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過去問解説【一橋地理2005第1問】

こんにちは、ツェルモニ(@oki_slo)です。

さて2022年は早くももう2月となり、時の流れの速さに驚く余りでございますが、02月といえば受験シーズン。こんな私もちょうど1年前は1人の受験生として生きていたわけです。そこで今回は、今まさに一橋大学への合格を目指してひたむきに走っているようであろう受験生に向けた過去問解説を書いていこうと思います!

※入試当日までに間に合いませんでした。ごめんなさい。

今回私が取り上げるのはタイトルにもある通り、一橋地理2005年第1問です。17年前とやや古い問題ですが、統計表の読み取り、200字+200字の長文論述が含まれており、またブラジルという発展途上国の農業・産業という一橋地理の頻出テーマということもあり、非常に演習効果の高い問題であると考え、この問題を選ばせていただきました。

なお著作権の関係上、問題自体をこの記事に掲載することは出来ませんので、受験生の方は赤本や東進の過去問データベースなどを利用し、実際の問題を参照しながら記事を読んでください。問題の要約は以下の通りです。

問1:1980年から2000年までの間でブラジルの農業にどのような変化が生じたか?(200字以内)

問2:1950年代から2000年頃までのブラジルの工業発展の特徴について、主要な輸出工業製品を2点挙げて、説明しなさい。(200字以内)

では、受験生の皆さんは解説を読む前に、実際に解答を書き上げてみましょう!

※ネタバレ防止の空白が寂しいので、広告を挟ませていただきます。

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さてどうだったでしょうか。よく書けたと思う方はこの調子で頑張って合格を掴みましょう。イマイチな感触だった方は今から死ぬ気でもがいて合格をもぎ取りに行きましょう。そして合格した暁には弊サークル一橋地歴同好会アインズに入会しましょう。


では解説に参りますが、淡々と説明するだけでは赤本や予備校講師の解説の質に一介の大学生が勝てる訳がありません。ということで、私は実際にブラジルにフィールドワークに出かけ、そこでの見聞を参考にした”生きた”解説をお届けしようと思います。

というわけで2022年某日、我々調査隊はブラジルの農工業の謎を突き止めるべくアマゾンの奥地へと向かった。成田空港から日本を発ちニューヨークを経由し、ブラジル最大の航空会社LATAMブラジルでサンパウロに到着した。

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LATAMブラジルの機内に入ると、笑顔の美しいCAさんたちが出迎えてくれて、早速南米特有の陽気な雰囲気に包まれます。

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寝て起きたら眼下にはサンパウロの街並みが。

成田を発ってからほぼ丸一日、やっとのことでブラジルはサンパウロのグアルーリョス国際空港に着きました。空港の外へ出てみるとブラジル特有の熱帯気候の熱気に肌が包まれる。私は非常に暑がりな人間なので、さっそくこの国の空気にはうんざりしていた。そのためタクシーで快適に市街地へと向かうことにした。日本では大学生らしく金欠に日々悩まされているの私であるが、ひとたびブラジルに着けばちょっとした金持ちなのである。空港のタクシープールへと向かい、先頭に止まっていたタクシーの窓をノックして社内に入る。旅行前に勉強していた片言のポルトガル語で「boa tarde(こんにちは)」と運転手に声をかけ、スマホで今夜宿泊する予定の市街地のホテルの住所を指さす。運転手はOKと応答して車を走らせる。40分ほどで市街地中心部に到着した。道中の車窓を思い出すと、予想していたよりも原初的な風景が広がっていたように思える。やたらと背の高くて細身の木々がなんの規則性もなく突っ立っていて、その足元にも草木が生い茂っている。窓を開けると無数の動物の鳴き声が私の耳の鼓膜を揺さぶる。窓の外を見て黄昏ていた最中、運転手に声を掛けられる。

「あんた日本人かい?日本人がガイドもつけずにブラジルを歩くなんて珍しい。くれぐれも気を付けるんだぞ。」

まず大学で勉強してきたポルトガル語が案外聞き取れることに驚いた。確かにブラジルは日本に比べれば治安は格段に悪い。しかしそうは言ってもBRICSの一国、身ぐるみをはがされて命の危険にさらされるなんてことはないだろう。

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ブラジルのタクシー。案外衛生的な車内だ。

そんなこんなで宿泊先のホテルにたどり着いた。しかしタクシーのメーターを見るなり私たちの目は点になった。

1290レアル(日本円で約28000円)

そのタクシーは見事に白タクであったのである。さっきあのアドバイスを笑顔でくれた運転手も悪の人間。完全に騙してきやがった。ムカつく。まっすぐに払うわけがない。抵抗する。ポルトガル語で話すことなんて怒りのあまり忘れてNO!NO!と連呼する。運転手の顔はすごい形相に変わって圧倒的な圧迫感でまくしたててくる。たぶん「払え!払え!」と言っているのだろう。手が出そうになる寸前まで口論がヒートアップしたところで、左右のドアから見知らぬブラジリアンヤンキーが乗り込んできた。たぶん運転手のグルなのだろう。そいつらに何かの黒い布で頭をかぶせられ、突如として視界を奪われる。そして腹パンを何発も食らった。やがて失神して、もうそこからの記憶はない。


目が覚めたのは翌日の朝であった。まぶしすぎる太陽が視界に入るなり、甲高い鳥の鳴き声が耳をつんざく。どうやらサンパウロから一晩中車を走らせてアマゾンの森にたどり着いていたようだ。起き上がってみると当然我々調査隊のが持ってきていた荷物はすべてアイツらに奪われていた。金は一センターボもない。

しかし目的地であったアマゾンの地に知らず知らずのうちにたどり着くことができたのは不幸中の幸いかもしれない。いややっぱりどう考えても圧倒的な不幸に決まっている。ふざけるな。どうして。。。

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アマゾン川が作り出すマングローブ。幸い飲み水には困らなかった。

とにかく何としてでもこのアマゾンの鬱蒼としたセルバの森を生き延びて日本に帰らねばならない。とりあえず小一時間、調査隊のメンバーであるエストニア(@Eesti_62)と盆暮(@mgret_73)と作戦会議を行なった。出た結論は一つ。

アマゾンの現地民族に出会おう。

アマゾンを知り尽くした現地民族とエンカすれば、食料を与えてくれるかもしれない。寝床を確保できるかもしれない。都市への行き方を教えてくれない。そんな一心でアマゾン川を下流に向かってあてもなく歩き出した。

結局1日中夜まで歩き続けた。しかし成果はなし。夕食は木に登って採集したジャボチカバの実となった。

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幹に直接たわわに実ったジャボチカバの実。ここアマゾン原産の果物だ。

木の棒を回して擦り続けるという原始的な手法で火を起こし、束のままのひと時を過ごしていた。正直全く心が休まらなかった。そんな時、森の奥底からヒトの話し声が聞こえてきた。急に我々はそこはかとなく恐怖に陥った。やがて13歳ぐらいだろうか、上半身裸の少年が我々のもとにやってきた。

「você くぇrちゅいおp」

その民族独特の言語なのだろう。何を伝えたいのかわからなかった。しかしポルトガル語で"あなた"を意味するvocêだけは聞き取ることができた。もしかしたら「お前たちは誰だ」とでも言っているのだろう。今思うと、ポルトガル語の人称代名詞であるvocêはその民族言語に伝わって影響を与えているということで、民族言語の研究として非常に興味深い問題かもしれない。

「japão(日本人だ)」

少年は肩をすくめた。たぶん日本という国を知らないのだろう。その民族は外界とは隔離されていて都市に出たことはないのかもしれない。少年は近代的な服を着た我々のことを完全に不審がっている。どうしよう、殺されるのかもしれない。命の危険を感じた我々はとっさにお腹をさすり、お腹が空いているジェスチャーを見せた。そうすると少年は「来い」と言い、我々を手招きした。どうやらジェスチャーが伝わったみたいだ。お腹が空いたことを説明するジェスチャーは万国共通なのだろう。

20分ほど彼の後をつけると、突如としてムラが現れた。少年が生を営んでいる民族のムラなのだろう。少年が同じ村人である大人たちに何かを話すと、大人たちは鍋にあったスープをよそって私たち調査隊にくれた。獣肉はあまりに生臭くてあまり食べられるものではなかったが、とにかく空腹を満たすことができるだけで当時の私たちにとっては十分だった。そしてその日は少年とその兄弟が暮らす家に泊まらせてくれた。本当に少年には感謝しても感謝しきれなかった。

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少年とその家族


ということで「過去問解説【一橋地理2005第一問】」の前編はここらへんで一区切りしたいと思います。後編も乞うご期待。

最後までお読みいただきありがとうございました。






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