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久っさしぶりのインド。娘と再訪してみたよ。


【前口上】

「37年ぶりにバラナシへ、娘と聖地巡礼したサラリーマンのお話」 

こんにちは、ツーさんことカスガイツトムです。会社員を長く務めています。ゆで卵が大好物です。

約37年前、といえば、日本はバブル経済の真っ只中。今では考えられない超円高の好景気で、大学キャンパス内も夢と希望と根拠のない自信に満ちた学生で溢れておりました。とくにサークルにも入らず、せっかくの下宿ひとり住まいなのに色恋沙汰に縁もないツーさんは、長期休暇になると5万〜10万円のトラベラーズチェックを腰巻きに挟み込み、鼻息荒く東南アジアにその身を投じたりしていました。いまで言う短期バックパッカーです。向学心のある友人は、中国やカナダへ短期留学に行っておりましたね。

さて、世はそんな空気。21歳、就職などいつでもできるんじゃないか。(当時最先端の)フリーターという生き方もある。選択肢はいくらでもある。一年前の春休みに香港で泊まった安宿のドミトリーには、数年間、小さな荷物ひとつで世界を旅している、などという諸先輩がたくさんいたのです。
「なんと眩しい、かっこいい」。
ツーさんは、故郷でコツコツ働く両親をだまくらかし、大学を1年間休学。「つぼ八」と運送会社のバイトで作った軍資金を握り締めて、インド、ネパール、タイ、中国と回ったわけです。その間、お腹に2種類のかわいい虫っ子(サナダムシ、ランブル鞭毛虫)を宿したりしました。

その8カ月の間、各国のゲストハウスでいろいろな諸先輩の生きざまを間近に見て、聞いて、つまり人生への指南を全身で浴びた結果、いま、こうして会社員生活を全うできていると思うのです。
人生は忍耐と寛容ですね。
あの頃の先達バックパッカーの皆さんには心から感謝しています。名前は忘れてしまったけれど、その幾多の顔はまだはっきりと覚えています。

前振りが長い。

そのインドにたまたまですが、やはりいま会社員を務めている20代の娘と一緒に行くことになりました。なんと、このわたくしを誘ってくれたのです。どうやら、沢木耕太郎さんの本を読んだみたいですね、頼もしいなあ。

37年ぶりのインドか〜、IT化はほんとにあんなに進んでるのかなあ〜、まさか娘と「青春プレイバック」ができるなんて、ほんと嬉しいなあ〜。ツーさんのあまりの興奮ぶりに、誘った娘はいくぶん後悔し始めているようでしたが、もはや手遅れとなった次第。

さて、かまってちゃんのツーさんは、この娘と再訪したインド旅を、あれこれ振り返ってみたいと思います。
以下掲載分は、すべて現地でスマホに書き込んだ日記です。いわば、同時ドキュメント。自分でも雰囲気を楽しみたかったので、誤字脱字以外は手を入れておりません。何がいったい、誰がいったい面白がるかわかりませんが、さてさていよいよ、父娘ルポを紹介して参りましょう。
向かうはニューデリー、アグラー、バラナシです。

【ニューデリー・New Delhi】

#1 街の喧騒と、
ああこの匂いだわ、の始まり

ラージ運転手の荒ぶるドライビングテクニック

うーん、昨日のことか、インド着いたの。何だか眠れなかったなあ。
と、おはようございます、ツーさんことカスガイツトムです。会社員を長く務めています。ゆで卵が大好物です。

37年ぶり再訪となったインド初日。
娘よ、コレが俺のインドだ!
と鼻の穴でっかくして案内しようと張り切っていたツーさんですが、まあ、詳細は後に譲るとして、昨晩は寝入りバナ、鼾がうるせえ、と叩き起こされ、睡眠のリズムが狂って寝ぼけたニューデリーの朝を迎えたところです。

ホテルの朝食、インド人旅行者もたくさん
ビュッフェのメニューは野菜中心なのがうれしい

お喋りでボリまくるがやはり憎めないトゥクトゥクの運転手 ラージの話

空港からメトロでニューデリー駅へ、ホテル方面への乗り換えで迷い、試しに乗ったのがラージ運転手のトゥクトゥクでした。駅前ロータリー、ラージと助手の圧倒的な話力、声力、しつこさに負け、多分かなりボラれた値段、350ルピーで交渉成立しました。(後で調べたら、バスだと10ルピーでしたよ)

空港到着後に時間を戻しますと、ここまで、謎の自称ツアーコンダクターのオッサンが登場したり(駅の外まで連れ出され、何かと思えば、インチキだった。被害なし)、メトロ車内で娘と間違えてサリー姿の若い女性の二の腕をプニプニしてしまい、「あわや!」のトラブルになりそうになったり、俺のインドもなかなかの幕開けでした。

ラージはやはりいい奴でした。旅行者にとって、悪意あるインド人にはそんなにお目にかかりません、多分。ラージときたら、運転中、突如、青い半袖シャツを着始めて、(横見て喋りまくりながらだし、ほんと危ないよね)、何かアピールし始めました。何となく意図が読み取れたので、「オフィシャルユニホームか?」と投げると、自慢げに、「そうだ! @#$〆♪(ほにゃらら)」と話し始めてご機嫌。張り切って、車間に少しでも隙間を見つければ、他の車スレッスレに攻めて、「グッドドライバー!」とか叫んでる。
ボラれたけど、街中の喧騒をスピード感たっぷりに娘に味わえさせることができたのはよかったなあ。娘よ、コレが俺のインドだよ。多分。

歯ブラシのヘッドがデカい件

夜、娘が洗面所から飛び出してきた。何事か、謎の巨大虫か‼︎ とか思ったら、「インドの歯ブラシ、デカすぎて笑えるんだけど〜」なるほど、娘よ、父ちゃんは知らなかったよ、そんなこと。
#1 了

確かにヘッドがデカい(中央の青白ブラシ)

データ: 宿泊ホテル
Ambassador, New Delhi-IHCL

【アグラー・Agra】

#2 アグラーまで。立ち塞がった親切な案内人たち

ニューデリー駅前(写真と本文で指摘のガイドとは関係ありません)

昨日は、たまたま出会ったトゥクトゥクのラージ運転手のナイスな演出で、37年前と変わらない暑苦しいインド、俺のインド、の洗礼を浴びさせていただきました。
こんにちは、ツーさんことカスガイツトムです。会社員を長く務めています。ゆで卵が大好物です。

眼鏡ドライバー氏

わたくしはタージマハルを娘に見せたくてINDIAN RAILWAYSにてアグラーを目指しました。切符は日本にいながらにしてネット購入(娘が)、QR付きのデジタルチケットな訳で、このあたりは隔世の感。でもですね、その特急(二等席)に乗るまでに、おおよそ4人の人懐っこい自称ツアーガイドたちが立ち塞がったのでした。なにも変わっていないインドよ、もう勘弁して。 

まずはトゥクトゥクの眼鏡ドライバー氏。バス停で迷っていると、40ルピーでニューデリー駅まで行きますよ、とジェントルに現れた。昨日、ラージが提示した350とはえらい違い、相場通りの良き運転手もいるものだと、(とはいえ、イチか八か)娘と乗っかりました。が、やはりやはり。

あー、思い出したよ

眼鏡ドライバー氏、30m走ったか走らないかでゆるゆると減速、そして路上駐車、なにやら長広舌が始まりました。
「あなた方、親子よ、列車の時間までずいぶん時間があるではないか、買い物に行こう、いい店がある、チャーイ屋もある、私がガイドしてやろう、(とか何とか)」。
娘が列車の時間(13:00発)をうっかり伝えたものだから、グイグイと攻め込んで来られたわけです。

あー、これ、37年前(わたくしツーさん、当時21歳)にもアグラーのトゥクトゥクで同じことあったよなあ〜。わたくしはそんなことを思い出しながら数分間、インチキ英語で激交渉を楽しみました。しかしまったく埒が開かない、動いてくれない。そこで、頭に来たわたくしが、「じゃあ、わたしらもう降りるわ!」とピシャリ突き放したのです。

と、眼鏡ドライバー氏。「降りやがれ、このやろう」とはならず、何ともジェントルにわたくしたちを降ろしてくれたのでした。

猛省するわたくし

実質、数十mを乗車させながら、まったく乗車賃を求めないーー。この結末も、37年前と同じでした。やはりインド人は摩訶不思議、面白いなあ、憎めないなあと勝手に心温まったわけですが、実は大いに反省した点もあったのでした。

激交渉も後半あたり、「買い物はノーサンキュー、もう、とにかく50ルピーやるから駅までまっすぐ向かってくれ!」と、わたくしが投げやりに話したところ、眼鏡ドライバー氏はこう答えたのでした。
「わたしは、おカネが欲しいわけでは、ない」(ジェントルに)

そして、わたくしたちを静かに降ろすと、ゆるりと走り去ったというわけです。いやあ、わたくしツーさんも、この37年で嫌〜なオトナになっていたんですね。ニューデリーに来て、本当に良かった。猛省したのでした。

眼鏡ドライバー氏から逃れ、9ルピーのバスでニューデリー駅へ

その後、ニューデリー駅前では、「えっ、その列車なら9時間遅延してるぞ、俺のツアーオフィスまで、来い、チケット変更をしてやるから」などなど、同じ手口の自称ツアーガイドたちが次々に現れ、それでもついつい付き合ったりして、1時間ほど時間を奪われたのでした。こんな旅、アホだよなあ。
娘よ、コレが俺のインドだ。

さすがに疲れてまいりましたね。ちなみにわたくしたちの乗る特急は、予定通りの13:00に出発しました。

寝台特急に乗って

12:45、7番線ホームに入ってきた12716番・特急列車の前で、娘とわたくしはうろたえたのでした。どの車両も「ジスイズ鮨詰め」を超える乗車率なのです。それも溢れ出たインド人乗客は皆、あの鋭い眼光をこちらに向けている。おまけにわたくしと娘は自分たちが乗るべき車両ナンバーがどれを指すのかわからない。そしてそして、車両連結が信じられないぐらい長いのです。

交差点ではありません。わたくしたちの乗る車両が見えません、、、
弁当売り、チャーイ売りが充実した特急

ここで謎の青年が颯爽と現れたのでした。チケットを見せろ、オレに着いてこい、と頼もしい痩せぎすの若者についていきます。だって、凄いんだから、降りる人と乗る人の人流、波の渦巻きが。B3号車の自席まで辿り着いたところで、わたくしはその青年に心からのチップ、20ルピー(30円くらい、チャーイ1杯が15ルピー)を渡したのでした。実はわたくしの席、65番に老年のインド人が座っていて、面倒くさいので譲って、娘の席に二人で座ったことは割愛させていただきます。

アグラー駅からタージマハールまで10km

さて、アグラー到着です。
うーん、死ぬほど感動すると思ってたけど、細かな記憶がないのです。ここ来たんだよなあ。牛が駅前ロータリーで寝てるし。
そんな感興に耽る間もなく、わたくしの前には、またも愛想のいい男が。トゥクトゥクの運転手、、、コレがなかなかいい奴だった(今日のところは)。名前はアリー。秘蔵のノートを持っていて、コレまでに乗せた客が直筆した感謝メモ帳になっている。日本人客も多く、読め、読めと言ってくる。モノの本で、こうして信頼度を高める手法があるのは聞き齧っておりましたが、本当にいるんだなあ。

ホテルに到着すると牛がお迎え

「37年前にわたくしはアグラーに来たことがあるんですよ」とか、「わたくしたちは親子です」とか話すと、「えっ、その頃、オレは母ちゃんの腹の中だよー、フレンズ!」と返し、自分は5カ国語を話せるとか実演してみせ、何より頭の回転がよいのだ。

アリーにホテルまで送ってもらい、なんと明日は1250ルピーでアグラーの主要城址を回ってもらうことになった。わたくしたち親子は、終日ガイドをお願いしたのです。さて、明日はいったいどうなるのか。気づけば、暑苦しいばかりのトゥクトゥク運転手を好きになり始めた父ちゃんがいる。娘よ、これもインドだ。

ビリヤニを初めて食べました、なんとう言う美味さよ
付け合わせの赤玉ねぎにハマったわたくし

#2 了

データ:
・宿泊ホテル
DAZZLING HOTEL & RESORT
・レストラン
BIRYANI & KEBAB by ZAHID FOODS

#3 アグラー。娘よ、これがタージマハルだ。

やっぱり、感動しました、タージマハル。インド人観光客のスマホ自撮りが絵になりすぎて。こんにちは、ツーさんことカスガイツトムです。会社員を長く務めています。ゆで卵が大好物です。

午前9:00、トゥクトゥク運転手のアリーは時間通りにホテル前にやってきました。さてまずは、タージマハルへ。城下町(?)の駐車場で降ろされ、娘と二人歩いてゆく。(この辺り、すんごい猥雑感が充満です。)まだあの白いとんがりタマネギは見えてこない。いつお目見えするのだろう。身体が震えます。わたくし、37年前も確かにこの辺、ゴム草履でうろついてたんだよなあ。感極まるなあ。

早くタージマハルが見たいのに入場門手前の店でチャイを立ち飲みし始めた娘

理解不能な撮影会

ついに来ました! 正門からのこの眺め、そのシンメトリー。これだ、娘よ、これが、俺の、タージマハルなのだよ。思いを一方的に押し付けて、ごめんよ、写真撮ってあげるから許しておくれ。

わたくしではございません

歳月が変えたもの、それはインド人観光客の爆増でした。撮影スポットの取り合い、奪い合い。そして、インド人たちの独特のポージング。わたくしにはとても真似できません。それにしても、色鮮やかなサリーは真白なタージマハルに実に映える。「ほんと、これ、バ(映)えるわ〜」、写真を撮りまくるわたくしの背後で、娘も感心しております。

と、その後、驚くべきことがわたくしたち親子を襲ったのです。「ワンピクチャー、OK?」と微笑みながら、眼光鋭い若者たちがスマホを持って寄ってくる。のみならず、家族連れもが娘とわたくしを取り囲み始めたのです。なぜ、わたくしたちと一緒に撮影させてください、なのでしょう。まったく理解不能です。

しかし娘もなんちゅーパンツ履いてんだろ

なんとか人気タレント級の臨時撮影会から逃げ出し、タージマハルの中に入ります。静謐、厳かに吹き抜ける微風。ああ、思い出した。37年前のあの日、天蓋を眺める青年ツーさんの横で、知らない爺さんがコーランの一節らしき歌を歌い始め、厳かにチップを要求してきたんだよな。なんだか心が甘酸っぱくなってくるなあ。

対岸からの眺めにも、感涙


実は、今回の再訪で果たしたかったのは、ヤムナー川の対岸にあるアグラー城塞(赤の城)から、タージマハルを眺めることでした。この城塞と霊廟にまつわる、皇帝シャー・ジャハーン(タージマハル建立者)の悲しい歴史秘話は、ご自身でググってみたりしてください。

幽閉されていたジャハーン王が眺めた景色

この日の疲労感はなかなかのものでした。午後3時にはホテルに戻り、昼寝させていただいたほどです。というのも、わかっちゃいたけど、のトゥクトゥク運転手による買い物店連れ回し劇場に巻き込まれたからです。

大理石ショップ、サリー布地ショップ、そしてジュエリーショップ、、、さすがに3軒目は辞したのですが。娘はブンムクレ寸前でした。が、あえて申しましょう。
娘よ、これがインドなのだよ。

#3 了

データ:
・タージマハル入場料、1300ルピー
・アグラー城塞入場料、600ルピー
※タージマハル入場者は、チケットを見せれば100ルピー割引

【バラナシ・Varanasi】

#4 バラナシ。聖なるガンガーとUberトゥクトゥク、そして。

テンプルホテル屋上からの夕焼け

アグラーから朝イチの特急でニューデリーに戻り、空路バラナシへ。37年ぶりに見た聖地は、ガンガーの悠久なる流れと、、、娘よ、父ちゃんにお酒をください。ビール小瓶でいいから。こんにちは、ツーさんことカスガイツトムです。会社員を長く務めています。ゆで卵が大好物です。

「ハロ〜ォ」過敏症。

旅も4日目に入りました。移動の度にトゥクトゥク運転手との交渉を余儀なくされ続けたわたくしたち親子は、インド人への「ハロ〜ォ」過敏症に陥ったようです。街を一歩歩けば、「ハロ〜ォッ」、「ハロ〜、ジャパニ〜」。ああ、もうウンザリです。「ハロー」と声をかけられて、ハッと振り返れば、硬そうな髪質のインド人青年がスマホで喋ってるだけだったり。(とりあえず、羨ましいわ、その毛髪量。)

そんな環境下で、よく当日の短時間乗り換え(市バスで迷ったりの勝手に危機一髪)でバラナシに来れたものだ。ツーさんは感慨深くバラナシ空港に降り立ちました。が、空港出口に目を凝らすと、いつも通り、眼光鋭い男たちがこちらを見つめて待ち構えています。「さあ〜て、またトゥクトゥク運転手との交渉でウンザリしてみるかな、ハハハ」。自虐的な負のループ思考に陥りそうになったその刹那、わたくしは思いついたのです。

Uberトゥクトゥク

ここはひとつ、Uberでも試してみるか。ヒンズーの聖地にシリコンバレーの技術は通用しているのだろうか。軽い気持ちでUberアプリを起動してみて、驚きましたよ、ほんと。何と、Uberでトゥクトゥクも指定できるのです。支払いに「現金」選択があるのもご当地インド風。タクシーに比べて3割ほど安い。目指すホテルまでの移動距離約1時間で、「454.45ルピー」と、相場感たっぷりのリアルな運賃が表示されている。これですよ!

Uberでトゥクトゥクが使えるなんて!

やってきた運転手は、贅肉ひとつない若者。髪型もイケてる。買ったばかりなのか、ピカピカのトゥクトゥクです。当然値段交渉らしきものはなく、すんなり乗車と相成りました。いやほんと、こうありたいね〜。

え、ビールと肉、無いの?

ガンジス川を望むホテルに到着しました。街中は、バイクと車と牛と犬と立ち尽くしている老人と踊る若い女子集団とかで混ざり合い、カオス、混沌、昔と変わらぬバラナシでした。いまだに部屋の鍵がデカい南京錠なのもホッとします。

街のあちこちにガネーシャの祠が置かれています(自転車の横、赤色のところ)

手塚治虫の漫画に出てきそうな小柄な使用人に案内されて、ルーフトップから、聖なる川を眺めます。雄大、穏やかな川面を見ていると、娘よ、これがーーとかいう感情はもう出てきません。さて、ビールでも飲むかな。使用人に「まずはビールください」と注文します。と、フッと一瞬、彼の顔色が曇ったのをわたくしは見逃しませんでした。なんか悪いこと言ったかな? ビールね、ビール。

「ジツハ、、、」。使用人は申し訳なさそうに、「この地はアルコールや肉類は御法度なのです(あなた方、何しに来たの、この聖なる地へ。不勉強すぎますよ)」と説明するのでした。と、今度はタンパク質ダイエット中の娘が騒ぎ始めました。「え〜、わたしはタンドリーチキン食べたいんだけど、チキン、チキン! チキンが無いってわけ、この街は。どうして? 牛はいらないからチキンが食べたい」

わたくしはビールを我慢、娘はチキンを断念するこになりました

それでも諦めが悪いこの親子は、夕暮れのガンガーの街を歩いてまわりました。酒とチキンが本当にないのかを確かめるために。雑貨屋のオヤジさんには「ノー、ノー、(あるわけねーだろ)」と呆れられ、ありそうな(何が!)レストランでメニューを見せてもらい、肩を落とす。

バラナシ初日の夜は、水とダル(豆)カレー、野菜サラダ(生人参、きゅうり、玉葱のみ)、ビリヤニで済ませることになりました。
ちなみにレストランのメニューにこんな注意書きがありました。
Alcohol product are strictly band(アルコールの提供は固く禁じられております)
娘よ、これこそ俺のインドだ。

データ:
・Hotel Temple On Ganges

#5 バラナシ。切ない英会話力とガート見学、焼き場のこと

ガートにあった啓蒙の壁画、妙にその絵柄に惹かれてしまった

ある地図では、バラナシを「ワーラーナシー」と記しています。サンスクリット語の表記だとのことです。いい語音ですね。ちなみにバラナシは、ヒンディー語(連邦公用語)読みだとか。こんにちは、ツーさんことカスガイツトムです。会社員を長く務めています。ゆで卵が大好物です。今回のお話、少し長いかもしれません。

バラナシ2日目、朝6時にホテル玄関に集合して、日本人青年二人組と四人でボートでのガート見学に向かいました。昨日、チェックインの際に軽く挨拶したのですが、ニューデリーで悪徳ツアーリストに騙された体験談が秀逸すぎて、わたくしは大いに好感を持った二人です。たしかに、、、ボート乗船の前には、通りがかりのインド人に言われるがまま変なポーズで撮影させられていたりして、その素直さ、微笑ましかったですね。この先は寝台列車でアグラーに向かうとか。悪意はないけど、トゥクトゥク運転手には、ほんと気をつけてね。

通りがかりのインド人に変なポーズをさせられている日本人青年たち

大人になって知ったのは、旅先のオプションツアーはバカにできないということです。ペルーのクスコに行ったときには、40分ほどの街中散歩ツアー(英語)に参加し、スペインに支配された街の歴史とその成り立ちがおぼろげながら頭に入りました。そして帰国後、いろいろ関連本を読んで理解が深まった思い出があります。

荼毘の現場。

ボート観覧でのガート見学では、ガンガーの川辺南北約3kmにわたり全部で84あるガート(川辺に造られた階段状の沐浴場、宗派別なんだそうです)のほぼ全貌を、川面からじっくり観察できました。沐浴する巡礼者や、サドゥ(修行者)、ガートそれぞれで違う建築意匠などが目を惹きます。

二つある焼き場の対岸には、多くの観覧ボートが集まり、観光客の目の前で黄色い布で覆われた遺体が粛々と荼毘に付されていきます。遺灰は、僧侶の手によってガンガーに投じられます。あれは遺灰ではなかっと思います、棒状のものがドボ〜ンと投げ入れられた時の音が印象的でした。

ボートからガートを望む
「クミコハウス」

37年前は、ボートに乗るおカネなどありませんでした。入り組んだ路地を歩いてなんとかガートに辿り着くのが精一杯。焼き場を見つけることもできないまま旅を終えた(カトマンズに向かった)記憶しかないですね。

聖と俗というけれど

そういうツーさんですので、今回は、ボートから上がった後に、複数のガートを縦横断してみました。ボート上で見て、その全貌はほぼ頭に入っていますからね。途中、路地で黄色の布に覆われた遺体を運ぶ葬列とすれ違ったり、荼毘に付す前には、川の水に浸して遺体を清めている儀式などを間近に観ることができました。その感想。う〜ん、「聖(遺体)」と「俗(わたくしたち親子)」という感じでしょうか。そんなことを考えていたところ、娘は「思ったより変な匂いしなかったね」とポツリ。変じゃない匂いってあるかな、とか思いつつも「そうだね」と答えたのでした。帰国したら、ガンガー巡礼を学術的に解説した本でも読んでみようかなと思います。

What Do You Want?

夕刻、ツーさんの英語力が打ちのめされるトラブルが起きました。疲れて昼寝していたわたくしを部屋に置いて、娘はホテル前のチャイ屋に行ってしまったのです、部屋の外鍵をしっかり締めたまま! 
扉が開きません。南京錠式の外鍵なので、部屋の内側からは如何ともし難い。しかも娘の携帯はsimの不調で繋がらない。誰に開けて貰えばいいのか。そう、フロントに電話するしかないのです。
「ジスイズ、ルームナンバー31、マイネーム、イズ、@#&。プリーズヘルプミー、オープン、ザ、ドアー。サプライズ、アウトサイドキー、クローズド。マイドーター、ゴーアウト。プリーズ、ヘルプミー、ナウ!」
意を決したわたくしは、持ちうる英語の語彙をフル稼働させて、フロントに電話しました。
しばし沈黙の後、返ってきた言葉が、また衝撃的でした。
「What Do You Want?」

部屋から外出時は、この南京錠を使う

それでもなんとか、わたくしの思いは伝わったようで、オープンザドアーは果たされたのです。

ホテルフロントによると、明日は選挙ということで街の店の多くが閉まるのだとか。わたくしたち親子は明日、ニューデリーに戻ります。

それにしても、「お前は何を求めているのだ?」と、フロントに言われたとき、一瞬、「お前の人生で、」とも聞き取れてしまった自分に、少々うろたえました。バラナシ、この街は、人間を思考させてしまう何かがあるのですね。聖地として当然といえば当然のことですが。

データ:
・Blue Lassi Shop
CK 12/1 Kunj Gali, Kachaudi Gali, Near Rajbandhu, Govindpura, Varanasi, Uttar Pradesh 221001 インド

【ニューデリー・New Delhi】

#6 ニューデリー。モディ君からの電話

バラナシ空港からは格安航空券でニューデリーへ

こんにちは、ツーさんことカスガイツトムです。会社員を長く務めています。ゆで卵が大好物です。

娘とインド再訪問、なる試みも最終日が近づいて参りました。この一週間、どの街に行っても、カレーを食べて、チャーイを飲むのがルーティーン。バラナシでは期せずして酒と肉断ちの48時間(本当はちょっとズルしたけど内緒)となりましたが、「パパ、わたし実は、、、」と、身も凍るような告白をされることも特になく、「パパさ、思い切って起業しようと思ってるんだ、、、(な訳ない)」とか、折り入った会話があったわけではありません。

オナラがとまらない。

が、二人きりで寝食を共にすると、ついつい、ゴミ(かんだ後のティッシュとか)の捨て方や、身の回りの片付け(脱いだ靴下や服の畳み方とか)について苦言を呈してしまい、ウザがられました。(洗面台で洗濯するのを見て軽い衝撃を受けましたが、娘よ、Tバックのパンティを履くのは、できればやめておくれ)。

たしかに細かいかもなあとは思いますが、ツーさんには我慢がならんのです。娘からは「あのさ、そのオナラ、なんとかならないの!」と、インド入国以来、なぜか出まくる屁をネタに反撃されることもしばしばでしたが、人の生理現象を批判してはいけません。しかしほんと、よく出るんですよ。

ほんとに使い込まれてます、インドの紙幣。市バスは5〜10ルピー。女性は無料です

バラナシに別れを告げ、空路(IndigoなるLCC)ニューデリーへ。搭乗手続きが終わりかけた頃、わたくしのWhatsAppアプリが鳴りました。発信元は、3日前にニューデリーで知り合ったモディ君(仮名)。
「お、もしもーし」。

モディ君登場。

ちょっと見、タレント・満島真之介似のモディ君は、仕事で日本在住経験があり、日本語がなかなか。わたくしたちが「アグラー→ニューデリー→バラナシ」への強行移動中、ニューデリー駅前での市バス乗り換えで大ピンチを迎えていたとき、「どうしましたか?」とどこからか現れ、救ってくれた恩人です(拙稿#4では紙幅の関係で書ききれませんでした) 。

ニューデリーに戻る日程を伝えていたので、タイミングを見て連絡してくれたのでしょう。インド人警戒中の旅の途上ですので、(失礼ながら)まだ心を許した訳ではございませんが、ナイスガイではあります。インド最終日となる明日の昼、再会の約束をして電話を切りました。

カネ持ちのインド人が多くて、 Tシャツ短パンのわたくしたち親子は浮きまくりました

ニューデリーはやはり都会です。空港からメトロと市バスをスムーズに乗り継いで、ホテルに着きました。トゥクトゥクを回避できて良かったあ。最終宿泊先は、奮発して四つ星ホテルにしました。が、親の心子知らず。娘はその外観の偉容を見あげながら、「なんかこういうの求めてないんだよね〜」。娘よ、バックパック、ネイチャー志向なのは分かるが、それを言っちゃあおしまいではないかい。

深夜のルームサービス

そんな娘の意向で、ツーさん的には楽しみにしていたホテルでのディナー計画も流れ、街中の南インド料理店、大っぴらに酒が飲めるBARとハシゴして最終日前夜は暮れました。飲酒できたのは嬉しかったですね〜、インドでは当然のように食事と飲酒を切り分けているのがだいぶ理解できてきました。

お酒はNGだったけど、抜群に美味しかった南インド料理店のサラダ(名称分からず)
高いけど食べてみたかったルームサービス

深夜、それでもホテルでの食事を諦め切れないツーさんは、ルームサービスに挑戦しました。「もう寝るから、電気消して!」と娘に叱られ、ほぼ真っ暗な中でのフロントへの電話。「ハロー、アイウォント、フライドライス、アンド、ビアー」。またも英語力不足で、ボーイさんを一往復させてしまうことになりましたが、なんとかビールと海老のフライドライスにありつけました。

ここで素直な感想。やっぱりインドはカレーかな。

#6 了

データ:
・THE LALIT Hotel
https://www.thelalit.com/the-lalit-delhi/
・JUGGERNAU(南インド料理)
https://www.juggernaut.online/
・THE ARTHOUSE(バー)
https://www.zomato.com/ncr/the-art-house-restaurant-connaught-place-new-delhi

#7 娘よ、これが俺のインドだ。親切すぎるモディ君の正体

案内された某寺院前、賑わっています

長かったような、短かったようなこの1週間。道中で出会ったインド人の顔(否、眼光)が走馬灯のように脳内を巡ります。今ごろみんな、何をしてるのかなあ。こんにちは、ツーさんことカスガイツトムです。会社員を長く務めています。ゆで卵が大好物です。この回、ちょっと長いかもしれません。

旅程最終日、今日は朝からゆで卵を2個食べました。ホテルの朝食ビッフェのときは必ず探します。そして、コメダ珈琲並みに殻が剥けやすい卵を提供しているホテルは、五つ星と認定させていただいています。本日のホテルは、1勝1敗でした。

ナーバスなツーさん

11:00、約束どおり、モディ君がチェックアウトしたわたくしたち親子と合流しました。最終日の残された時間は約4時間、ニューデリー育ちの彼のセレクトで、名所をガイドしてくれることになっているのです。

親切で日本語も堪能なジモティ青年は、わたくしたち親子をどこに連れて行ってくれるのでしょう。楽しみではありますが、実のところ、娘連れのツーさんは、昨晩からかなりナーバスになっていたのです。

モディ君には大変申し訳ないのですが、娘とは昨晩、彼から飲料や飴などを貰っても口に含まないようにしておこうね、とひとつのルールを決めておきました。国際交流のこの時代、失礼にも程があるだろ、と憤慨される方もおられるかと思います。「それ、考えすぎ〜」と娘も笑うのでした。でもですよ、彼とはたまたまニューデリー(その人口は市単位で約3億人)の街中で知り合っただけで、なぜここまで親切にしてくれるのかよくわかりません。そもそもインド人とはこれまでに色々ありましたし、、、昨晩は深読みしすぎて眠れなくなり(原因は別かも)、深夜にフライドライスを食してしまった次第です。(拙稿#6 参照)

そういう意味で、この日のツーさんは、モディ君に親切にされればされるほど深読みの負のループに陥り、持ち味の好奇心がすっかり鳴りを潜めてしまったのです。俺のインド、最終日だったのに。

宗教ではありません。

3人は、地下鉄でまず某寺院に向かいました。宗教ではない世界平和団体(ちょっと意味がわからなかったです)の聖地とのことで、インド人観光客で賑わっています。でも、「宗教ではない」という説明だけで、ツーさんはもう、深読み地獄の一丁目です。モディ君は、なぜわたくしたちをココに連れてきたのか。宗教じゃない団体っていったいなんなの? もう早く帰ろ、早く帰ろ。

見学地、とても素敵なところではありました
ココナッツ、飲み終わった後のタネもうまい

そんなツーさんを横目に、娘はモディ・カメラマンの専属モデルとしてあれこれポーズをとって楽しそうです。挙げ句には、チャーイが飲みたいだの、気づけば、モディ君にココナッツを買ってもらって、ストローでチュウチュウ飲んでいるではありませんか。「パパ、美味しいよ!」。「あ、モディ君、申し訳ないですね、ご馳走になってしまって。君もどう?」とか言いながら、わたくしもちょっと吸ってみました。ん、なるほど、これは美味しいね。

「緑のたぬき」

結論から言いますと、モディ君は日本のことが大好きな青年で、地元のニューデリーを知ってもらいたい一心で、わたくしたち親子をガイドしてくれたようでした。こんな人いるんですね。娘に言わせると「外国人にありがちな、ニッポン大好きオタクの善意だね」。彼はなんと、空港にまで見送りに来てくれました。

ココナッツを飲んだ後、航空便出発のタイムリミットもあったので、寺院だけ見て終わらせることにして、街の中心部までトゥクトゥクで戻りました。モディ君が交渉すると、3割ほど安くすみました。

一緒に食事をとりながら彼の日本体験をあれこれ聞きました。日本食で好きな食べ物は、唐揚げ、生牡蠣、マルちゃん「緑のたぬき」。仕事で数年間、日本に滞在していたときは、そのうまさに感動して、冗談抜きで毎日「緑のたぬき」を食べていたそうです。モディ君とは、また日本に来た際は、連絡を取る約束をしました。

一期一会とメール交換

思い返せば、アグラーでは、寝台特急で同じコンパートメントになった叔父さんと仲良くなり、メール交換をしました。モディ君ともアプリでのアドレス交換をしました。でもですね、35年前の長期旅行では、紙の手帳でアドレス(住所)交換をしても、最終的に再会する人はいませんでした。それが逆に思い出になっています。

アグラー駅構内の食堂にて


今回の旅では、アグラーの叔父さんともモディ君とも既に複数回の連絡をとっています。それも帰国する前に、写真付で。なんだかこう、これってやはり味気ないなあと思うのです。わたくしとしては、やはり旅先では一期一会の出会いの方が性に合っています。バラナシで部屋に閉じ込められたわたくしを救ってくれたあの使用人とは、もう会えないでしょう。だからこそ、、、一生忘れません。

娘よ、これが俺のインドだよ。
さて、君のインドは?


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