原田真人


この人は、、才能ある人なんだろうなぁ……

沼津の高卒後、東京写真専門学校を経て渡米、ペパーダイン大学中退、とあるが。
ともかく、LAが長かった(といっても六年)ようで、そこで映画監督修業しながら、日本の雑誌に投稿したのをきっかけに映画評論家になるわけ。LA在住のまま。単なる映画ライターではなくて、さらには映画評論家のままにもならなかった。
 そして、一時帰国して日本で映画を作っちゃう。
1983年、西ドイツ(当時)との合作映画『ウィンディー』をヨーロッパで撮影後、翌年帰国。   本格的に日本で活躍、というわけだ。
 かと思っていたら、2003年いきなり?ハリウッド映画で俳優デビュー。  ご存知『ラストサムライ』だ。  トム・クルーズ主演、渡辺謙や真田広之も出てて話題になった。
 まぁ、いきなりってことはないだろうけど。
 1980年『スターウォーズ・帝国の逆襲』や1982年『スターウォーズ』の、日本語吹き替え版の翻訳監修と演出を担当してるし、1988年には、戸田奈津子にかわって『フルメタル・ジャケット』の字幕翻訳もやっちゃった。
2006年には『SPIRIT』に出演、翌 '07年から日本大学国際関係学部教授、だそうだ。
  他にランダムハウス講談社からハードボイルド小説を出してるし、もちろんその他の著作本もいくつか。

 もともと、映画監督を目指していたのだろうと思う。

 '89年の『ガンヘッド』(高嶋政宏主演のSF)から、  『ペインテッド・デザート』 '94年までブランクがあるが、その後はほぼ毎年一本、(一年のブランクありが数回あるが03年はラストサムライ出演だし)コンスタントに映画を撮っている。
 そのラインアップはバラエティだ。いろいろやってる感あり。作家というよりも職人監督って感じかな?
  と思えば、『ラストサムライ』の大村の役出演も頷けるだろう。
もちろん、英語ペラペラなんだろね。

 それにしても、、
こんな様な映画人、いないんじゃないか。
かつていただろうか。?

 ま、日米間ではあるけれど、ことばや国の壁を飛び越えてるばかりでなく、
映画の世界の中でも、単なる映画監督だけに止まっていない。

俳優が映画監督してる例のが多いし。
映画評論家で映画を作ったのは水野晴男くらいか。?映画監督で俳優もといえば、山本晋也か。?
崔洋一や藤田敏八や鈴木清順とかも出てるけど………?

原田真人、、
なかなかやるんでないかい? ……

   『さらば映画の友よ、インディアンサマー』
1979年 5月26日公開。
配給、ヘラルド・エンタープライズ。   製作、キティ・フィルム。
  監督、脚本・原田真人。音楽・宇崎竜童。
出演・川谷拓三、重田尚彦、浅野温子、山口美也子、 石橋蓮司、鈴木ヒロミツ、岸部一徳、室田日出男、原田芳雄、。
   三人いる助監督の中に、 崔洋一。
 映画評論家だった原田真人の、初監督作品。原田監督自身の、自伝的作品だそうだ。
原田真人は静岡県沼津市出身。 かなりの映画狂?だったのだろう。  

原田真人監督の『クライマーズ・ハイ』。
 前橋の弁天通りや上野村でのロケがあって、私の知っている場所が出てた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?