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触れ合えない世界

4月1日でした。そう、日本では映画の日です。海外もそうなのかな?
映画が好きな僕にとっては欠かせない日でした。コロナで自粛になるまでは。ただ今日はどうしても観に行きたかった作品『SHELL and JOINT』を観に行ってきました。劇場に行くまでがこんなにドキドキするなんて。いやもちろん映画が観たかったというドキドキとコロナに感染するんじゃないかっていう両方のドキドキです。

さて観賞後ですが、噂には聞いていました。でもまさかここまでとは。正直、非常に難しかった。その一番の理由としては、ストーリーがない?いや、本当は監督の中であるのかもしれないんですが、ハリウッドによくある王道なストーリー、誰もが楽しめるディズニー作品のような内容ではなく、各シーンに登場人物たちにつながりはなく、個々の長回しのシーンがたくさん積み重なって1つの映画になっていた。でも登場人物たちが語ることは、虫のことや、生命、性、死など。ほんとはつながっていたりするのかもしれない。 

予告編で流れる『世界の観客がクスッと笑った』の通りクスッと笑えるシーンと理解が難しいシーンの重なっていく。なのでストーリーを追っていくという楽しみ方ではなく個々のシーンで楽しみを見つけるようにした。例えば、カメラの構図。ほぼワンシーンに対してワンカット定点で撮影されている。その構図がとても綺麗で、計算されている。役者の方にどこまで演出をしているのだろう?とても気になった。もちろん脚本はあるんだろうけど、すべて監督の演出か、はたまた役者さんのアドリブなんかもあったりするんだろうか? 

僕が個人的に好きなシーンは、余命の短いヤクザ?とその彼女が蜂の蜜を採取して味わっているシーン。たぶん僕は彼らの背景物語が見えたから好きだったのかもしれない。それでいて立ちションしたあとで、あの流れはクスッときたし、性的な要素もありで、それをワンカットに納めているのだからすごかったし、また観たい。

とここまで思いつくまま書きましたが、僕は平林監督とお会いしたこともなければ、当然お言葉も交わしたことはない。勝手なファンです。

663114 (2011)
Matou (2011)

の2作品しかまだ観てないんですが、もう観た時は衝撃でした。むしろ『SHELL and JOINT』よりはまだわかりやすいのかも。これぞショートフィルムという作品を見た気がしました。僕も細々ですが映画を作ってこられたのは、平林監督のブログを読んだおかげでもあります。今はもう無いみたいですが。。。

駄作だろうが何だろうが、どんどん作品を作って出せばいいんです。そして、ダメな評価だったとしても、作り続ければいいんです。そのうち麻痺してくるので。
「作り続ける」ということが本当に大事なことなんです。
少しでも「作家」に近づきたいなら、作り続けるしか無いんです。作家はひとつの作品で評価されているのではなく「作品群」で評価され、その存在を認められることになります。
「作品群」なんです。
作品を作り続けた先に見える風景は、作り続けた人しか見ることが出来ません。短編映画を20本作ってきた私は、これから長編映画で「作品群」を作ろうと思っています。

これをコピーしてずっとPCに保存にして勝手に自分の励みにして今ままでやってきました。話がそれましたが、今日は『SHELL and JOINT』を観に行くことができて本当によかった。生、死、性のことを語るシーンを見ていると、コロナのせいで人と触れ合いない世界になってしまっている、なんかリンクしているようで、今だからより深くみれる作品じゃないかなって勝手に思ったり。

平林監督の次回作もとても楽しみにしています。

さて、話題を変えて今日感じたこと。

コロナの影響で、オンラインでのコミュニケーションが増えてきている。こればかりは仕方がない。今はこれがベストなのだから。でもやっぱり僕は映画は映画館で観たい。大きなスクリーンで、大音量で、その映画に浸りたい。そして観客の人たちと一喜一憂したい。人と触れ合って喜びを分かち合いたい。決してチャットやスカイプなどじゃわからない伝えきれないものがある。でも今は自粛の時。我慢だ。

コロナ前の世界がまた同じようにもどってはこないかもしれないけど、今の日常を大切にして、これからの未来に備えたいと思う。

トップの写真は一昨年ワンカット縛りの映像祭のために監督した作品のメイキング写真。楽しい思い出だ。noteここまで読んだついでに作品も見ていってくださいw

『世襲ヒーロータナトスマン』




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