日記 巴 (平家物語)


 「平家」は琵琶法師による伝承だそうです。
「平家物語」はそれを文字化したものらしく複数ありちょっとずつ違うともいわれるみたいです。なんかギリシャ神話みたい。

 今回取り上げるのはおしゃべりな古典教室で放送された、巴が主君である源義仲と別れるシーンです。
 そのシーンは湖畔で義仲を含め5人の武者のみです。5人の中の一人なのでかなり強かったのでしょうね。

 以下 「おしゃべりな古典教室」平家物語現代語訳より要点
おまえは女だからどこかに逃げろ
私はここで討ち死にしようと思う
義仲は最後の最後まで女と一緒にいたぞと語り継がれたら私の恥になる。
 以上 
らじるらじるで5月18日午前10時まで配信されているのでそちらをどうぞ。

 女性差別だ!と言えなくもなさそうですが・・・
少ない文だけに書かれていない部分が気になります。

 現代的にみて
例え1 
会社が倒産確実でオーナー社長が「私はもうだめだ。でもあなたならどこか拾ってくれる所があるからここを離れなさい。」
「社長と運命を共にしたい。倒産処理も一緒にやりたい。」

例え2
戦場で敵だらけになり上官が自害を決断しました。
部下の一人に「おまえだけは助かる可能性があるから逃げ延びてくれ」と命令
「一緒に死なせてください。」という部下

これだとどうでしょう?

 憶測しかできませんが
義経が弓を必死に拾う場面を思い出します。家来が問うと源氏の大将がこんな弱い弓を使っているのが知れたら恥だと答えたとか
本当かどうかわかりませんがそういう価値観かもしれません。
 それでいくと自分の思いとは別に自分や自分たちの対面や名誉から「女がいては・・・」というのもでてくるかもしれません。

 義仲は勝利したのにうまくいかなかったのは社交が下手などがあるのかもしれません。だとするとそういう言い方をしてしまったのかもしれません。

 巴は本当に最後を共にできなかったのが不満なのか、口下手な義仲を思い去ったのか、わからないです。

 現代なら「一緒に死ね!」と言う方が問題かもしれませんが、当時なら一緒に死ぬのが美だったのでしょうか?
 巴は女性である前に侍だったのでしょう。侍として死に様を選びたい・美を貫いて死にたいという思いが叶わないからくやしいというのも考えられます。
 
 「歴史は勝者によって語られる」
何度か聞いたことがある言葉です。「・・・語り継がれたら・・・」というのが文中にありますがこれは大きい意味があるのでしょうか。
全滅して全員死んでしまえば死人に口なしです。生き延びて敗者による語りを重んじたというのも考えられます。
 現代からみても戦いの記録は、双方のものがある部分が信憑性がありますね。それでいくと男女云々ではなく誰が一番逃げ延びられそうな人に託すというのもあるでしょう。

 当時の主従関係は?この二人の主従関係は?
一緒に最後を共にしたいという強い思いは主従の義務のためだけでしょうか?私はそこに興味がわきます。
この二人は強い絆で結ばれていたのかもしれません。これは双方向でないと成立しにくいと思います。

 

 死の価値観
ギリシャ神話の世界では死者の儀式は共通価値観として絶対的のようです。
「アンティゴネ」では死者の野ざらしにした王がアテナイの軍勢に取り囲まれ遺体を引き渡しアテナイが供養したという逸話などいくつもあります。
 主君義仲の遺品と供養に対する価値観はどうだったのでしょう?


「美」に対する当時と今の違い
この二人の「美」の意識

巴も平家物語の中の英雄の一人とも思えます。(ギリシャ神話でも英雄は作られた部分もあるような)
ギリシャ神話も英雄は多くは悲しい末路で悲劇的です。


 巴の一節は本筋から外れていてほとんど書かれていないそうです。
言い換えると書かなくてもいいのにちゃんと書いているのです。
これは大きな意味を持ち、後の世の人たちが巴を知ることになり、魅力的な素材となり巴を取り上げることになったのでしょうから。
古典はすごい!








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