無題

性格的に黙って耐える事が出来ないので、匂わせつつも、がんがんツイートしちゃいましたが、ちょうど1週間前、父が息を引き取りました。7年にわたる闘病の末でした。

直前の2日間は母が気落ちしていたので、私が一人で見舞ったのですが、息を引き取る前日、突然、それまでの呼吸器が変わって半分顔を覆うような物に代わり、嫌な予感がしたので、看護師さんを呼び止めて、詳しく事情を聞きましたが、急変ではなく、少し呼吸が乱れてきた事、体温がその日の午後から下がっていた「だけ」との事でした。病院の最寄りの駅前のショッピングモールの裏手にあるベンチに座って、ぼんやりと空を眺めながら、その事を母に報告して、流石に気力が戻った母から、年金支給日の翌日でもあるし銀行の用事を済ませてから病院に行く、と聞いて安堵したのが、何年も前のようです。

翌日の昼前に、母から危篤の一報が入ったのですが、既に2回空振りしているのもあり、面会時間が始まる頃に着けば良いかとのんびりしていたら、再度、母から念押しの電話がかかり、面会時間の始まる三時間前にも関わらず、既に母と弟は病院入りしており、ここでようやく私もただ事ではないと、急いで病院に向かいました。

受付で検温だけすませ、息を切らして病室にたどり着くと、見慣れたモニターに輝く数字が全て赤く光っていました。

看護師さんの声かけもあり、3人で必死に父に声をかけ続け、15分もしたでしょうか。順番は忘れましたが、呼吸、脈拍、心臓と一つずつ数字が消えて行くのを看護師さんが告げるなか、最後まで色々と、言葉をかけ続けました。まさか、平日の真っ昼間に、梅雨入りしたにも関わらず、信じられない快晴の下、こんなに呆気なく別れが来るとは信じられませんでした。

自宅(実家)に何日か遺体を連れ帰り、安置したあと、何とか通夜と葬儀、火葬を済ませる事が出来ました。喪主を務めた母を見ると、本当に何とか、と言った感じです。通夜の日はどしゃ降り、葬儀と火葬の日はこれまたカラリと晴れた日でした。

実は、ここまで人の死に密着し続けたのは初めてで、葬儀の日は立っていられるだろうか、お骨になった父を見て、貧血起こして倒れはしないかと少し怖じ気づいていたのですが、通夜の日に止まらなかった涙は、翌日には「ちょっと人生から降りるの早くない?」「こんな面倒な人たちを残して、自分だけ楽になるのズルくない?」と、悲しみの気持ちより怒りが勝って、思ったより淡々と、本人の好きなビールで死に水をとり、遺体の周りに花を敷き詰め、お骨を拾うことが出来ました。

まだまだ四十九日を終えるまで、気の抜けない日々が続きますが、一旦気持ちの整理をつけるために、記事に纏めました。ここ数日のツイートは、かなり危うかったと思いますが、嫌な気分にさせてしまったフォロワーさんがいらしたら申し訳ありません。

もうしばらく、Twitterのアカウントには鍵を掛けると思います。ミュートやリスト分け等で、私のツイートを見ていないフォロワーさんもいらっしゃると思いますので、特段、お悔やみのリプライや、この記事へのお悔やみのコメント等は必要ありません。お気持ちだけ、有り難く頂きます。