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【武蔵卒】御三家に合格した人の勉強法とは?

初めまして!中学受験で武蔵中学に入学して現在は大学生のkouです。
僕は、中学受験で大手の塾に行かずに武蔵中学に合格しました!
そんな僕の当時の「中学受験」に関して赤裸々にお話しします。
受験を控えているお子さんをお持ちのお母さんお父さん、ぜひ参考にしてください。

受験のきっかけ

自分は、幼稚園のころから幼児教室に通っていました。そして小学校に上がる時にその教室の小学部に通っていました。(塾というより、パズルとかの能力開発を主としたところでした。以下塾と区別するためにパズル教室と呼ぶことにします)

そこでは小学生が学年関係なく授業がなされていいたため、同学年だけでなく、上級生とも仲良くなっていきました。そして自分が3年生の時、仲の良かった6年生の子(A君)が武蔵を目指していたが、残念ながら落ちてしまいました。その時に、自分は「自分がA君の仇をとってやる」と漠然と思い始め、受験をするという選択肢が初めて自分の中に生まれました。

ちなみに武蔵は、A君が受験するという前から存在自体は知っていました。というのも住んでいたところが武蔵から自転車で10分ぐらいのところで、サッカーをしに近くの小学校へ行く道の途中に武蔵があったからです。そこで大きなグラウンドで大きなお兄さんたちががサッカーしているのを見て、羨望の眼差しを向けていたこともありました。

1日の予定

3年生の終わりにぼんやりながら受験をしようと思ったはいいが、当時自分は、サッカーをしたり、地元の友達と公園で遊んだりする時間を塾につぶされるのが嫌であったので、大きな塾には行かず、パズル教室がやっていた月1回の塾で勉強していました。そこは、月に1回生徒が集まり、国数理社の授業を行うというもので、それ以外のときは、出された宿題を家でやるというスタイルでした。

自主的な勉強??

受験のきっかけを見ると自分は自主的に受験をしたいと言って、中学受験をしたという感じに見えるし、実際小学生のときはそうだと信じていました。
しかしながら、21歳になった今から振り返ってみると、3個上の姉が受験をしていたことに加え、周りの友達などが受験をするのが普通の環境だったからだからこそだとおもわれます。時々母から「嫌だったら公立に行くのもいいよ」「姉が受験したからといってあなたはしなくてもいいのよ」を言われ、そのたびに自分は受験すると言っていたが、このことがより自分から受験すると決めたと思い込むことに繋がっていたのだと思います。

ただこのことは悪いことではなく、当時の自分が受験勉強を頑張れた要因となっていたことは、否定できないです。
実際、小学校の頃仲が良かった友達は地元の公立中学校に行く人が多く、彼らと離れるのがいやで公立行くのもありかなとゆれたこともありましたが、自分でやると宣言したことによって、どちらかと言えば面倒くさがりで遊ぶことが大好きであった自分でも、コツコツとした勉強をやることができました。

志望校選び

2月1日に受ける中学は前述のとおり3年生のころから武蔵にするときめていたが、その他受ける学校が本格的に決まったのは6年生のころだったと思います。2月3日は筑駒をうけることになりました。この経緯としては、武蔵と日程が被らないことに加えて、国立であるため学費が安かったかららしいです。筑駒を受けることになった6年生の時、自分は武蔵以上筑駒未満くらいの成績であったので、筑駒に受かるには頑張らないという状況でした。当時の自分の性格を考えると、このチャレンジはいいものであったと思います。というのも、もし志望校の中で武蔵が一番難しいところになっていた場合、偏差値的に余裕のあった自分は、その状況に胡坐をかき、勉強を途中で怠っていた可能性もあるからです。筑駒も受けることになったことで、より勉強に身が入ったということは否定できないです。ちなみに2日目は本郷を受けた。これに関しては、滑り止めとしてちょうどよかったから以上の理由はないです。

結果

武蔵と本郷は受かったが残念ながら筑駒は落ちてしまった。

筑駒を受けると決めてから、筑駒の過去問をはじめとする対策を頑張り、行けると思っていた分悔しい思いがありました。当時の自分は頭の良さに自信を持っていたが、不合格を突き付けられたことで、小6にして自分が井の中の蛙であったことを知れたのは、その後の自分の人格形成において良いことであったと思います。

中高での生活

あこがれていた武蔵のグラウンドでサッカーをするためにサッカー部にはいり、部活を中心として学生生活を送っていました。サッカー部は武蔵の中では珍しい、しっかりとした運動部であったので、きつい練習やうまくいかないこともありました。しかしその中で苦楽をともにした同期の人達は一生の友です。

部活以外の勉強や行事では、武蔵特有のゆるゆるな感じが存分に発揮されており、自分にあっていたと思います。入学してすぐに行われた記念祭や秋の体育祭も生徒主体で伸び伸びと行われていて、小学校とは違い生徒の自主性を信頼して任せてくれているということに中1ながらに喜びを感じていました。ここで武蔵の良さをプレゼンしておくと、一番は多様性であると思います。鉄道オタクやアニメオタクの人たちもたくさんいましたし、自分にはなにが面白いのかよくわからない趣味を持っている人が多くいました。しかも彼らは、話してみると面白い考えをもっているので、自分にはなかった知識・知見をもたらしてくれました。中高生という人格形成に多大な影響を与える時期においてそのような人達と関われたことは、自分の人間としての厚みをもたらしてくれたと思います。




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