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後悔しない選択の一つ

娘が小学校1年生の時、入学式翌日から学校に行きたがらず不登校になった。親子で苦しみ、暗中模索状態だった。
正門前で、泣いて暴れて、校内に入るのを拒む娘に、正門前にある文具店の店主のおばさんが、優しく声をかけてくれた。
「行きたくないのね」

そのうち、娘の様子がおかしいと気づき、学校に登校しないことを決断したが、娘は幼いながらに、学校の様子を感じようとしていたのか、正門前の文具店に、遊びに行く日があった。

店先で、おばさんとたわいのないおしゃべりをして、お店の品物を並べるのを手伝わせてもらったり、娘が大好きなレジを触らせてもらったり、お店の奥のご自宅で、一緒に食事をしたこともあった。

当時の担任の先生にも、そのお店で会い、宿題の受け渡しをしてもらった。

その後、娘は登校できるようになった時期もあったが、再び不登校になった。コロナ禍の影響もあり、母娘でお店を訪れる頻度は減った。ただ私は、娘の育児にずっと行き詰まりを感じていたし、教育方針に関しては夫とすれ違う事しかなく、苦しかった。
娘との喧嘩、夫との口論もあった。娘には幸せな人生を送って欲しいのに、何をしても裏目に出るように感じて、そのどうしようもなく行き場のない悲しさを、ずっと胸の中にしまい、家庭では明るく強い母であろうと必死だった。

提出物を学校に届ける時など、私はお店に寄り、おばさんと沢山おしゃべりをした。世間話から、娘のこと、夫のこと、学校のこと。おばさんはいつも優しく、笑顔で朗らかに、私の話を聴いてくれた。お母さん頑張ってるわね、素敵な親子ね、と。酷い母親だと自分を責めることが多かった私は、決して否定されないこの場所で、どれだけ救われたことだろう。

そんな、私たち母娘がお世話になったお店が閉店すると知ったのは、娘が小学6年生になった、4月のことだった。

6年生になり、娘は登校し始めていた。私は娘が班長を務める登校班の見守りで、ほぼ毎朝おばさんに会った。いつ閉店するのか尋ねると「6月あたりかなとは考えているけど、はっきりと閉店日を決めてないのよ。片付き次第かしら。息子のところには、いつ行かなきゃいけない、というのもないしね」と教えてくれた。

子ども達の登校が一段落つくと、寄って行きなさいよ、と何度も声をかけてもらったが、ここ数年で仕事を増やした私に、その余裕はなかった。いつか時間を作っておしゃべりしに行こうと思いながら、あっという間に2ヶ月が過ぎた。

娘も同じで、閉店前に、駄菓子を買いに行って、おばさんとお話したいと言っていたが、下校後にお店に行く時間をうまく取れなかった。

学校では、おばさんに感謝の手紙を書く時間があったらしい。友達はサラサラと鉛筆を走らせていたらしいが、娘は色々思い出していたら、何から書けば良いかわからなくなって、時間内に書けなかったと言っていた。

そんなある日、娘から「お店が閉店した」と聞いた。突然に感じた。たまたま出勤が続いて、朝の見守りに行けない日が続いたタイミングだった。

様子を見に行くと、確かにお店にはシャッターが下りて、閉店したことを告げる手書きの紙が貼られていた。
とはいえ、完全に片付いた感じではなく、店先に飾ってあった造花などはそのままだったので、お店の奥のご自宅におばさんはまだお住まいで、引越しまではしていないのではないかと思い、「困ったことがあったら電話してね」と言われ教えてもらった電話番号に、電話をかけてみた。

繋がらなかった。

後日、閉店すると言ったその日のうちに、お引越しされたと知った。

勝手に涙が溢れてきて、止まらなかった。

泣くほどのことじゃない、と思う人もいるだろう。でも、なぜここまで後悔の涙が流れるかといえば、お世話になった人に、きちんとご挨拶できずに会えなくなった経験がこれで三度目だからだと思う。毎回、後悔して泣いて。二度としないと思ったのに。

あの時も、あの時もそうだった…という想いが込み上げてきて、自分の取った行動、選択を悔やんだ。悔やんでも過去は戻ってこないのに、だから二度と繰り返すまいと決意していたはずだった。

人生において後悔しない選択をしようと、行動に迷った時は指針にしているつもりだが、まだまだ「つもり」だった、という話。

だがこれからも、私はやはり後悔しない人生を創り、歩み続けたい。優先順位のつけ方には、正直迷うことも多々あるけれど、直感と、自分が大切にしたいことに従った選択をしたいと、改めて思った。

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