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50年振りの友から30年振りの贈り物

 昨年12月、年も押し詰まった頃に大学入学時の友と再会を果たした。
49年というとてつもなく長い時間が流れたが、どの様にして巡り会う事が出来たかは「大過ない1年に感謝」に書いた。

 奇跡的な再会を果たし、生まれ育った群馬を離れ、現在千葉に住んでいるその友から、自然薯を送るけど、どうかな?との打診があった。
レアな物だけに、人によっては好き嫌いがあるので事前に気を使って連絡してきたのであった。

この気遣い、とてつもなく有難い。
中には手が痒くなる、口の周りが痒くなる、皮を剥いたりするのが面倒だ、などというありがた迷惑の人達がいる事を気にしての配慮である。

ところがどっこい、元々、山族の私にとっては待ってました、どストライクの話だ。
二つ返事で、大好物である事、そして、元々親に連れられて冬になると山に出掛け大変な思いをして自然薯を掘っていた事、そして現在地に引っ越しした後も大事に庭に植えておいた自然薯の根元を持ってきて、家庭菜園で育てていたことなどを告げた。

 実際のところ、好きも嫌いもなく、30代の頃、父親や叔父に連れられ山梨などに良く出掛けたものだ。
自然薯は蔓が木の上まで伸びる植物で、真冬になると当然の事ながら蔓は枯れてしまうので、まずは樹木の上の方ばかり眺め、どこに自然薯の蔓が伸びていたのかを探す事から始める。
『天狗のハナ』と父親たちは呼んでいたが、果たして『鼻』なのか『花』なのか未だに良く分かっていない。恐らく、自然薯の『花』の枯れた部分なので、多分『花』なんであろうと勝手に思っている。

天狗のハナ

 『天狗のハナ』が見つかったら、次が一番大変で重要な作業となる。その周辺の地面の積もった木の葉や土を指先でサラサラとなする様に除けながら細かな根っこを辿っていき、自然薯の根元を探し当てていく。とても根気のいる作業だ。目を凝らして、地面にはっている根っこを一本、一本手繰っていき、自然薯の根元に行き着いた時には『あったぞー』と歓声を上げ、大の大人が童心に帰る瞬間である。父親たちは自然薯の根元を『観音様』と呼んでいた。言い当て妙で、拝む程尊いと思っている事が見事に表現されていた。

自然薯の根元を尊んで観音様と呼んだ

しかしながら、ここからが肉体労働。自然薯掘り専用鋤の出番だ。

自然薯掘り専用鋤

 途中で折ってしまったりしては元も子もなく、100%完璧な状態で掘り出さねばならない為、重労働な上に繊細な神経も使う。

土が柔らかい場所の場合、身長ほどの深さまで掘り出さなければならず、大物に出会った場合は、2時間くらい掛けての格闘となる。
更に傾斜地の場合は、角度も加わりおまけに途中岩盤に出くわす事もあるので更に過重労働となる。

それから、引っ越してしまい親も歳になったこともあって、すっかり自然薯掘りとは縁遠くなってしまった。

 それでも、現在地に引っ越した際には、徒歩2、3分の場所に市民農園があり、抽選に当たったので10年位は様々な野菜を育てた。
庭に植えておいた自然薯は、根元だけを大事に取っておいたので、物は試しで畑に植えてみることにした。

市民農園

 最初の冬を迎えた年末に遂に自然薯を掘り起こす事にした。
ところが、ところが、柔らかい土だった事もあって、掘っても掘っても自然薯の姿が中々見えてこなくて、結局は身長程の深さまで掘ったのだが、それでも掘り切れず、気が付けば冬の暗い畑で一人ぽつぜんと土掘りをしている。
どう見たって他人から見れば異様な光景。
一体全体なにしてんだろ?と首をかしげて通り過ぎる人もいた。
掘り終えた時には、全身汗びっしょり、街灯もなく漆黒の闇に泥まみれになっていた一人の男がいた。

こんな酷くはないが、必死に掘った

 翌年からは同じ轍は踏みたくないので、ホームセンターで見つけた自然薯専用のトンネルを用意して前年保管しておいた自然薯の根元を植えることにしたが、残念ながら植え込み方が悪かったのか、それとも肥料が足りなかったのか、肝心の自然薯は上手く育たなかった。

自然薯専用クレバータイプ

 そんなこんなで、自然薯掘りからは40年近く、家庭菜園でも作っていた時期からは30年も経って、自然薯に出会う事となった。

粋な小唄が書かれ、レシピも掲載。

 天然物ではないと断りがあったが、中々どうして、とても立派な自然薯が届いた。

折角なので、年末にいつも食べている蕎麦を求め、クルマで小1時間のところにある製麺所に向かい、蕎麦とうどんと餃子の皮を仕入れてきたので、蕎麦と合わせて楽しませて貰った。
長芋と違って、粘り気がとても強いので、擦っても餅の様に一塊りになってしまい、水で溶いてゆるくしないと口に出来ない強さである。👈コレコレ、これなんです。
しかも独特の風味とコクも健在。
やっぱ、自然薯は凄い、そして美味い!

贔屓の製麺所の蕎麦とは絶妙のパートナー

50年振りに再会した友から贈られて来たのは、30年振りのとても貴重で有難い贈り物であった。

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