見出し画像

広島県旅行の記録 その2(被爆体験伝承者の方のお話)

はじめに

こんにちは、eiketsuです。今回は、前回の記事の続きです。今回は、「被爆体験伝承者」の方によるお話をお伝えし、その感想などを述べていきます。

※↓前回の記事

事前の説明

最初に、いくつか必要な説明を述べておきます。

平和記念公園

周知かもしれませんが、まず平和記念公園について少し補足します。平和記念公園は、広島市の原爆ドーム、レストハウス、慰霊碑、広島平和記念資料館などのある一帯のエリアを指します。
今回の記事は、広島平和記念資料館で開催された講話を私が聴講した内容に関する記事です。

被爆体験伝承者について

今回、被爆体験伝承者という制度を初めて知りました。被爆体験伝承者とは、戦時中のアメリカによる原爆投下によって被爆した方の被爆体験を理解し、その内容を他の方々に伝承する人のことです。

昨今では、被爆体験伝承者は226人ほどいらっしゃるようです。被爆体験伝承者になるためには、少なくとも2年の研修を受けることや、少なくとも5年間活動する見込みのあることが必要になるようです。
当たり前ですが、被爆体験伝承者というものは、被爆者の方の被爆体験をただ知識として機械的に他人に伝達する役割のものではありません。戦前・戦中のあらゆる歴史の理解だけでなく、被爆者のことを心情的な面からも深く理解し、それを聞き手に深く波及させるように伝えることが求められます。

なお、上のWEBサイトの一部の画像を拝借し、この記事のヘッダー画像に設定しています。ご了承ください。

伺った被爆体験

韓国出身で現在90代の女性の方の被爆体験をお伝えします。この方は会場にはお越しにはなっていなくて(老衰や酷暑のため)、被爆体験伝承者の女性から私たち(来場者たち)が伺ったお話になります。
なお、今回記述する内容は私が聴いて理解した内容にすぎず、細かな間違いがあるかもしれません。申し訳ないですが、ご了承ください。それでも、大意は特に間違っていないと思います。

その方の被爆体験

幼少の頃まで韓国で暮らしていたその方は、ご家族の生活苦などの理由で、家族と共に広島市へ移住しました。出身に由来する差別をしてくる人たちがいて、苦しい思いをしたそうです。さらに太平洋戦争が始まって余計に困窮しましたが、それでもかろうじて耐えて生活していきました。
1945年8月6日の朝、その方は疎開のために電車に乗っていましたが、その瞬間に、アメリカの投下した原爆が爆発しました。そのときの場所は御幸橋という橋の近辺で、爆心地から約2.2km離れた場所(爆心地から南南西方向の場所で、京橋川に架かる一番河口に近い橋)。そんなに離れていても、建物は半壊するし、人々への被害も尋常ではないです。原爆による被害の概要について知りたい方は、たとえばこちらの記事(中国新聞社様による2022年8月5日発行の記事)をご参照ください。

電車の中で人々に囲まれていたこともあり、その方は奇跡的に生き延びました。しかしながら、爆風や熱による被害、白煙で視界が妨げられたことなどの苦痛や恐怖はすさまじいものだったそうです。それだけでなく、被爆もしました。
さらに、自分より苦しんでいて水を求めている人たちを助けることができず、強い罪悪感にさいなまれたそうです。その後何年も、「水」という言葉を聞くだけで、その罪悪感がよみがえって苦しんだほどだったそうです。

その後のこと

その後数十年間、その方は当時の悲劇の出来事を抑圧し、ご自身の被爆体験を他人に話そうとしませんでした。しかし、その方は意を決して、被爆体験を他の方々にお話ししました。
そしてその方はおっしゃいました。「友達や周囲の人々に思いやりの気持ちを持ちなさい」と。写真からも、その方の優しさが伝わってきます。

被爆体験を伺っての感想、思ったこと

お話を伺えたことに対するお礼

子供の頃にこれだけの苦難に遭いながらも、必死に生き続け、他人の幸福のために尽力されたその方には、本当に頭の下がる思いでした。あまりに感銘を受けたので、このことを発信せずにはいられませんでした。その方の被爆体験をお伝えしていただいた被爆体験伝承者の方にも、とても感謝しています。

お話を聴く意義

今後平和記念公園に行こうと思っている方は、常設展などの展示を見るだけでなく、ぜひ関係者の方々のお話をなるべく積極的に聴きに行ってほしい思いです。ここでいう関係者とは、被爆・被災した方々や、被爆した方の子供の方や、前述の被爆体験伝承者の方々などです。
というのは、関係者の方々からのお話は、非常に心に響くと思うからです。これは経験則によるところで、言葉で説明するのは難しいですが…。それに、そういう行動こそが、実際に遠方から平和記念公園に足を運ぶことの大きな意義の1つではないでしょうか。
付言すると、被爆・被災の経験者や被爆体験伝承者の方だけでなく、可能なら職員や学芸員、ボランティアスタッフの方々からお話を伺うこともできます。または、過去のドキュメンタリー映像やインタビュー映像を視聴することもできます。

今後の生き方をもっと強く考えようと思った

今回はあまり詳しくは述べないですが…。私はまだ高齢者でもないのに、残りの人生をどのように生きるかを結構考えています。それにあたり、今までいろんな歴史上の人物の伝記などを読み、生き方を考えてきました。
今回お話を伺った経験もまた、私にとって忘れられない感動的なものでした。今後どんな生き方をしていくかをもっと真剣に考えよう、との意を強くしました。

おわりに

記事をお読みいただき、ありがとうございました🙇
今回の広島県旅行についての記事はまだ続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?