ぼうけんのしょ3
留学してまもなく迎える冬。
ヨーロッパの夜は長くなる。16時にもなるとあたりはもう、夜の闇に包まれる。
「クリスマス、よければ僕の実家で過ごさない?」
クリスマスはヨーロッパではとても大切な日で、風習として家族や親戚で集まって過ごすのが恒例である。
それは日本のお正月の過ごし方に似ている。
とても温かい恩師のお誘いに、ありがたく甘えて、郊外の小さな小さな町にあるご実家で、僕は恩師と、彼のご両親と共に、大切な三日間を過ごした。
12月の24.25.26日のことである。
大学の寮から近郊の大きな駅まで列車に揺られ、そこで恩師と合流し、彼の運転でドイツの高速道路、アウトバーンをひた走ること数時間。
ひっそりとした佇まいが趣のある、古き小さな町に着いた。
「さぁ着いた。ここが僕の実家だよ。ようこそ。」と迎えてくださったとても素敵なお家。これが裏口で、雪が積もっても入れるように高く設置された階段のドアは、キッチンにつながっている。
お母様が永く使っているアトリエ。「乱雑に置かれているから、撮れたもんじゃないよ。」と恩師は言うが、僕はとても素敵な人間味あふれる空間だと感じた。人の手から、何かが生まれる場所は、どの地でも本当に素敵なものである。
お母様の作品がお庭にぽつんと。どこか温かくて、ユーモアがある。これだけで絵になる。
お父様の倉庫に眠る愛車。ドイツの古きBMW。
この眠れる獅子感がたまらなくかっこいい。
後に乗せてもらえることになるとは、この時思いもしなかった。
お家に入るなり、お母様の明るい笑顔とお父様の優しい笑顔にお出迎えされ、厚着のジャケットを脱いだら、テーブルの上に豪華なケーキが。
「ようこそ。遠かったでしょ?好きなだけ食べていいわよ!クリスマスは食いだおれるものだから。」とお母様の歓迎に感動。
おいしい!おいしい!と頬張る僕を、ご一家はにこにこして見守ってくれた。
本当に器用なお母様は、チーズケーキのみならず、チョコケーキも作って待ってくれていた。甘すぎない、今でも忘れないあの味。
心からの歓迎に、しばらく感動しっぱなして、ぎこちないドイツ語でも、楽しい会話が止まなかった。
おやつの時間を過ぎるともう日は暮れて。
「さぁ、ドイツのクリスマス恒例のプレゼント交換会よ!」とリビングのテーブルを家族で囲む。
クリスマスまでカウントダウンをする特製のキャンドルと、盛り沢山のフルーツ、クルミの山。
それぞれが家族のために持ち寄ったプレゼントを交換した。お母様から手作りのサンタ刺繍の入った袋にたくさんのお菓子をいただき、お父様からは、僕の大好きなJames Bondを彷彿とさせる昔ながらのシェービングセットをいただいた。(恩師が前もってお父様に伝えていてくれたようで、この図らいに涙した)
家族の思い出話をしながら、恩師との出会いから留学の抱負まで、とにかくたくさん語り合ってくださった。愛犬のMaxとも楽しく遊んだ。すぐに懐いてくれたのがかわいい。
お父様には、クルミの割り方を楽しく教えてもらった。クルミ割り機をつかって。使わない方法も。
たしかリビングのテレビでは、タイタニックの映画がドイツ語版で流れていた。年末の特番というところか。
「そろそろお腹空いたでしょ?親戚の集まりがあるから、一緒に行こう!」と、車で夜道を1時間ほど。お母様のご兄弟のお家にお邪魔した。
どのお家にも、この日のために用意した豪華なクリスマスツリーが飾られていて、電飾もまばゆい。
「さぁ今日からはドイツ語だけで話そうぜー、約束だぞぉー」と明るい伯父様と契りを交わし、この夜は自分の留学史上一番語学を鍛えた日になった。
一言、また一言、思いを紡ぎながら、伝えたいことをドイツ語で口にする。家族のみんなは温かく、ゆっくりと、僕の言葉に耳を傾けてくれた。
この夜、ジョークを言えるほどには、ドイツ語は上達した。
「晩餐の準備をするから手伝ってくれるかい?」と誘われて、キッチンへ。やっぱりヨーロッパのキッチンは憧れる。ハイテクかつ綺麗なIHコンロに万能な調理器具。キッチンですら居心地のいい環境をつくるという、人間らしい生活にあふれていると思う。
こちらのきゅうりは、日本のものと違って少し太くて酸味の強いもの。瓜科なんだなと実感するほどに、どちらかというとフルーツに近い。
こんな何気ないことも、僕には新鮮で学ぶ喜び。
「クリスマスなんだから、ゆっくりさせろよぉ」と伯父様。大きな保険会社の店長をされていて、すでにお酒を呑んでいるにも関わらず、しっかりはっきりとしたお電話対応。
たぶん、お人柄で信頼を勝ち得てきたんだろうなと想像がつく。この夜、僕のドイツ語の先生となった人。
「Prost!!」と乾杯して、それぞれが食べたいものをお皿に盛り付けるブュッフェスタイル。
茹でたソーセージはクリスマス特製で少し贅沢なものらしく、たしかに格段に美味しかった。マスタードをつけて、ビールと合わせる。マッシュポテトには玉子を合わせて甘酸っぱいソースで。
ナイフとフォークの似合う家族団欒。
それぞれの家庭の近況や、仕事での悩み、子育ての相談など、親身に聴き入って、頭がはちきれそうになるほどドイツ語を浴びた。
まだ、生まれて間もない赤ちゃんがいて、僕はドイツの家族と、教育談義に花を咲かせた。
ドイツ人がビールより飲む飲み物。それがコーヒーらしい。エクストラビター。
マグにはなぜかフランスの文字。旅行のお土産らしい。さすがはEU圏。それにしても苦かった。
「また会いにおいでよ!いつでも待ってるよ」と抱擁を交わして、一路恩師の実家へ車で戻る。
「クリスマスイブの夜だからサンタと出会すかもしれないね」と...
二日目、25日の朝。町はとても静か。
お借りした部屋の窓が素敵。
斜めについた景色の額縁は、秘密基地のような。
聖なる日の小雨が、とても幻想的であった。
お部屋から見えるお隣さんの屋根。
赤い屋根に煙突。
現地の人にとっての普通が僕にとっては文化。
「おはよう!ゆうべはゆっくり寝れた?」と
久々に家族と挨拶を交わす感動。
ゆっくり。ゆっくり流れる時間で朝食を。
この朝の時間がたまらなく好き。
お父様がひたすらにパンを切ってくれて(黙々と切る姿が愛おしい)、チーズとハムとクリームソースをのせて食べる。
サーモンをのせて、ハニーマスタードをかけて食べるのが心底美味しかった。
甘めのチーズにジャムをのせるとおやつのようにも。
ゆでたまごも、ほおばる。
これまでの僕の朝食文化が根こそぎ変わるくらい、この朝食は、僕に大きな衝撃を与えた。
文化が変わるってなかなか体験できないこと。
素晴らしい朝食を終えた頃、すっかり雨もあがって、朝日が昇っていた。
「今日はせっかくだし、この町を案内するよ」
と恩師が車を出してくれて、旧市街を散策した。
古き家々の残る町並み。RPGの世界。
「歴史は古いけど、なにも華やかさのない町さ」
と恩師は言うが、ここには大切ななにかがある。
僕はそう感じた。
町散策から帰ってきて、お父様がガチョウの燻製を作ってくれていた。
「いいかい、日本に覚えて帰るんだ。
4kgのガチョウは、4時間オーブンで調理するんだ」
「5kgなら5時間だ。」
これぞドイツの定番と腰に手を当てて胸張る姿が勇ましかった。初日から食べてばかりでとても消化しきれないと嬉しく困っている僕にお母様とお父様は声を合わせて
「それがクリスマスなんだ。」と。
家族みんなで笑いあった。
これ以来、「4kg4時間」は、僕らドイツ家族の間でクリスマスのあの日を思い出す大切な合言葉になっている。
お昼を満腹食べ終えて、ゆっくりしたら、すこし町外れの大きな古城のある街に連れていってくれることになった。
朝早く起きて、たらふくたべて、昨日に引き続いて盛り沢山な一日だ。
道すがら、光柱が見れた。教会を中心に街があって、その街と町の間は、畑が広がり、道が長く細く続いている。
社会科を専攻する僕が学んだ通りの光景が、目の前に展開され、肌身で学んだ。学び浴びた。
天からレックウザでも登場するかのような。
最初の晩で鍛えられて以来、すっかりドイツ語の口もほぐれ、道中運転する恩師に、「あれはなに」「これはなんというの」と子どもに返ったように質問していた。恩師は少しも嫌がることなく、優しくこれに応えてくれた。
これは、古い形の貯水タンクらしい。
すべてが新しく、冒険だった。
新たな街につくと、中世から残る伝統的な家屋が並んでいた。木の柱が格子状にクロスして、よくいうお伽話の世界である。
画面で見る限り、「おとぎばなし」なのだが、そこに行くと、立つと、おとぎではなく、確かにそこに人の暮らしがあった。
柱に触れて、壁に触れて、感動した。
ヨーロッパで見たこの出入り口は、コレクションしたくなるくらい好きな光景だ。
昔、重い木製の扉がドチャンと開かれて、中から馬車が現れる。石畳の上をガラゴロと走っていく。
ボロボロの服を着た農夫らしき男が、再びその扉を重く閉める。
そんな幅を感じさせる大好きな、はざまである。
街中に、古い車が停まっていた。
大興奮のうちにシャッターを切った。
どうも長いスカートでは乗りにくそうである。
シルクハットの運転手を思い浮かべる。
クリスマスまでは街中にマーケットが開かれたり、人で賑わうが、当日ともなると一転、とても静かな音がする。
吊られた電飾もどこかさみしそうな。
お城を囲んで城壁がある。
自然の地形の高低差を利用した、賢いお城だ。
地形に沿って、お行儀良く家が連なる。
お城に登ると、あるトイレ。
観光に来て慌てて探しても絶対に見つからない。
用を足すにも荘厳な門構え。
本当にRPG。
古城に登って、街をみおろす。
平坦に広がる赤いレンガ屋根に、ぽつんと抜き出た教会の塔。
地平線と平行につづく雲のうね。
時間を知らせる鐘が鳴ると
体中に感動が押し寄せる。
模型とかじゃなくて、確かにここに世界がある。
日本のくらしと何らかわりない、飾り気のない生活。
人間の生活。
早く暮れる日には温かい緑茶を。
恩師と帰りに立ち寄ったカフェで。
街のライトアップが
つめたく冷えた体に思い出を注ぐ。
この二日間で食らった、怒濤の感動を言葉にして
恩師とふりかえる。
大興奮の日だったが
不思議と安らいで眠れた。
最終日の朝、こっそり部屋でお母様とお父様、それから恩師あてに手紙を書いた。ドイツ語と日本語でそれぞれ。
帰り際、リビングで向かいあわせながら、まず日本語の方を読みあげる。一家は少し困惑しながらも、優しく頷いて聴いてくれた。
そして、このクリスマスで鍛えたドイツ語の方を読みあげるとドイツの家族は笑い、涙しながら受け取ってくれた。
かたく、あつく抱擁して、再会を誓って。
ご実家をあとにした。
寮までは恩師の運転で、広いアウトバーンを跳ばす。
夢のような。夢でないような。
誰にも味わうことのできない
かけがえのないクリスマスを
経験することができた。
お金を払ってとかでなく、何かをするからとかでもなく、ただ愛のままに、恩を返したいと思った。
生きる意味をもらった。
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