見出し画像

一般社員から社長まで経験した私だからこそできる転職のお手伝いを。気付きを与える存在になりたい。

エイトシークエンスのコンサルタントは、キャリアプランをじっくりとお聞かせいただき、充実感と納得感のあるキャリアの選択をサポートしています。このシリーズでは、コンサルタントの自己紹介と共に、キャリアの考えやモットーなどをお話します。実際に話してみたいコンサルタントがおりましたら、こちらよりお問い合わせください。
今回のインタビューは、松﨑 淳(まつざき じゅん)です。


極度の人見知り、という自分の本質

小さなころは、クラスに1人はいた「真冬でも半袖」「かけっこが速い」「体育だけ頑張る」男の子でした。地域持ち上がりで知り合いばかり、好きなことだけやっていれば大満足の小中学校時代を過ごしていたことを覚えています。

その後、近いから、受験勉強しなくても入れるからという理由で、努力もせずに高校へ進学。ここで初めて新しいコミュニティに属さなければならないことになり、「友達の作り方」という沼にはまりました。初めて自分が「極度の人見知り」だったことに気づいたのはこのタイミングです。

結果、ほとんどの時間を一人で過ごすことに…。


画像
幼少期の私です。

恩師との出会いと人生初の目標発見

そんな中、たまたま中学時代の先輩が声を掛けてくださり陸上部へ入部することに。現役時代に国体に出場されており、見た目も教え方もスマート、運動から離れていた自分に、もう一度「頑張る」ことを教えてくれた恩師に出会うことができました。

部活内では人にも恵まれ、「高校の体育教師になりたい」という、人生初の目標を発見。一般入試で大学に入る生徒がほとんどいない中、右往左往しながらも何とか体育大学への入学を勝ち取ることができました。


一人では頑張れない心の弱さ

大学には入ったものの、元来「逃げ癖」がある自分。教員採用試験の対策授業に出て、ほとんど一問も解けないことに絶望し、早々に夢から離脱。思えば、中学でも陸上部を早々に退部しており、やり切ったと言えるのは高校時代だけでした。

その後、特段の業界、企業研究もせずにアパレル会社へ新卒入社することになりました。しかし、嫌なことから逃げ出す本質は変わっておらず、そこも2年で退社します。

なんとここから、広告代理店、IT系企業、学校法人など、32歳までに5社を渡り歩くジョブホッパーに…。


1年半のニート生活から、もう一度社会の一員に

年齢という武器を失ったことで、ついに希望の転職が叶わなくなり、メンタル不調も抱えることになりました。子どもが3人いるにも関わらず、そこから1年半もの間「ニート」とも言える生活を送ることになります。

貯金も無くなり、途方に暮れていたある日、広告代理店時代の同僚から「会おう」との連絡が。人に会うのも1年半ぶり、、、気乗りしない中、気分転換になればと重い足取りで向かったことを覚えています。

「今の生活は楽しいの?」「本当にやりたいことやれてる?」「嫌なことがあったら守るから、もう一回一緒にやろう」。

そんな言葉に勇気づけられ、もう一度きちんと社会に向き合おう、この人に恥じないように努力しようと誓いました。(その方からは、自分への感謝なんかいらない、来てほしいから誘っただけ、と100回以上言われましたが(笑))


画像
可愛い娘たちです。(もう一人います。)

仕事の本質に触れ、努力の意味を知った8年半

転職した先は、医薬部外品、化粧品のOEM会社、役割は法人営業でした。いずれも初めての経験でしたが、そのおかげで無用なプライドを持つことなく、新卒のような気持ちで臨むことができました。

電話を誰よりも先に取ること、日報に詳細を書いて上司のマネジメント負荷を軽減すること、商談に同席して議事録を取ること、勉強会に予習復習して臨むこと。

最初に出来たのは、ひいき目に見てもその程度です。しかし、当時隆盛だった「EC通販」のビジネスモデルを学ばせていただいたことで、徐々に「事業全体」を提案できるように。

顧客のほとんどが、スタートアップや異業種参入企業だったこともあり、「言われたものを作る」から、「お客様の事業計画を実現するために」「売れる、売れ続ける企画」を提案することで、一気に成績が向上したのです。

たくさんの縁と運のおかげで、マネージャー、部長、執行役員を経て、ついには代表取締役まで経験させていただくことができました。

こうした結果を導いた根底にあるのは、当時の先代から教わった「四方良し」「誠実で素直であれ」「商品を売るな、お客様の成功を売れ」という言葉だったと思います。


画像
前職時代の私です。

エイトシークエンスとの出会い

その後、化粧品メーカーに移って取締役を歴任させていただき、いまでもD2Cビジネスを行う企業にフリーコンサルタントとして関わらせて頂いていますが、人を幸せにできる仕事がしたいという思いから、プロダクトやサービスは手段で、導かれる結果が一緒であれば、新しいことに挑戦したいと思い、人材という業界にジョインしました。

「気付きを与える存在でいたい」
「人の人生に関わる仕事がしたい」

と思っていた私にはぴったりの仕事だと思っています。

今の時代、どの経営者にお会いしても「やりたいことはあるが人がいない」という経営課題をお聞きします。エイトシークエンスで取り組めることは、「事業を成長させるために仲間が欲しい企業」と、「自分らしくあれる場所を探している個人」を繋げる仕事です。

事業に対し外から意見するだけでなく、人という最も重要な存在をご紹介することで、本質的な価値の提供になるとともに、かつての自分がそうであったように、仕事に悩み、迷っている方をご支援できると信じています。

将来は子どもたちに自らの経験を伝えたい

自分がこれまで経験したことを、幼いころに知っているか、知らずにいるかで、少なからず良い選択ができるようになるのではと思います。

高校教師の道は諦めてしまいましたが、将来的には、全国の学校を回って、誰にでも分かるコンテンツとして自らの経験を楽しく伝えていけたらと考えています。


★★インタビューワーの感想★★

松﨑さんの波乱万丈な半生を聞かせていただきました。
様々な経験や挫折を味わっているからこそ、人の痛みや辛さを感じ取れる方かと思います。 物腰柔らかく、話しやすいオーラもあるので、転職の心強いパートナーとして伴走させていただけるかと思います。
(インタビュー・写真撮影/エイトシークエンス島田)



画像

松﨑 淳(まつざき じゅん)
大学卒業後大手スーツメーカーに販売員として従事。
その後教育関連の広告代理店で営業、SEOの営業、声優の専門学校での教務は広報などを担当。
2014年に、化粧品のOEMの会社に転職。
入社半年でマネージャーに昇格。企画部の立ち上げ、営業部長、執行役員、代表取締役を経験。
2024年9月にエイトシークエンスに入社。

いいなと思ったら応援しよう!