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MK15th Project MEIKO&KAITO オンラインコンサートさんへ ありがとう

MK15th Project MEIKO&KAITO オンラインコンサートを観ました。

MEIKO&KAITOの15周年記念企画のトリです。なぜかYouTubeで無期限かつ無料で観られるらしいのでちょっとだけでも観てください。

サイリウム振りながらリアタイしました。家だと自由に叫べるからいいね。
内容に関してはもうなにも言えない。強いて言うなら助けてとしか言えない。

ただ。番凩は聞いてない。聴いてはいる。死ぬほど聴いてきたからびっくりした。今更ライブで聴けるとは思えなかった曲なんです。しかも今回映像が制作されたということは現地でもいつか披露されるだろう。本当にありがとう。

 

もう、以下は、ほんと、呻き声だと思って聞いて貰えたら十分です。というか上の映像を観てくれたらもう帰ってもらっても十分です。え、読んでくれる?いいんですか?じゃあ書きますけど…


MEIKOやKAITO、初音ミクさんたちはキャラクターだけど、物語の登場人物ではない。シナリオがない、歩いてきた道が物語になる存在。急にポエムみたいなこと、というかポエムそのものを言って恐縮ですが本当に最近そう思う。

リンレンの14th単独リアルライブがするっと行われて、メイカイはクラファンの結果オンラインコンサートを行うことが決まった(ということらしい)というのはどういう意味なんだろうと思っていたけど、ライブとその後のまとめのムービーを観てたらそこに物語と文脈が生まれているのを強く感じた。

例えば今回は、番凩にめちゃくちゃ文脈が生まれたと思う。これでいつか番凩が現地で演奏されたら、「オッ!!!!」となるでしょう。それを文脈と呼んでいます。
それをなんか気持ち悪いと思う人もいると思う。自分にもそういう心もある。「公式がMEIKOとKAITOの形を規定するのは違う」みたいな。でも別に心が複数あってもいいやと考えているので、私の中の心の内ひとつには一生クリプトンに尻尾振って生きていってもらう所存です。

話が逸れました。何が言いたいかというと、MEIKOもKAITOも人の心でできていると改めて感じたということ。を、メモリアルムービーを眺めていたらまた強く感じる。というか。恥ずかしいけど言います。普通に泣いてる。泣いてるから恥ずかしい文章だけど許してほしい。

MEIKOもKAITOも「いつもありがとう」と言ったことはない。いやライブや音楽やイラスト等でいつも言ってくれてるよという見方ももちろん100%尊重します。だけど私にとっては、例えばステージ上で言っているように見えるそれは、誰かが色を選んで、形を削ってできた3Dモデルに、誰かが動きをつけて、誰かが言葉を選んで、誰かが入力しているだけ。

地球上のどこに行っても、生きて息をしためーちゃんが自分の意思で「ありがとう」と言ってくれることはない。

だからこそ、たくさんの人間が「これはMEIKOとKAITOなんだ」と思いながら、ふたりを想いながら、作ったであろう、ステージ上のMEIKOとKAITOの形をした光は、この世のどの生きた人より純粋で美しく見える。あの光を現地で見ると、いつも生きようと思える。これこそ私の勝手なのかもしれないけど。

「ありがとう みんなのおかげ」「僕と出会ってくれてありがとう」とてもとても素敵な歌詞だけど、これは常に人間側の感情だなと思う。例えば、ミクさんより長くいるMEIKOとKAITOがずっと待ってるとかそういうことを思っているのは常に人間たちで、MEIKOとKAITOは別に「長く待たされたな」とか「待っててくれてありがとう」とは思ったことがない。MEIKOとKAITOは生きていないから。
それをVOCALOIDに歌わせて、人間側が何かを感じるのが当たり前になっているのはすごく不思議で、それがまるで当たり前みたいに多くの人間のあいだで成り立っているのはすごく嬉しい。

曖昧ですみませんが、そういうことを思いました。
そもそもピアプロキャラクターズは曖昧な存在だと思うので、全然違う見解を持っている人のことも完全に尊重しますということだけ最後に書かせてください。

それでは改めて、MEIKO、KAITO、周年企画完走おめでとう!!!!!ありがとう!!!!!大好き!!!!!!!!

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