【暴力性ミニシアター】


晴天の昼下がりを歩く。
サンバイザーが顔に影を落とす一方で、日差しを浴びたままの髪は熱を帯びている。
蛙の目が自分の扱いに抗議することはないが、何となく気になって木陰に身を寄せた。
視界の端に表示されたアナログ時計のGUIは急かされる事なく緩やかに進んでいく。
待ち合わせより十分以上も早くついてしまった事に浮かれ具合を自覚して、新調したばかりのカーディガンがふわりと舞った。

「出るの早かったですかね……?」

もう少しゆっくりと準備しても良かったかもしれない。


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「すぐに呼んできます!」

パーテーション越しでもはっきりと聞こえた声はどこか上ずっている。
好奇心10割の笑顔で手招きする女性課員に対し、首をかしげつつ手に持ったスクラップを作業台に下ろした。

「何かありました?」

「軋ヶ谷さんが来てますよ!」

「はぁ……?」

事前に声をかけられていた訳ではなく、皇純香や祇園寺からそうした連絡が届いているという事実は無い。
ロナルドから散発的に送られてくるどうでも良い日記的なメッセージから特に何かが検知されたという事もない。

「お疲れ様です」

解体室の入り口には言葉通りに軋ヶ谷みみみが立っていた。

「調子はどう?」

「まあ、そこそこですね」

大まかな体の動きは以前と同様かそれ以上になったと思うが、指先の精密な作業となると少々不安が残る。
リハビリと言って回される基盤の確認作業は涙が出そうな程にありがたく、五つも仕上げるころには泣き言が言いたくもなる。
しかしフローロの感じている至らなさとは逆の意味で軋ヶ谷は小さく驚いていた。

「義体に換装してからまた一か月ちょっとだよね?相当早く馴染んでるみたいだし、最初にサポートしてくれてた人が丁寧だったのかな――なにその顔」

自分がどんな表情をしていたのかは分からないが今更確かめる術は無く、軋ヶ谷も先程の言葉の意味を理解して、そういえばと話題を切り替えた。

「また映画の優待券当たったんだけど、一緒にどう?」

電脳越しに通知が届き、『クーポンを共有しますか?』とやけにポップな文字が浮かぶ。

「いいんですか?」

「うん」

では、と受諾して映画のタイトルが表示された。

「『カニVSエビVSウニ』?」

「主人公は闇堕ちした野生生物だって」

世界観も設定も何もかもが渋滞を起こしていて、そもそも彼女のチョイス基準が分からない。
あらすじの一行に二回は出てくる謎単語の乱用具合に映画のタイトルそのものに疑問を抱き始めたところで読むのを止めた。
後は現地で映像を見れば、何かしら分かるものがあるのかもしれない。
ともあれ日時を決めて軋ヶ谷が解体室を出ていった後、壁の裏側で聞き耳を立てていた女性課員に囲まれたのは余談である。


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数日前の事を思い返しながら、視界の端に浮かぶアナログ時計は相変わらずゆっくりとしか動かない。
待つだけというのは割と手持無沙汰なもので、SNSやニュースなどを開いては閉じて、開いては閉じて。
時折流れてくる広告は熱帯魚のものが多く、解体した巨大水槽の跡に眺めてみるのもいいかなと考える。
稀に目にする胡乱かつ怪しい文法の広告は全部スルーだ。

「お待たせ」

顔を上げると、そこには知らない男が立っていた。

「ごめんね遅くなっちゃって」

清潔感溢れる笑顔と柔らかい声質に加えて高身長かつ一般的にはイケメンと呼ばれる風貌のそれは如何にも女性に好まれそうな雰囲気を醸し出していて。
逆に、下がる。

「どちら様ですか?」

馴れ馴れしすぎる態度に加えて距離が近すぎた。

「あれ?人違いだったかな?」

「人違いですね」

体ごと横に向けるもスライドするようについてくる笑顔の圧。

「これからどこ行くかって決めてる?そうじゃなかったら僕に案内させてもらえないかな?」

「結構です」

「あ、誰かと待ち合わせしてるとか?友達?だったら皆で遊びに行こうよ」

「結構です」


埒が明かないとはこのことだろう。
強硬手段に出るのは容易いが周囲の注目が集まっている中ではその選択は難しい。
苛立ちが面倒を上回りかけて、顔の傍まで寄せられた手を払いのけようとしたその直前。

「お待たせ」

今度こそ軋ヶ谷みみみがそこにいた。

「知らない人?」

頷く。

「だよね。じゃあ行こうか」

まるで見えていない様にするりとフローロの手を取って木陰から連れ出して、遅れがちに反応した男が後ろから片手を伸ばした。

『ちょっとだけコンタクト外せる?』

口頭より早く明確な指示を受け取ると同時に視界共有の申請が届き、コンタクトレンズを外しながらそれを受諾する。

「いやいやちょっと待っ――」

伸ばされた手は虚空を掻いて、彼の視界には無数の蜃気楼が浮かび上がっているのだろう。
十秒程度の共有で焦燥しきった男には一瞥もくれず、二人の足は映画館へと向かう。
幸い大した騒ぎにはならなかったようで、良くある光景なのかと思うと少しだけもやもやとした。


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「ありがとうございます」

「ん」

短い返事と小さな首肯を受け取って、

「さっきのやり取りって映画のワンシーンみたいでしたね」

「ヒロインを助け出す的な?」

「私はヒロインって柄じゃないと思いますけど」

「それなら私も主人公って柄じゃないでしょ。いいとこ名脇役だよ」

「"名"ではあるんですね」

ふふ、と口角が小さく上がる。



待ち合わせをして、目的地へと向かって、他愛のない会話をしながら。
少しだけ特別で、ありふれたただの日常。
心躍る様な出来事も、落ち着きの中の風景の一つ。


映画はあまり面白くなかった。


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【暴力性ミニシアター】

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