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海外の思い出

学校帰りに台湾人の友達と話しながら歩いていたら、突然食べかけのリンゴが足元に飛んできた。振り返るとそこにいたのは、全く見知らぬ白人男子数人。お揃いのジャケットから運動部所属なのはわかった。

「What you lookin at Chink!! (何見てんだよ中国野郎!)」

……いや、リンゴが飛んできたから見てるんだけど。

こういうことが起きるのは学校やその周辺に限ったことではなく、例えば車道の端を自転車で走っていたら、知らない白人のジジイが運転するピックアップ・トラックに突然幅寄せされた挙句、中指を立てられたり、また別の日には、公園で香港出身のジミーとバスケをしていると、小学生くらいの2人組に「一緒にやろう」と言われたので4人でミニ・ゲームをしていたら、その保護者と思われる白人女性がやってきて「その人たちと遊んじゃダメ」と2人を連れて行ってしまったこともあった。

彼らがジミーのボールを持ったまま立ち去ろうとしたので、そのボール俺らのだけど、と言うと、その女性は子供の持っていたボールを取り上げてこちらに投げ返してきた。そのパスの威力から僕が思い出したのは……

『先輩、実は強いパス取りづらいんす』(流川楓/スラムダンク)。

20数年前、僕が留学していたカナダ、バンクーバーはアジア(主に中国、香港)からの移民が増えていた時期らしく、その分、昔からの白人住民との軋轢も増えていた、らしい。

通っていた郊外の高校は、5割が白人、3割がアジア系、残りがヒスパニック・中東・ブラック系......ざっくりこんな感じの人種比率。

学校にはクラブ活動もあるし、通常のクラスではもちろん人種は関係なく入り混じっているのだが、いわゆる「スクール・カースト」、そして「肌の色」が、なんとなく校内でのグループ分けの縦軸と横軸になっていたように思う。


話変わって、2012年、フランス・ツアー中に滞在していたパリでの出来事。

ホテルの前のカフェで会計を済ませようとすると釣り銭が2ユーロ足りない。そのことをレジの黒人男性に英語で告げると、早口のフランス語で色々まくし立てられた。聞き取れたのは何度も繰り返される「ネム」と言う単語。何か特別なサービス料でもあるのかな?と思い、らちが明かないので、2ユーロは諦めて店を出た。

次の日の夜、一緒にツアーしていたフランスのバンドGUSHのヤンに、ネムって何?と聞いたら、

「お前それどこで言われたの?」

と質問で返されたので事情を話すと、ネムはアジア系を差別するスラングだと教えてくれた。そして、そのカフェの店員は『釣り銭ごまかしセコ野郎』な上に、『差別主義のクソ』だ、俺が代わりに謝るよソーリー、と言ってビールを奢ってくれた。その後、ライブのアフターパーティーの喫煙部屋で、ワインをガブ飲みしながらパリのジプシーや移民問題についてしゃべりまくる彼を見ていて、こいついい奴だな、すごく酔ってるけど、と思った記憶がある。


それ以外にも細かい話は色々あるけれど、約1年のカナダ留学、そしてアメリカやフランスでのライブ・ツアーを経験して思うのは、多民族国家における人種差別というのは、日常茶飯事だということだ。

もちろんカナダにもフランスにもアメリカにも、上に書いてきたような出来事以外の良い思い出が山ほどある。素晴らしい経験や出会いがたくさんあったし、人種をネタに軽口を言い合える、気のおけない友達もできた。

見知らぬ他人から突然向けられた理不尽な悪意は、カラフルで美しいその記憶のタペストリーに点々と濃い染みを残しているが、それを理由にその国ごと嫌いになってしまうなんてもったいない、と個人的には思っている。どこに行ってもイヤな奴はいるし、その倍以上の良い奴がいる。そして、そういう多種多様な人たちを人種や国籍で簡単に一括りにして、蔑んだり、侮ったり、嫌悪したりすることほど下らない事はない。

ただ、あまりにも理不尽な悪意には、はっきりと『No』を突きつけるしかない。今、アメリカで起きている事は、飲み込まれ続けてきた『No』の爆発なのだろう。



冒頭に書いた学校帰りの出来事を、当時の家の向かいに住んでいて仲が良かったドイツ人のスケーター、マークに話したら「気にすんな、あいつら脳まで筋肉だから」と笑っていた。"脳筋"という俗語は割とワールドワイドだった。

「だけど」

この後のやり取りは今も覚えている。

「戦う時は戦わないと。"You gotta fight for your right" ってビースティー・ボーイズも言ってただろ」

「"......to party?"」

「うるせーよ日本人!」

そして2人で笑った。






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