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ブラジル日系社会と母の日

ブラジル関連の事を書こうと思いつつ時間ばかりが過ぎてしまった。

2020年5月。新型コロナウイルスの影響で自宅に籠っている割には、纏まった文章を書く為の脳機能は停止したままだ。

私とブラジルのそもそもの関係を書くことについては少々お時間をいただくとして(がっつり書く気になるまで気長にお待ちいただければ幸い)、5月は日本でも『母の日』を迎える月でもあるので、10年前の『母の日』を書いておきたいと思う。

ブラジルに親戚を探しに行って無事面会が実現した後のことだったと思うが、現地でお世話になった日系社会の県人会連合の当時の会長の紹介で、研修生として来伯中の若い女性と、世界遺産のオウロプレットに旅行することになった。
彼女はブラジル滞在中に『ピラール・ド・スール日本語学校』( http://pilardosul.nobu-naga.net/ )で日本語教師として働いていた。
気さくな方だったので直ぐに打ち解けたのだが、旅行の終盤に突然相談を持ちかけられた。

「片岡さん、音楽の勉強をされてたのだったら、ピラールで生徒に教えてもらえませんか?」

聞けば、毎年ピラールの日本語学校では幼稚園~小学生くらいの生徒で『父の日母の日発表会』という催しを開催しているが、今年は日本語教師のメンバーの中に合唱や合奏の指導が出来る人物がいないというのだ。

確かに私は、吉祥女子高等学校の芸術コースで某私立音大に進学する為の勉強をしていた時期もあったが、演劇活動をしていた期間も長く、その間は殆ど音楽絡みの活動をしていなかったので、半分は断りたい気持ちもあった。

しかし、依頼してきた女性からの熱心な気持ちと、私の「日系社会のお役に立ちたい」という気持ちがうまいこと合致してしまい、私はオウロプレットからサンパウロに戻った時には久々のピアノ自主練を開始していた。
ピアノの練習と合奏用の譜面作成の為にピアノを貸してくださった、鹿児島県人会会館と当時の県人会会長には心から感謝している。

ピラール入りしてからのざっくりとした様子は、ピラール・ド・スール日本語学校のblog( http://blog.livedoor.jp/ejps/ )のアーカイブや、親戚探しの際にもお世話になった現地の邦字紙『ニッケイ新聞』を御覧いただければと思う。
https://www.nikkeyshimbun.jp/2010/100525-72colonia.html/amp

かつて大叔父が記者を務めた『サンパウロ新聞』にも掲載していただいた。

それはさておき、ピラール滞在で私が知ったのは、現地の父兄の皆さんの温かさと教育の熱心さ、ではないだろうか。
大伯母・大叔父含むブラジルの移民一世達は、ブラジルでの子孫繁栄の為にもそれはそれは大変な思いをして教育に力を入れたと聞いたことがあるけれど、その自分達のアイデンティティというか、ルーツを後世に残そうとしている姿勢を間近で感じられたのは貴重な経験だったと思う。

それと、私に人の為に使える音楽的技術がまだ残っていたことを確認できたことにも感謝。
ピラール入り後も、発表会指導の準備の為に沢山の時間と場所を提供していただいた。

ちなみに、帰国後は保護した猫が避妊前に出産してしまい、子猫の大運動会でピアノの調律すら出来なかったことを白状しておきたい。
ということもあり、音楽で何か貢献できる経験も、この先なかなか無いと思うのである。

あれから10年。ピラールも新型コロナウイルスの影響で休校しているとのことで、今年は『父の日母の日発表会』も開催出来ない様子だが、あの時に出会った子供達が成長とともに活躍する様子を見るにつけ、事態の終息後には、再び沢山の子供達が日本語学校で楽しく学ばれることを心から祈りたい。

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