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50年以上作り続けた【体操服】が今年で終了します

国産体操服の製造の終了

2020年の三恵メリヤスの一番の出来事は何だったのかと思うと、
長年続けていた日本製の【体操服】の製造を来年度の春の納品で終了するということでした。

「え? まだ体操服って日本で作ってたんですか?」
と驚かれることが多いのですが、まだ、日本製の体操服は作っていて
(数はごくごく僅かです)
そのごく一端を担わせてもらっていました。

小さい頃から、「工場では体操服を作っている」
と聞かされてきた自分にとって三恵メリヤスが体操服を作ってることは一つの誇りであり、
「三恵メリヤス=体操服」
という、昔からの伝統というか、アイデンティティだったので、
体操服をもう作らなくなることに寂しい気持ちになります。

同時に、体操服の管理や納品をして頂いてた最年長の職人さんも、
高齢のため、このタイミングで引退をされるので、またお一人三恵メリヤスの歴史を知っておられる方が居なくなり一層寂しくなります。

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長い間ありがとうございました。

この機会に三恵メリヤスの歩みを見直すのと、
大阪の縫製町工場がどういった経緯で体操服の製造を行って、
そして、いま役目を終えて終了する流れ
を記録として残せたらと思います。

現段階では、私の記憶と知っている範囲のことを書くので随時加筆修正を行っていく予定です。

三恵メリヤスの体操服(学販)への参入の歴史

三恵メリヤスが、
戦前、戦後と輸出用の肌着をメインで作っていた時代に、
新規マーケットへの参入として学販(体操服製造販売)
への参入を行います。

私の、おじいさんの代の話なので50年以上昔の当時の新規参入として体操服の製造を開始します。

当時はまだ体操服というものが一般的でなかった時代(体育は肌着でやっていたとのこと)で、体操服というのが産まれだし、広がり始めた時代だったとのことです。

また、
肌着というのが工場としては、【10Kgいくら】というような量り売りで納めていたの時代で、
量産品であり超薄利な商品で、大量に売れるが、重さで計られ買われるという商売としてはしんどかったといいます。

そんななか、二代目の祖父が、伸びつつあった新しい市場の体操服の分野に目をつけて、体操服の製造と販売を始めたのが、三恵メリヤスが体操服業界に参入したはじまりです。
(祖父は若くして亡くなっておりますので、亡くなった時から考えると50年以上前から体操服の製造を行っていたと推測されます)

体操服で積極展開の時代

その後体操服を作りの評判が高まり、納入先が増えてくると、積極的に色々な学校への納入を進めていきました。
営業は、三恵メリヤス直接の場合もあれば、学販の専門問屋さんと組んで一緒に学校に営業に行ったりしながら販路を順調に開拓をしていきました。

聞いた範囲ですと、北野高校、樟蔭、学習院などそうそうたる所の体操服も作っていたとのこと。
特に樟蔭用に作っていた別注のVネック体操服のデザインが特徴的でかわいらしく、現在のEIJIのVネックのクラシックなVネックのデザインに引き継がれています。(「合わせのV」と呼んでいます)

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体操服販売の大変だったところ

順調にスタートして伸ばしていった学生服販売ですが、工場としては問題がありました。
それは、入学シーズンにオーダーが集中することです。
大量の定番商品を作ることができる点で工場としては非常にありがたい仕事なのですが、3月末の納入に向けて、1月から、工場はもう土日なく死に物狂いで働いていたそうです。
逆に、1月から4月以外の時期は、工場が手が空いてしまい、仕事がなくなってしまいます。
よく言う「ピーク時と閑散期の差が大きい」状態で、また、一括大量納入のため、工場をまわす仕事量は多いのですが、工賃は低く抑えられることが多く、工場運営としては学生服製造だけでは利益が取りづらい仕組みになっていました。


その後の体操服のと三恵メリヤス

この後、先に述べた閑散期と製造期の波を平らにするために、閑散期に生産ができる、カジュアル衣料(スウェットの製造)に三恵メリヤスは乗り出すことになります。
体操服製造とスウェットの製造の2つの柱にした、時代へと進んでいきます。

またその時期は、学生服製造の価格競争もあり、より大きな工場が仕事を集めたり、そして、1980年代の時期には、より安くより多く作るために、海外へと仕事が出て行く時代へと続いていきます。
もちろんその中に体操服も入っていました。

三恵メリヤスの体操服生産終了の理由

体操服は、学校が指定で買わせるものであることもあり、
体操服の購入ができない生徒が出てはいけないという通念から、
なるべく売値を安くする(値段を上げることができない)
という形で今まで運営されてきました。

そのため、数十年ほとんど値段が上がっていません。
ただ、実際には、
--原材料費の値上がり
--少子化による生産量の減少
--生産コストの値上がり
があり、
さらに
--生産設備の維持が難しく、昔からの生地で作ることができなくなる
という技術的な問題もあり、
ついに、三恵メリヤスでは作れば作るほど赤字になってしまい作れなくなってしまった、というのが体操服の製造を終えた理由です。

この間に、一緒に学生服を作って学校に納めていた学生服問屋さんも多く廃業されていき、
三恵メリヤスもだんだん量が少なくなりながらも維持してきた体操服の生産でしたが、来年の入学生用の生産を最後に終了することを決定いたしました。

思うこと

冷静に見ると、時代の流れと、市場に合ってない作り方で「撤退やむなし」というのは理解できるのですが、
やっぱり、自分が体操服を着ていた世代で、
家の寝間着や部屋着として体操服を着ていた時代を過ごした者として、
すごく、、、もの寂しいというか、ノスタルジックというのか、
なにか、「三丁目の夕日」的な気分に今、なっています。
三恵メリヤスに帰ってきたときに、
「体操服をもっと認知してもらうことがしたい」
なんてことを考えていたので、より一層さびしく感じています。
最後に、自分用に体操服が作れたらなぁ、なんてことも思っています。

将来、日本製の体操服のことを調べるときに、今の記録が何かに役立てばと思いと、自分の中にあるノスタルジックさを出させてもらう場所としてここに書かせてもらいました。

長文にお付き合いありがとうございます。

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