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青山麻布巡検 実施報告

こんにちは、ツェルモニです。これで5つめの投稿です。皆さんもnote、どんどん書いていきませんか?その方がアインズの広報活動につながるし、部員としての認知度も上がるし、自分のGPAは上がるし、地球温暖化を止めることだって出来ると思います。そうやって日本を獲っていきましょう。

さて、12月26日にアインズで青山麻布巡検なるものを企画させていただきました。初めての街歩き企画ということになりましたが、11人と多くの人々に参加してもらいました。この記事はその報告ということになります。


実施概要

日程 12 月 26 日(日)
集合と解散 信濃町駅 13:00 東京タワー下 18:30 参加者 11名

高級住宅街や各国の大使館が建ち並びハイソサエティな様相を呈している港区中心部たる青山麻布エリア。そんな街の随所には、江戸時代の武家屋敷街や明治大正時代のお屋敷街の名残を見つけることができ、この街に一層の深みを与えています。また麻布西南部を流れている渋谷川が作り出す地形を細かく観察していくことで、新たな街歩きの楽しみ方を見つけることができるでしょう。そういった、忙しない現代人なら見逃してしまうような港区の隠れた見所を歩きながら拾い上げていくことを目的とした巡検となりました。

この記事中で使用されている写真はすべて筆者が撮影したものです。

信濃町~青山一丁目

13:00に信濃町駅を集合としました。創価学会の総本山です。

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新国立競技場は東京オリンピックに合わせて2019年11月に竣工しましたが、神宮外苑再開発計画は国立競技場建て替えに留まらず、新神宮球場や新ラグビー場の建設がまだ控えていたりします。

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続いて一行はエストニア大使館に向かいました。港区には東京に所在する大使館のほぼ半数があり、当巡検ではその大使館の訪問を一つの目的としています。1991年9月に日本がエストニアの独立を承認したことを機に、1996年に大使館が開設されました。訪れてみると、国の規模に似た小ささで、一見するとごく一般的な一軒家です。とある部員の聖地でもあります。

スクリーンショット (38)_LI

しばしばドラマや楽曲で描かれたりすることで有名な国道246号に出ると、神宮の銀杏並木が見えてきます。日本の並木町はたいてい2列で、我が一橋大学のある国立の大学道路の桜並木も2列です。しかし神宮のイチョウ並木は、歩道の両側にイチョウの木が植えられた4本仕様。「車道と歩道を区別し、歩道の両側に立派な並木を植え、夏季には涼しき緑陰をつくり散歩に適するよう計画された、それ自体が公園になる道路」、通称「公園道路」を目指してこのようになりました。

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青山一丁目~六本木

「乃木坂」と聞くと、今ではもっぱらアイドルの方のイメージが先行するでしょうが、地名の由来は明治時代の軍人である乃木希典から来ています。乃木希典は、日露戦争の時に旅順攻囲戦で指揮を執り、ロシアの旅順要塞を陥落させたことで有名です。慕っていた明治天皇大葬の日に乃木夫妻が自害した乃木邸は、乃木神社の敷地内に跡がありました。

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続いて一行は檜町公園に立ち寄り休憩をとりました。高層ビルに囲まれた檜町公園は都心のオアシスのようですが、江戸時代は毛利家の下屋敷でした。その後、毛利家下屋敷→大東亜帝国陸軍宿舎→米軍宿舎→防衛庁庁舎と変化していきましたが、この庭園は陸軍・アメリカ軍・防衛庁時代も残り続け、現在は港区が管理する檜町公園となっています。SMAPの草彅剛さんが全裸で前転をし逮捕された舞台でもありました。

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高層ビルがにょきにょき生えまくった港区でも、ひときわ目立っているのは六本木ヒルズの森タワーです。六本木ヒルズは、238mの高さを誇る森タワーを中心に、集合住宅である六本木ヒルズレジデンスやテレビ朝日本社などで構成された複合商業施設となっています。もともとこの地は小規模な民家が建ち並んでいたため、森ビルは六本木ヒルズの開発のため、地権者400人にひとりひとり交渉にあたりました。森稔の都市建設哲学の根底にあったのは、「都市構造を抜本的に変革し、都市空間と自由時間を倍増させる政策が極めて重要であることを訴えたい」というアーバン・ニューディール政策。狭い東京だからこそ土地を有効活用することができる高層ビルが必要だと力説し、計画から19年もの月日がたった2003年に六本木ヒルズは完成を迎えました。

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六本木ヒルズのテラスにてしばしの休憩を挟みました。談笑に花を咲かせる部員や、家賃の味しかしないコーヒーを買って佇みすっかり東京に染まってしまった部員もいれば、その日行われていた有馬記念で負けて勝手に正気を失った部員もいました。

六本木~有栖川記念公園

そして六本木エリアを抜けた一行は、当巡検のハイライトであるところの麻布界隈へ向かいます。麻布の街は武蔵野台地の一部である淀橋台の南端に位置し、下の地理院地図で見れば分かる通り、山の手の台地と谷間が複雑に入り組んだ起伏ある地形を有しており、同時に坂の多い町となっています。

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                    (地理院地図より作成)

東京にある百二十以上の大使館のうち、ほぼ半数が港区内にあり、特に麻布地区に集中しています。麻布に所在する大使館の土地のほとんどは、もともと江戸時代の大名屋敷・武家屋敷、明治大正時代の華族のお屋敷街でした。今回訪れた大使館のひとつ、フィンランド大使館の石垣や外壁は、かつてその地にあった鷹司邸時代のものが使われていることがわかりました。

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またスロバキア大使館は、世界史的に興味深いお噺をしました。スロバキア大使館は2004 年に建設されましたが、かつてのチェコスロバキア時代には広尾にある現チェコ大使館で業務を行っていました。解体後も 2004 年までは建物の 1 階はチェコ大使館として、2 階はスロバキア大使館として業務を行っていたのです。ビロード革命ののちチェコスロバキアは1992年に連邦制を解放し、ユーゴスラヴィアの解体の時のように血を流すことはないまま円満離婚が成立したわけですが、この 2004 年までの業務体制は「ビロード離婚」を暗喩しているものでしょう。

有栖川記念公園~東京タワー

2回目の求刑は、輸入食品スーパーとして有名なナショナル麻布で取りました。非常に豊富な輸入食品が並び、ウィンドウショッピングだけでもワクワクします。一部の部員はここで昼食もといおやつを買って頬張っていました。

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すっかり日も暮れてしまいましたが、古川沿いに歩みを進めゴールの東京タワーへと向かっていきます。途中立ち寄ったイタリア大使館は、当巡検で訪れた最後の大使館で、合計11個もの大使館を収鋲したことになりました。イタリア大使館のある土地は、かつて江戸時代には伊予松山藩の中屋敷が置かれていて、1703年には大石良金ら赤穂浪士10人が江戸幕府の命により切腹した歴史があります。そんな赤穂浪士に関する逸話のあるイタリア大使館ですが、次回の1月巡検では「赤穂浪士引き揚げ巡検」と称して赤穂浪士の引き揚げルートを両国から泉岳寺までを辿ることになっています!

長かった巡検も東京タワーに到着して幕を閉じました。

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(集合写真;東京タワー下にて)

巡検ルート

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歩行距離13.5km           (地理院地図より作成)

おわり

初めての巡検にしては、参加者の皆さんから相当な満足の声をいただくことができ、非常に企画者冥利に尽きました。今後アインズでは、定期的に(月1ペース?)このような巡検を開催していく予定です。ぜひご興味のある方は当会までご連絡ください!参加してくださった部員の皆さん、最後まで読んでくださった読者の皆さん、ありがとうございました。

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