見出し画像

望みは手放した方が叶う説

ずーっと願っていたけど、全然叶わなかったことがあった。そして半ばもう随分と諦めていた。それがふと叶いそうな兆しが現れた。

今まで何年もそんな兆しは皆無だったのに。
なぜそれが起こったんだろう。違いは何なのか気になって思い返してみた。

執着が外れたから
もうその望みが叶わなくてもいいやって執着がなくなったから?
なくなったわけではないけど、必死さが減って、叶ったら嬉しいけど、何が何でもみたいな重さが減っていた気がする。

と同時に、その望みはいつか叶うような気もしていた。なぜなら「こうなったらいいなぁ」と思い描いていたことが、気がつけば叶っていたから。
叶えようと力んで操作しようとしたのではなく、結果的にそうなった。操作できるような時間を私に与えない絶妙なタイミングで、ハプニングの顔をして現れた。

「時間が止まってる」
10年ぶりに再会した友達に言われた直球の言葉。
彼女に再会するチャンスできて会って話したいんだけど、
どこか彼女に会うのが怖い自分がいた。
それは、この言葉を言われることを恐れていたからだと思う。
いつも会っている友達は、優しくて、私の傷を優しく包んでくれるか触らないようにしてくれた。
彼女は、しみる薬をためらわずつけた感じ。
しみて痛くて泣いちゃったけど、目が覚めたよ(笑)

ずいぶんと時間がかかったけど。
本当に実現したら、また報告したいな。
もっと望みを思い描いて。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?