌悪の念は拭い難く、努めて考えないようにはしていても目の前の光景がそれを許してはくれなかった。


だから、と言うべきか。
風炉が視界の端で揺れる鋼材に気付いたのは。
ロープで縛られているはずの重量物が傾き、崩れかけているのを見て自分たちの背後で小さく悲鳴が上がる――はずだった。
不自然に堰き止められたそれは逆再生の様に戻っていき、重なり合う乾いた音が近くにいた男性を気付かせる。

「あ?おい、誰だこれ縛ったやつ!緩んでんじゃねえか!」

離れた位置で別の仕事をしていた青年が顔を蒼白しながら走ってきた。

「すいません!」

「すいませんじゃねえんだよ馬鹿が!人の命に係わる仕事だって自覚がねえのか!?」

当たり前の言葉は、とても鋭い。

「さっさと縛りなおせ!お前に任せた仕事だろうが!」

手際よく、そして何度も何度も行われたであろう仕事に一切の緩みは無い。

「やれば出来るんだったら最初からやっとけっての」

「はい!」

ぼやきと共に尻を叩かれた青年は、跳ねるようにして元の作業へと戻っていった。

「ありがとうございます」

瑠璃川は少し慌てて、視線を彷徨わせた後、にへらとはにかんだ。

「集中してますからね~~」

こちらは問題無さそうだ。
二人の隣を清掃ロボットが通り過ぎていく。

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環境課にメ学から区画清掃の協力依頼が届いたのは二日前の事だった。
gSV測定に小さくはあるが異常値を観測したという旨の連絡が入り、それに重なる様にして付近の市民が吐き気や眩暈を感じる事例が立て続いた。
恐らくは重化ナナカマドの粉末が残留していたのであり、その程度であれば緊急性も低いだろうと早々に結論付けたものの、環境課管轄ブロックの状況から考えると放置しておくことは出来ない。
それこそ風に舞って散ってしまえばそれで終わる話であっても、環境課の立ち位置を明確にする意味も込めて、メ学と合同で区画清掃が行われる事になったのが昨日の事だ。

「私たち、やることあるんでしょうか?」

「……」

No.966とメメリは簡易的なバリケードの内側にいて、目の前で行われている洗浄作業を眺めている。
箒と塵取りを手渡されたものの、メ学の学会員が使用している手持ちの掃除機――不思議な形をしているが機能的にはそうらしい――がほとんどの作業を終わらせていた。
gSV測定装置の数値も極めて平穏で、環境課の腕章はもはやパフォーマンスである様に感じられる。
遠巻きにそれを眺めている人々の視線に不安や不穏はなく、これで大丈夫だという安心が色濃く映っている。
それを見てメメリは少しだけ安堵した。
暴動が起こり、多くの悲劇が生まれ、その中でも人々が日常を取り戻しつつあるというのは喜ばしい事だ。
かつて見てきたものとは異なる風景に希望の様なものを感じ取り、時折通っていた飲食店が無傷で営業していたことにも胸を撫でおろしている。
当然ここではないどこかでは暴力によってその命を奪われた人が大勢いることも理解しているし、その死を看取ることが出来なかった事実に微かな無力感を味わってもいた。
しかしそれが現実的な考えでない事は明らかで、これは感傷と呼べる類だろう。


すい、と隣に視線を向ける。
目を伏せた黒猫は罅割れ一つないコンクリートの壁面から、這い寄る蜘蛛の姿を幻視していた。
レイメイ。
生まれも目的も不明瞭な、ただただ不気味で危険な人物。
環境課と課員に対する脅威の一つであり、それ以上でもそれ以下でもない。
それは他のド取に所属する堺斎核や赤星伊吹に対しても同様で、警戒度合いは別にしても特別な好悪の感情は特に持っていない。
ロナルド・ハンティントンに対してはわずかなひっかかりがあるが、それはどちらかといえばフローロが目の前でいなくなった理由を提示した為であり、本質的には彼に抱く評価も同等だ。
連れ去られたというには彼女自身の判断による部分が大きいが、それは身を案じない理由にはならない。
比較的交流の長かった彼女が今どこで何をしていて、ロナルドがその約束を果たしているのかどうか――。

「失礼します」

学会員の言葉で二人揃って顔を上げる。

「そろそろ終わりますので、不要であればそちらをお預かりしてもよろしいでしょうか?」

箒と塵取りを手渡し、本当に何一つやることがなかったなと思う。
撤収準備を進める姿を眺めているとバリケードの向こう側でこちらをじっと見ている三人組がいた。
特に柄が悪いという事もなければ、こちらに敵対的な視線を向けている訳でもなく、あくまでも自然体。

「No.966さん」

かろうじて聞き取れる程度の小さな呼びかけに耳の動きだけで返答する。
メメリの予測としては環境課ブロックの様子を探りに来た別ブロックの人間で、それはおおよそ正しい。
彼らの様な行いをする事例は最近では珍しくもなく、ブロック全体の変化も相まって不自然にもならない。
それこそ何か言おうものなら後ろめたい事があると肯定してしまうに等しく、二人の対応は『放置』で一致していた。
外部からの干渉に対して特に思うところはなく、そういうものなのだろうなという程度の感覚でしかない事も理由の一つである。
もちろん新しい顔ぶれが別の問題の火種になることは十分考えらえるし、不安に思わないでもないが、その程度だ。

「失礼します」

先程と同じ学会員に声をかけられ、二人の意識はそちらへと移る。

「こちらの書類にサインを頂けますか?」

洗浄作業の報告書に環境課のサインを記し、ここでの役割は完了した。
いつの間にか三人組も姿を消していて、やはり先程の予測は正しかったと結論付ける。
一応は情報係にも共有しておいて、その日の業務は一区切りがついた。

「戻りましょう」

「はい」

後ろを振り返って。
ほとんど被害のなかった区域は既に日常を取り戻していて、全くの元通りにはならないとしても、少しずつでもこうある日が早まればいいと思う。
もう一度振り返って。
変わっていかなければならない。
誰に向けた言葉なのか、何を決意する言葉なのかは知る由もない。
回収されたゴミ袋が放り投げられて、どさりと。

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目の前には倒れ伏した青年が三人いる。
ドーベルマンはガメザを横目に睨みつけ、多少の反発心を抱きつつもバツが悪そうに目を逸らした。
巡回中に聞こえてきた罵声と怒号に近付いてみれば三人の青年が言い争いをしていた場面に出くわした。
ガメザたちに気付かないままヒートアップするやり取りはそのまま殴り合いへと発展しかけ、それを止めに割って入ったところまでは想定通りだった。
しかしどれだけ仲裁しても落ち着くどころか火に油を注ぐだけで、ついにはその矛先がガメザへと向かう。
当然の様にこれをいなし、躱し、そのうち面倒になって殴り飛ばしたところでトーベルマンは天を仰いだ。

「……ハァ」

「いやしょうがねえだろ」

面倒に思ったことは否定しないが、彼らが身に着けている義体は十分な危険性を保持している事もあって強硬策に出ざるをえなかったというのがガメザの主張だ。
身体機能の補助や怪我などの治療行為を目的としたレベルではなく、明らかに数段上の出力を持つ義体は人体の破壊など容易に行えるだろう。
呻く青年たちの収入ではどう見積もっても手の届かない代物であり、誰かが意図的に流出させているのであれば大きな問題に発展する可能性が高い。

「んで、どっからこれ持ってきたんだ?」

「……」

返事は無い。
最初から期待はしておらず、ドーベルマンは義体に刻まれたシリアルナンバーを情報係へと転送する。
どうにも最近、こうした事案が増えてきていた。
治安の悪化は目に見えて、小競り合いで起こる被害は以前と比べて大きくなっている。
喧嘩程度の負傷を超えたものも数件確認されており、いざこざと呼べる程度の通報件数も増加傾向にあった。
もっとも、悪くなってしまったものは仕方がない事で、これを嘆いたところで改善するとも思っては無い。
むしろ仕事が増えて面倒だなとガメザは感じている。
その一方で、ドーベルマンはこれを深刻な問題として捉えていた。
今はまだ彼らの様なアウトロー同士で済んでいるが、これが無関係の市民に向けられてしまったらどうなるか。
恫喝や暴行に発展してしまえば、今の様にその場しのぎの対応では不十分だ。
更にその矛先が環境課の関係者に向いてしまえば、単純な問題から秩序の崩壊への発展を意味する。
打つべき手を考え始めたところで、それを途切れさせる様に情報係からの回答が届いた。
シリアルナンバーから販売ルートを突き止めたので順次摘発に向かうとの連絡で、二人は少しだけ安堵した。
流出元は最近環境課ブロックに来たばかりの新顔らしく、知名度欲しさに相当安価で販売をしていた様だった。
損失分の回収どころかそれ以前にその計画が頓挫してしまう事には、一切申し訳なさを感じない。

「あんまはしゃぎすぎんなよ」

喧嘩沙汰を起こして面倒を増やしてくれるな、という意味合いだった。
身の丈に合わない義体で問題を起こすなよ、という意味合いだった。
だが彼らにとっては自分たちの在り方さえ否定された様に感じられた。

「ほざいてんじゃねえよ……」

殴られた頬は熱を帯び、身体を支える両足は上手く力が入らない。

「あ?」

低く唸る声に身じろぎ一つ、憎悪が込められた視線はそらさない。

「全部、お前らのせいだろうが……!」

「どういう意味だ」

ドーベルマンの問い掛けを鼻で笑って。

「あの暴動で、でけえ企業だけじゃねえ。お前ら環境課だって狙われてたじゃねえか」

それは事実だ。

「知ってんだぜ?環境課が、あの暴動を止めようとして街ン中走り回ってた事はよ」

現場を目撃した人々の記憶にまで手を加えられるはずもなく、ネオンイエローの腕章は噂話の中で真実味を帯びていた。
表立って声を上げるものはいないし、そうしたところで奇異の目で見られるのが関の山だ。
それほどまでに祇園寺の情報操作は十全だった。
しかし――

「止められなかったんだろ?」

ド取の撤収は果たされたが暴動による被害は甚大で、喉元まで迫られた事を思えば彼の言葉はある意味で正しい。

「お前らみてえな無能のせいで俺たち底辺はいつもいつも割を食わされるんだよ」

それは言いがかりに近く、

「俺の親父は何でか知らねえが暴動に参加しちまって、ズタボロで病院に搬送されちまった。電脳汚染の治療が終わってもずっとビビってて話にならねえ」

込み上げる怒りのままに、

「それを見た母さんもぶっ倒れちまって、二人揃って病院から帰ってこねえんだよ」

湧き上がる不満のままに、

「お前らがアレを呼び寄せたんだろうが……!そのケツも拭けねえで、上から目線で説教垂れてんじゃねえよ!」

ド取は環境課の技術や人材の接収が目的であり、青年の言葉はここにおいても正しい。
しかしそれは結果のみを見た言葉だ。
環境課はド取に対しても暴動に対しても全力で対応に当たっていた。
大きな負傷をした課員もいれば、二度と帰らない課員もいる。
その全てが最善手だったとは言わずとも、その全てで全力だったはずだ。

「……っ!」

言い返してやりたかった。
自分たちなりにやれることをやったはずで、自分たちだって被害者なのだと。
しかしその弱音は彼らに届くものではなく、そしてどこかでもっと上手くやれたはずだという後悔、もっと上手くやれていたらという願望が喉元まで込み上げて言葉にはならなかった。
苦悶の表情を浮かべたガメザと対称的にドーベルマンの表情は凪いでいたが、その裏側には溢れだしそうな憤怒があった。
青年の言葉は決して独りよがりではなく、あの事件で被害を受けた大多数が抱く感情の一つだと理解している。
だからこの憤怒は、自分自身に向けられたものだった。
別の任務中だったとはいえ、その達成に自分の力が必要だったとはいえ、そこで得られた結果が最終的にド取を退けた要因になったとはいえ。
自分がこちら側にいれば、殉職していった課員たちの一人でも救えたのではないか。
見殺しにしたというのは正しくないが、いたたまれない気持ちと己の非力さには反吐が出る程に苛立ちを感じている。

「都合が悪くなったらだんまりか?おい、何とか言ってみろよ」

挑発のパフォーマンスを受けても二人は何も言えなかった。
彼らの怒りを、不満を、不条理を、正しく受け止める自信が無かった。
言い合いになったところで互いの主張がぶつかるだけで、何の落としどころも得られる訳がない。
そんなことはお互いに理解していて、それでも出口の見えない現実を受け止められるほど青年の心は強くなかった。
現実から逃避しなければ、刹那の衝動に身を任せていなければ、耐えられるはずがなかった。

「何か言えよ……。言い返せよっ!」

慟哭にも似た叫び声はコンクリートに吸い込まれていく。

「クソがよ……」

目に見えない傷は取り返しのつかない跡になって、想像よりも遥かに深く刻み込まれている。
コンクリートに立てられた爪が、白い境界線を引いた。

************************************************************************

環境課ブロックに隣接するR1-N地区。
明確な統治が行われていないが故の秩序は今日も保たれており、暴動の対象となる様な企業や組織が存在しない事がこの地区の平穏が保たれている大きな理由だろう。
逆に、外部ブロックへの不満を持つ人々はこの機に乗じて暴動に参加し、そして何名かは帰らぬ人となったらしいという噂を耳にした。
それに対して特に何かが行われた訳ではなく、それすらも自然なものとして受け入れられている。

「来るのが遅くなってすいませんね。こっちはこっちでゴタゴタしてたもんですから」

山形の言葉を雷蔵は鼻で笑った。

「別に来いとは言ってねえだろうが」

山形とナタリア、そして上鞭がこの店に居座っているのは雷蔵から呼び出しがあったわけではなく、単に座りが良いというだけの話だ。

「まあ顔馴染みが無事で安心したよ」

店先の清掃をしている上鞭に視線を送り、やや間があってナタリアへと移る。
窓の外を眺めている山形とナタリアの見解はほとんど一致していて、この地区の現状は予想の通りだった。
元々中立的なこの地区は外部ブロックの影響を受けにくく、暴動の余波に対しても同様である。
流れ込んでくる顔ぶれもどちらかといえば組織社会に馴染めないはみ出し者であるが故に、世間一般的な影響に左右されにくいという理由もあった。
そうした連中に対する組合からの牽制は日ごろから行われており、暴動に参加した人々もどちらかといえばR1-N地区に来てからの日が浅く、馴染み切れていなかったというのも要因の一つだったのかもしれない。
地区内部で起こった暴動――と呼ぶにはささやかな騒ぎ――も対応可能な範疇だったようで、まるっきり平時通りの雰囲気が漂っていた。
あちらとこちらの温度差を肌で感じながら、ナタリアはぼんやりと外を見続ける。
時折山本改造店に視線を向ける人々はいるが、さほど気にされていないというか、以前の様な警戒心剥き出しのものからは遠ざかっているように感じられた。
そうした変化に思うところはあれど、大部分では変わっていないR1-N地区の住人の在り方を見て、掴み処のない思考が――

「なあ、姉ちゃんよ」

雷蔵に振り返り、続く言葉を待つ。

「あー、いや……。体の調子はどうだ?」

珍しく歯切れの悪い様子に面食らいつつ、

「悪くは無いよ」

当たり障りのない返事を返す。
旧出島での戦闘による大きな負傷は無く、義体のメンテナンスも完了していた。

「ならいい。いや、そういうことを言いたいんじゃなくてな」

「何だよ気持ち悪い。はっきり言えば?」

んじゃあよ、と一呼吸を置いて。

「あんまり、気負い過ぎるなよ」

止まりかけた呼吸が再開されるまでに少しの時間を要した。

「お前さんらが無事ならこっちの商売は安泰だからな」

彼女が何を見て何を考えているのかまでは分からないが、皮肉屋が表情に出してしまう程に深く何かを思い詰めているのは明らかだ。
店主と客ではなく、心を許せる友人としての言葉を果たしてナタリアはどう受け取ったのか。

「ありがとう、おっちゃん」

口元をほんの少しだけ緩めて、今はそれで十分だ。

「ああ、そういえば」

二人の会話の隙間に山形が口を挟む。

「最近スクラップが大量に回収されたって聞いたんですがね」

暴動によって大量のスクラップが生み出された事も、正式ではないルートで取引されている事も、調査係と情報係の裏付けを含めて山形とナタリアには共有されている。
環境課として干渉すべきではない事象ではあるものの、R1-N地区に馴染みのある二人はそれを気にしていた。

「俺は知らんよ。他に知ってるとすりゃDGんとこだろうが、ありゃカーショップだ」

雷蔵の答えはその懸念を否定するものであり、

「ガキ共が玩具で遊んでるらしいってのは耳にしたがな。あんまり目くじら立ててやるなよ」

組合は既にそれを把握していて、その上で放置されているのはそういう事だ。

「おいたしたら叱るくらいで丁度いいって話ですかね?」

「そらそうよ」

外部ブロックからの流れ者が地区のしきたりを無視したとて、それに乗っかる輩は本物の馬鹿者だ。
それにわざわざ気を揉んだり、助け舟を出そうとするのは輪をかけて大馬鹿者なのだろう。
不文律によって保たれる秩序は環境課ブロックとは全く異なるが、それで上手く回っているのだから世は事もなしと山形は肩を竦める。
さりとて思う事はある。
再三の襲撃があった上で環境課に残ったのは、自らの身に危険が迫るのを承知の上で、あるいは非現実的過ぎて客観視していたかのいずれかだろう。
そして結果として多くの犠牲者が出た事は、老若に関係無く仕方のない道理だったと考えている。
ただし。
それは山形個人が環境課員に向けるものであって、環境課そのものに抱く考えとは異なっている。
あの日の全てを詳細に知るわけではない。
ド取を退かせたキーとなる出来事が何だったのかも知らされてはいないし、情報の開示範囲が異なるのは他大勢の課員も同様だ。
その上で、環境課という組織がどういった意志を持ち、多くの犠牲の上に何を守ろうとしたのか、その先に得るものがあったのか。
自分なりに考えてはみたものの、今でも答えは見いだせていない。
表に出すものは今のところいなさそうだが、環境課に対して不信を抱きつつある空気を肌で感じ取って、今回の一連の顛末と、そして組織そのものに対して、思案を巡らせている。
考え込む二人を前に雷蔵はさてどうしたものか、と

「お掃除終わりました!」

飛び込んできたのは店先を清掃していた小さなリスの獣人だった。

「おう、ご苦労さん。飴でも食うか?」

上着のポケットから包み紙を取り出す。

「……いつも持ってんの?」

「似合わねえみたいな言い方はやめろ」

レジ前まで歩いてきた上鞭にそれを手渡すと、器用に破って口の中へと放り込んだ。

「美味しいです!」

「そりゃ良かった」

重くなった空気を入れ替えるような他愛のない会話。
見下ろされる頭頂部の下で、笑顔の消えた表情がある。
アッシュビルで命の危機を感じ取り、自分自身の力不足を理解して、この大きな流れに抗う事は出来ないと結論付けた。
ならばこそ、環境課員として自分の出来る事とはなんだろうと考え続けている。
少なからず失われた信頼を取り戻すために、日々の業務をしっかりとこなす事。
重い空気を晴らす様に、幼く明るい雰囲気で場を和ませる事。
ある意味では計算の上であっても、自然体でそれをこなそうとする意志は揺るぎない。

「もう一個欲しいです!」

「別にいいけど、ちゃんと歯は磨けよ?」

厳ついドレッドヘアと小柄なリスの対比は何故かとても安心出来た。


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